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「おい、ヘーゼル!これを見てみろ!オマエが育てた植物から採れた汁だ!いい解毒薬になりそうだぞ!」
「……解毒薬ですか?」
ヘーゼルは忘れ物を取りに研究室へ顔を出しただけだったのに、ドアを開けた瞬間、雷のような大声で呼び止められた。
雑然と積み上がった本や、色の怪しい瓶詰めの群れにぶつからないよう慎重に身をよじりながら進み、ベールの散らかったデスクへと近づく。
そこには、黒に近い濁った色の汁が入った瓶がどんと置かれていた。
近づくほどに、鼻を突くような強烈な悪臭が漂ってくる。
「うっ!!……す、すごい匂いですね……。まさか、これを直接飲むんですか?」
「飲めなくはないが……人間が飲むには、ちと改良が要るな」
「当たり前ですよ!これはさすがに……」
「ははっ、顔が引きつってるぞ。……だがな、試しにお前のネズミに飲ませてみたんだ」
「えっ!?あの小さい魔物ですか?ちょっと師匠!なに勝手にそんなことをしているんですか!?」
「お前の研究は終わってただろう?檻がまだ片隅に残ってたから、まあ軽い冗談で飲ませてみた。……与えたのはほんの少しだけだ」
ベールは得意げにふふんと笑った。
「冗談で魔物に意味わからないものを与えるとか!何かあったらどうされるおつもりですか!?全然笑えません!」
「……ところがな。あの魔物、嫌がるどころか尻尾を振って喜んで飲み干したんだ」
「……え?喜んで……?」
思いがけない返答に、ヘーゼルは言葉を失った。
脳裏に、あの赤い花のきつい匂いがよみがえる。
「……もしかして……魔物って、匂いのきついものを好むんでしょうか……?」
ベールがにやりと口角を上げる。
「おっ、ようやく気づいたか。さすが弟子だな」
ヘーゼルはむっとした顔をしたが、その胸の奥では新しい可能性の糸口が光りはじめていた。
「……それでな、ここからが本題だ」
ベールが急に声を低めた。
「本題……ですか?」
ヘーゼルはごくりと喉を鳴らす。
「ああ。あのネズミだが……普通のネズミに戻った」
「え?……普通……?」
「正確には、ネズミ型の魔物に戻った、と言った方が近いかもしれん」
「魔物に……戻った……?どういうことですか?」
「魔物ではあるが、明らかに狂暴性が消えた。……言うなれば、元の魔物に『戻された』というべきか」
「戻る……?そんなに違うのですか?」
「あのネズミは、大した魔物ではなかったから分かりづらいかもしれん。だが……奥の扉にいた、あの騒がしかった魔物を覚えているな?」
「……ええ。もちろん覚えています。私、その魔物で植物を育てましたから。とにかく暴れ回って煩かったですよね」
「ああ。そいつにも試してみたんだ。例の植物の汁を」
「ええ?そっちにも試しちゃったんですか!?……まあ、でも……確かに、気にはなります……それで……どうなったんですか?」
ヘーゼルの瞳が輝いた。
勝手に実験を繰り返す師匠の行動は褒められたものではないが、研究者としての血が沸き立つのを自覚しながら。
「ネズミと同じだ。目に見えて大人しくなり、あれほど狂っていた動きも、一般的な魔物と変わらぬ程度に落ち着いた」
「……一般の魔物と同じに……」
ヘーゼルは、はっと息を呑む。
「!!!師匠……!ってことはですよ?もし、この汁を暴走している異形種に与えられれば……ただの魔物に戻るってことじゃないですか!討伐もずっと楽になります!」
「……極論を言えばそうなるな。ただし、すべての異形種に効くかどうかはまだ分からん」
「それでも!凄いことじゃないですか!」
ヘーゼルは思わず両手を握りしめた。
「そうなれば、以前のように竜騎士団と騎士団が連携して討伐できますよね?今は異形種が強すぎて、騎士団は出ることすらできないって聞きましたし……」
「……まあ、理屈の上ではそうなるな」
「これはもう、この植物をもっと育てるしかありませんね!もっと、もっと増やして……!」
「……種がない」
ベールの一言に、ヘーゼルの熱が一瞬で冷やされた。
「……え?」
「種がないと言ったんだ。つまり、増やす手立てが今のところ存在しない」
「え、ええ!?じゃあ、師匠……!この種はいったいどこから持ってきたんですか!?」
「うーん……キャラバンの奴らが持っていてな。見たことのない種だったから、面白いと思って買ったんだが……」
「購入したのは……どこのキャラバンなんですか?」
「どの隊かなんて知らん。売っていた人間の顔すら見てない」
「なっ……!せ、せめて!どんな言葉を話していたとか、何か手がかりはないのですか!?」
「おいおい、そう怒鳴るな。俺は種にしか興味なかったんだ」
「しっかりしてください師匠!これは国にとって大切なことなんですよ!!!」
思わずヘーゼルはベールの肩を両手でがっしりつかみ、ガクガクと揺さぶった。
書物や瓶が机から落ちそうになるほどの勢いだ。
「お、おお……待て待て……うーん……?……そういえば……ガゼル王国特有の言語を耳にしたような気もするな……」
「ガゼル王国!?本当ですか!?」
「いや……違ったかもしれん。もっと南の国だったかな。いや、浅黒い肌をしていたような……いや、白かったか……うーん……」
「師匠~~!お願いですから、しっかりしてくださいって!」
「……わからん」
ベールはバタリと椅子に身を投げ出し、急にやる気をなくして天井を見上げた。
こうなったら、この件については完全に放棄のサイン。
ヘーゼルは頭を抱えた。
「……わかりました!ガゼル王国ですね!?私、知り合いがいますので聞いてみます!……師匠!この薬草、少しいただきます!」
ベールの机の傍らでわさわさと育っていた薬草を、思い切りブチリッと引き抜いた。
「おい!それは俺の薬草だぞ!」
「国にとって、とても重要なものなんです!何としても手掛かりを探し出さなきゃ!」
片手いっぱいに薬草を握り、ヘーゼルは勢いよく部屋を飛び出す。
「おい!ヘーゼル!!」
「師匠!何か思い出したら、必ず連絡してくださいね!」
ドアがバタンと閉まり、慌ただしい足音が遠ざかっていく。
取り残されたベールは、しばらく呆気に取られてから、「あー……そういえば……」と何かを思い出しかけたが、結局どうでもよくなり椅子でのんびりとあくびをした。




