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「ヘーゼル、ちょっといいかい?」


果樹園から収穫してきた林檎を、外の井戸で洗っていたヘーゼルは、家の前に立っていた父のダンカンに呼ばれた。


「お父様、帰っていたのね。おかえりなさい」


「ああ、ただいま。王都のリベル薬局から、たくさん薬の注文を受けてきたんだが……一週間後までに間に合うか、注文票を見てくれないか」


「ええ、わかったわ。後で見るから、テーブルの上に置いておいてくれる?」


林檎を洗い終え、木箱に入れて出荷の準備を済ませると、しばらくしてヘーゼルも家の中へ入った。

だが、そこに父の姿はなく[町に用事があるから出かけてくる]と、簡単な置き手紙が残されていた。


ついさっき王都から戻ってきたばかりなのに。

領地の人のもとへすぐに足を運ぶ父の姿を、ヘーゼルは素直に「すごいな」と思った。


ヘーゼルの母は出産の直後、力尽きて亡くなった。

本来なら、父が愛する妻の命を奪った娘を恨んでもおかしくないだろう。

けれど「母が望んだことだから」と、ヘーゼルの誕生を祝福し、たった一人でこれまで育ててくれた。

再婚話も断り、領地を守り、娘を守り、父はずっとヘーゼルと二人で生きてきた。


大人になった今、ようやくその重みの一端を理解できるようになってきたヘーゼルは、父に少しでも楽をしてほしいと思い、畑や果樹園の仕事も積極的に手伝っている。


だが、父は楽になったその分、代わりに王都への出張が増えていった。

領地の人々が作った工芸品や、育てた作物を王都へ卸しに行くのだ。


結局のところ、ヘーゼルが手伝った分だけ、父の仕事が本当に楽になったのかといえば、そうではないのかもしれない。

けれど、領民の皆さんが喜んでくれるのなら、これでよかったのだろう。

そうやって、自分に言い聞かせるようにして、ヘーゼルは納得することにしている。


そうして少しでも父の役に立ちたくて、ヘーゼルは畑や果樹園の手伝いだけでなく、自分にできることを探すようになった。

その中でも、特に夢中になったのが薬草を育てることだった。

やがて薬の調合にも興味を持ち、今では王都の薬局にも薬を卸すようになっている。


父曰く「ヘーゼルの薬はよく効く」と、評判も上々らしい。


テーブルの上に置かれていた注文書を確認すると、倉庫に在庫のない薬草を使った薬が多く含まれていた。

本当は午後からパンを焼いて過ごす予定だったが、予定を変更し、午後は湖畔の薬草園へ薬草摘みに行くことにした。


昼食を準備して父の分をテーブルに置き、自分も昼ごはんを食べ、カゴとジョウロを手に薬草園へ向かう。


しばらく湖の水を汲み、畔に並ぶ薬草に水をやっていると、バサリッと空を裂く羽ばたきの音が近くで聞こえてきた。


(大変!竜がこっちに来る!)


竜は、竜騎士以外に近づかれるのを嫌うと聞いている。

せっかく来てくれた竜の邪魔をしたくなくて、ヘーゼルは慌ててカゴとジョウロをつかみ、その場から走って逃げようとした。

が、運悪く薬草の木の根に足を取られ、転んでしまった。


痛む膝をかばいながら体を起こすと、ちょうど竜が二頭、湖の畔へ降り立つところだった。


(気がつかれる前に、早く離れなきゃ……!)


ヘーゼルは素早く体を起こし、竜とは反対方向へそっと歩き出す。だが、気配を感じ取られたのか、一人の騎士がヘーゼルの存在に気づいてしまった。


「あれ?女の子がいた……驚かせちゃったかな」


背後から届いた声に、ヘーゼルはびくりと肩を震わせる。

声を出せば竜を驚かせるかもしれない……そう思い、息をひそめる。


「デルダさん、彼女はさっきからそこにいましたよ。俺たちが急に降りてきたら、それは驚くでしょう」


「だよなぁ……俺の竜が早く水を飲みたがっててさ、人がいるかどうか確認せずに降りてしまったな。邪魔してごめんな」


ヘーゼルは、無視するのも失礼だと判断し、意を決してゆっくり振り向いた。竜騎士が二人こちらを見ている。赤みがかった髪の若い騎士と、背の高い黒髪の騎士。黒髪の騎士が、ヘーゼルに向かってゆっくりと歩いてくる。


(ど、どうしよう……竜騎士様に失礼があったら……でも、大きな声を出したら竜が驚くかも……)


「……あ、あの、私こそ、竜と竜騎士様のご迷惑になってしまって……申し訳ありません。すぐに離れますので……。竜に、水と……おやつを、食べさせてあげてください……」


「おやつ?」


黒髪の騎士が、首を傾げた。


「……あそこにある薬草のおやつです」


ヘーゼルが竜がよく食べている薬草を指さすと、騎士はその方向に目をやった。


「ああ、あの草か。あれは『おやつ』じゃないよ。竜が体調を崩した時や怪我をした時、自分で食べに来る草なんだ」


「え……?」


てっきり、竜が好んで食べているから美味しい薬草なのだと思っていた。思わぬ事実に、ヘーゼルは目を見開いた。


「そうなんですか?てっきり竜はあの薬草の味が好きなのかと……」


「う~ん……味は分からないけど、まあ、嫌いではなさそうだな。今日も、ジル……あっちの黄色い竜が怪我をしてるんで、あの草を食べさせに来たんだ」


親切に説明してくれる黒髪の騎士に、ヘーゼルは小さく頭を下げる。


「そうなんですね。先ほど水をあげたばかりなので、薬草は今とても瑞々しいと思います。たくさん食べさせてあげてください。……それでは、私はこれで……」


そう言って立ち去ろうとした瞬間、赤い竜が突如ヘーゼルの目の前に降り立った。


(えっ!?)


さっきまで湖で水を飲んでいた竜が、音もなく近づいてきたのだ。目の前に迫る巨大な竜。

ヘーゼルの体は混乱で硬直し、ただ竜を見上げるしかなかった。


「おい!フェイ!待てっ!!」


黒髪の騎士が、慌てたように竜の名を呼んで駆け寄ってくる。


竜はエメラルドの綺麗な目でヘーゼルをじっと見つめ、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。

ヘーゼルは息を詰め、身じろぎもできずにその場に立ち尽くす。


(殺される……かも)


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