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ヘーゼルが、入り口に立つラグーナとサキレスに顔を向ける。
「ラグーナ様、サキレス様……」
その名を呼ぶ声は、まだ弱々しく震えていた。
二人はゆっくりと歩み寄り、ベッドの傍へと近づいてくる。
「……ヘーゼルさん、目を覚まされて本当に良かったわ。どこか痛むところや、変わった様子はないかしら……?」
ラグーナは、先ほどのアクオスの告白の衝撃をまだ引きずっていた。それでも、努めて穏やかな笑みを浮かべ、気丈にヘーゼルに声をかける。
「はい……お陰様で、痛みもなく……ただ、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません……」
「そんなこと言わないで」
ラグーナは首を振り、そっとヘーゼルの手を取った。
「ご令嬢が魔物に襲われて……それでもこうして大事に至らなかったのは、奇跡に近いことなのよ。あなたが無事でいてくれて、本当に嬉しいわ。……一応お医者様を呼んであるから、もう少しこのまま横になっていてちょうだい」
「はい……ありがとうございます」
ヘーゼルは安堵の笑みを浮かべ、深々とお辞儀をした。
「アクオス……お前も大丈夫か?」
サキレスは、ベッドの淵に力無く座るアクオスの肩に手を置き、静かに声をかけた。
アクオスはゆっくりと顔を上げる。
「サキレス……記憶が戻った……妙な気分だ」
「ああ、そうだろうな」
サキレスの声には心配と少しの苦みが混じっていた。
「立てそうか?いつまでもご令嬢のベッドに座っていてはいけないだろう。お前が休める部屋まで送る」
「そうだな……ヘーゼル嬢は目を覚ましたばかりだから……ヘーゼル嬢、医者に診てもらって問題がなければ……後で、魔物と対峙した時のことを話していただけますか?」
サキレスに支えられ、アクオスはゆっくりと立ち上がる。
足元が少しぐらりと揺れたが、サキレスの手が力強く支えてくれた。
「はい、わかりました」
ヘーゼルはしっかりと返事をして、二人が部屋を出ていく後ろ姿を静かに見送った。
扉が閉まると、ラグーナは美しい身のこなしでヘーゼルに向かって深く頭を下げた。
「ラグーナ様!?」
「ヘーゼル・ガゼット子爵令嬢様……この度は、我が息子、アクオスが大変お世話になりました。まさか、あの子が……アクオスがあなたの家で二年間も子供の姿で過ごしていたとは、存じませんでした……」
ラグーナは頭を深く下げたまま、言葉を続ける。
「……親として、あの子を救ってくださり、本当に感謝しております……」
「ラグーナ様、どうか頭を上げてください。私たちも、アクオス様の事情を知らなかったのです。……レイ……いえ、小さな体になったアクオス様と過ごした日々は、毎日楽しく幸せで……むしろ、私たちの方がたくさんの物をいただいたと思っております……」
「ヘーゼルさん……」
「ラグーナ様こそ、二年間アクオス様がいらっしゃらなかった日々がどれほどお辛かったか……。私たちの家に、小さなアクオス様と暮らせる時間をいただき、こちらこそありがとうございました」
ヘーゼルの声には、静かな誠実さと温かさが宿っていた。
ラグーナは深く息をつき、ようやく少し肩の力を抜く。
そしてゆっくりと体を起こし、先ほどまでアクオスが座っていた椅子に腰を下ろした。
「先ほどの話……とても驚いたわ……」
ラグーナの声はまだ震えていた。
「アクオスが倒れて、虫の息で……竜が……ブラッドが、そんな重症のあの子を連れ去ったと聞いて……すぐにでも追いかけて行こうと思ったの……でも、竜騎士はパートナーの竜と絶対の信頼で結ばれていると聞いて……皆が、ブラッドがアクオスを連れ去ったのはあの子を生かすためで、私たちには何もできることはないと……」
苦しそうに言葉を絞り出すラグーナを、ヘーゼルはじっと見つめた。
心配そうな瞳で、彼女の表情をひとつひとつ受け止める。
「親ですもの……本当に、毎日アクオスを探そうと思わない日はなかったわ」
ラグーナは視線を少し伏せ、手を組みながら続けた。
「竜の谷なんて、得体の知れない土地に連れ去られたと思っていたから、余計に心配で……」
フッと、苦笑とも自嘲ともつかない笑みがこぼれた。
「二年間、あの子の帰りを待つのはつらかったわ……帰ってきたと知らせを受けて駆け付けたら……その二年間の記憶がないと言われて、何が何だかわからなくて……」
ヘーゼルはそっとラグーナの手に触れ、微かに握る。
ラグーナは、重なった手を見ながら深呼吸して続ける。
「でも、さっきのお話を聞かせてもらったら……あの子はあの二年間で、たくさんの大切なものを見つけて、幸せに暮らしていたのですね……すべて、あなたの……ヘーゼルさんのおかげです」
ラグーナはしばし沈黙した。
重い息をひとつつき、深く頷いた。
「……そうね、ヘーゼルさん……あなたの優しさが、あの子を守り、育んでくれたのね……ありがとう、本当に」
その瞬間、部屋には言葉にならない感謝と、親としての安堵、そして二人の絆が静かに満ちていった。
「……こんな話をしてごめんなさい。また、改めてガゼット子爵にはお礼をしに行くわね。……ダメと言っても行くわよ。だって、親として当然の感謝ですもの……」
「……ラグーナ様……わかりました。父にも、きちんと話しておきますね」
「ええ、お願いね。……色々話して時間を取ってしまったけれど、体が大丈夫なら、湯殿の準備ができているわ。身ぎれいにしたいでしょう?」
「ええ!はい!ぜひ!」
二人が少しほっとした空気の中で話していると、侍女の声が柔らかく響いた。
「お医者様がいらっしゃいました」
ラグーナは視線を医師に向け、穏やかに微笑む。
「お医者様もいらっしゃったようだし、見てもらって問題ないなら、アクオスと話す前に身ぎれいにされるといいわ。そのあと、少しお食事をしてね」
言葉に安心感が混じるラグーナの表情を見て、ヘーゼルも肩の力を抜き、自然と微笑む。
ラグーナは椅子から立ち上がると、静かに医師の元へと進んだ。
身支度を整え、アクオスに呼ばれた客間へと向かう。
扉を開けると、部屋の空気が一瞬張り詰めた。
カイロスとヨーデルが同時にこちらを振り向く。
「ヘーゼル!大丈夫!?」
「ヨーデル……?」
ヨーデルは堪えきれずに駆け寄り、ヘーゼルの肩や腕に触れては怪我がないかを確かめる。
あまりの勢いに、ヘーゼルは思わず笑ってしまう。
「ふふ……大丈夫よ。怪我はないの……ただ、恥ずかしいけど……緊張で気を失ってしまって……」
「……聞いたわ。そんなの全然、恥ずかしくなんてない!!あんな状況、誰だって気を失う!ヘーゼルよく無事で戻ってきてくれたわね!」
ヨーデルの真剣な瞳に、ヘーゼルは照れくさそうに小さく笑った。
「アクオス様に助けていただいたの……」
「本当に間に合ってよかった!……マーガレットのことは、私が責任をもってきっちり絞り上げるから安心してね!」
「……ヨーデル……心配してくれて、ありがとう」
そのやりとりを黙って見守っていたアクオスが、ゆっくりと前へ進み出た。
アクオスは、少し休めたようで先ほどの顔色の悪さはなくなっていた。
「ヘーゼル嬢。この話し合いに、カイロスとヨーデルも立ち会いたいと言っていますが……よろしいですか?」
「……はい、大丈夫です」
「では、そちらにお掛けください」
アクオスに導かれ、重厚な椅子に腰を下ろす。
自然と背筋が伸び、心臓の鼓動が少し速くなる。
「それでは……ヘーゼル嬢。あの時、どのような状況だったのか、順を追ってお話しいただけますか?」
ヘーゼルはチラリとアクオスを見る。
「はい……アクオス様と別れてから………」
ヘーゼルはアクオスがレイだったとわかったとたん、アクオスに向けていた自分の奇妙な感情が家族としてのものだとわかり、スッキリしていた。
しかし、アクオスがヘーゼルを見つめる深いブルーの瞳の奥には、じりじりと熱が灯っている。
ヘーゼルは、それに気づかずに、カイロスとヨーデルに身振り手振りで起こったことを細かく説明した。




