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「アクオス様!!大丈夫ですか!!」


ベッドに崩れ落ちたアクオスの肩を、ヘーゼルは必死に支えていた。

侍女が慌てて走り去り、廊下の奥から執事を呼ぶ声と足音がバタバタと響いてくる。


「ヘーゼ……ル……?」


掠れた声で名を呼ばれ、ヘーゼルの心臓が跳ねる。


「アクオス様、こちらに横になってください!顔色が……とても悪いです!」


アクオスが苦しげに額を押さえ、震える声で名を呼んでいる。

ヘーゼルは彼の肩に手を添えたまま、必死に支えた。


その手をアクオスが掴み、自分の額へと押し当てる。

祈りを捧げるように目を強く閉じ、しがみつくその仕草に、ヘーゼルの胸が痛む。


「ア、アクオス様……?また頭が……痛むのですか?今すぐラグーナ様とシャナ様を呼んで……」


「……ヘーゼル嬢」


掠れた声が、しかしはっきりと耳に届いた。


「記憶が……戻りました」


「……え……?」


「失われていた記憶が……ようやく……戻ったのです」


ヘーゼルは言葉を失い、瞳を大きく見開いた。


「アクオス様……?」


「ヘーゼル嬢……」


アクオスは、震える声で続ける。


「私を……『レイ』を……二年間、傍らで守り、共にいてくださったこと……心から感謝しています」


額に押し当てたヘーゼルの手を強く握り締め、深く首を垂れた。

その姿は懺悔にも、祈りにも似ていた。


「……え?……レイ……?なぜその名を……」


戸惑いながら、アクオスを一心に見つめるヘーゼルはふと気がつく。


あの幼いレイの瞳の色は今のアクオスのものとは違うが、その瞳の奥にある真っ直ぐで清らかな光は紛れもなくアクオスと同じものだった。


「……アクオス様が……レイだったなんて……」


ヘーゼルは震える声で呟き、信じられないようにアクオスを見つめた。


目の前のアクオスが、あの小さな少年レイだという事実に、心が追いつかない。


アクオスは苦しげに目を閉じたまま、真実を語り始める。


「私は……ブラッドの力で、魔物の毒から生き延びるために……幼い姿に変えられました。その間の記憶は失われると……あらかじめ告げられていたのです。記憶を失った私は……あなた方のもとに辿り着いた……そして……二年間……共に過ごした」


ヘーゼルは唇を震わせながら耳を傾ける。


「毒が体から抜け、再び大人に戻れるようになった時……ブラッドが現れました。彼は……体を癒していた時間の記憶はないほうがいいと判断したのでしょう。だから……あなた方と過ごした二年間の記憶も……すべて奪われてしまったのです」


「そんな……」


「最近、発作のような頭痛があったのは……おそらく……あなたが近くにいたからです。心が……忘れたはずの時間を求めていた……」


アクオスの言葉は、痛みに耐えるように途切れ途切れだった。

一語一語が胸に突き刺さり、ヘーゼルの瞳は潤んでいく。


「アクオス様……いいえ……レイ……?」


その声は震え、涙が滲んでいた。

信じられない。

けれど、信じたい。

あの日々が幻ではなかったと、そう思いたくて……。


その衝撃的なアクオスの言葉の直後、部屋の扉が勢いよく開かれ、ラグーナとサキレスが駆け込んできた。


「アクオス!」


二人は、倒れこむようにベッドに身を預け、必死に言葉を紡ぐアクオスの姿に息を呑む。

本来なら、眠りから覚めたばかりのヘーゼルを気遣うべきだった。

だが、彼女の手を掴み、祈るようなアクオスのその姿に視線を奪われる。


ヘーゼルは、部屋に入ってきたサキレスとラグーナに視線を移す。


「あの……サキレス様、ラグーナ様……ア、アクオス様の……記憶が戻ったようです……」


ヘーゼルは、アクオスの代わりに今の状況を説明しようとする。


「……アクオスの……記憶が……戻った?」


サキレスの声が震えた。

ラグーナもまた、硬直したようにその場に立ち尽くす。

まるで、長い年月を閉ざしてきた扉が唐突に開かれたかのように。


アクオスは、荒く浅い呼吸を繰り返しながら、ベッドの端に座り込むヘーゼルの手を離そうとしない。


彼女の驚愕と混乱が入り混じった瞳に、自分の過去と、失っていた二年間の重みを映しながら、途切れ途切れに言葉を紡ぎ続けた。


アクオスは、自分の頭の奥で霧が晴れていくのをはっきりと感じていた。

霞がかっていた景色が、一つひとつ鮮やかな色を取り戻していく。

忘れていた二年間の想い出が、ゆっくりと、痛みを伴いながら心に押し寄せてくる。


アクオスは言葉を選ぶように、ヘーゼルにその日々を語った。


ヘーゼルは両手を口元に当て、驚きに目を見開いていた。

だが最後の言葉を聞いたとき、彼女はゆっくりと涙を浮かべながらも、小さく頷いてくれた。


「……最後は……決して、自分から出ていきたくて出たわけではありません。あの時は……心が切り裂かれるようでした……」


アクオスの声は震えていた。

その告白に、ヘーゼルもまた、喉の奥から押し出すように言葉を紡ぐ。


「……私も父も……レイが……いいえ……アクオス様がいなくなってから、しばらく立ち直れませんでした。でも……今は……」


彼女は自嘲するように微笑み、涙を堪えるように瞬きをした。


「……でも、今は、レイが……ふふ……嫌だわ…………あの小さな私の弟だったレイが、アクオス様なのに……それでも、こうして元気で生きておられて……本当に、良かったと……こ、心から思います」


「……ヘーゼル嬢にはあんなに世話になり……きちんとした挨拶もせず、あのような別れとなってしまったのに……そんなふうに言ってくださるんですね……」


「もちろんです!」


ヘーゼルははっきりと首を振った。


「私はいつも信じていました。レイが生きて、どこかで元気に過ごしているって……ずっと!」


アクオスの胸の奥に、熱いものが込み上げる。

彼女の言葉は、過去の傷を慰めるだけでなく、長い孤独を抱えてきた心をも救っていた。


「……ヘーゼル嬢……」


その声は、限りなく優しかった。


二人のやり取りを、ラグーナとサキレスは一言も漏らすまいと固唾を飲んで見守っていた。

なぜ、今まで女性を避けていたアクオスが、ヘーゼルにだけ興味を示したのか……今なら理解できる。


アクオスは二年前、すでに彼女の傍で暮らし、その真っ直ぐな人柄に触れていたのだ。

記憶を失っていたはずなのに、魂のどこかで彼女を忘れることはなく無意識に惹かれ続けていたのだと……

二人は悟った。


ラグーナの胸には、ようやく長く抱えていた謎が解けた安堵が広がっていた。

だが同時に、その裏に潜んでいたアクオスの苦しみを思えば思うほど、鋭い痛みが胸を抉った。


そしてサキレスは、沈黙の中で拳を握りしめ、アクオスがこれまで抱いてきた孤独の深さと、今この瞬間にヘーゼルに見せる弱さに胸を突かれていた。

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