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カイロスはそれを横目に、まだ俯いて肩を震わせているマーガレットを見据えた。


「それで、マーガレット嬢。本日、王都の外れの十番街の建物が魔物に襲われたのだが……」


侯爵が思わせぶりに唸る。


「ほう、いよいよ魔物が王都にまで出没しだしたのか……」


カイロスは無言で鋭い視線を送り、『黙れ』と圧をかける。


「……そこに、たまたまご令嬢が捕らわれていてな。無事に救出はされたのだが、そのご令嬢が『マキュベリー侯爵令嬢にその場所まで連れてこられた』と証言している」


侯爵が目を細める。


「ほう、娘が?ちなみにその令嬢の名は?」


「……侯爵は一旦黙っていてくれ。私はマーガレット嬢に聞いている」


「……ああ、すまない。……マーガレット、カイロス様に正直にお話しするんだ」


促され、少女は小さく震えながら顔を上げる。


「……は、はい……お父様。た、確かに……ヘーゼル様とそこで会う約束をいたしました。ですが……その建物に私が着く前に、魔物が出たといわれ、近づけなかったのです……ヘ、ヘーゼル様はご無事ですか?……わ、私……心配で……」


「……ほう、マーガレット嬢とヘーゼル嬢は、そこまで心配し合う仲でしたか?」


カイロスはあえて軽く笑って見せるが、その目は鋭い。


「……確かに、言い争いはありましたわ。でも……私も感情的になってしまいましたので、それを謝ろうと思って……」


マーガレットは震える声で言い訳を紡ぐ。


「謝罪を……?あんな街外れの、人通りもない場所で?」


「ええ……」マーガレットは唇を噛みしめながら答える。


「私も侯爵令嬢としてのプライドがございます。謝っている姿など……誰にも見られたくありませんでしたの」


「なるほど。では……ヘーゼル嬢は、わざわざ一人で、あそこまで赴いたと?」


「ち、違うのですか?」


逆に不思議そうな声で等マーガレト。

その様子にカイロスの目が細まり、声に冷ややかな色が差す。


「……あの建物までは、馬車でしばらく乗らねば辿り着けない。しかも、王都に土地勘のない彼女が、一人でそんな場所へ行くとは考えづらい。……常識的に見れば、少なくとも近しい誰かに道を尋ねるだろう」


マーガレットの喉が小さく鳴る。


「しかも直前まで一緒にいたのは、竜騎士団のアクオス団長だ。彼の証言では、ヘーゼル嬢は『家に帰る』と言っていたそうだが?」


「……さ、さあ……。ヘーゼルさんが、どうやってあの建物まで来たのかは存じません。ただ……私が『内緒で来てほしい』とお願いしたので、そのようにされたのかと……」


「……ほう」


カイロスは静かに相槌を打った。その声は低く含みを持ち、部屋の空気をさらに重く沈ませる。


ここまでは、しらを切り続けるマーガレットだったが、そのとき、今までそこにいなかった騎士が部屋へ駆け込んできて、カイロスの耳元で何かを囁いた。

騎士と言葉を交わすや否や、場の空気は一変する。


「……わかった。あとでそちらに行く。ああ、そうしてくれ」


マキュベリー侯爵とマーガレットは興味深げに、囁き終えた騎士を見ていた。

騎士は一通りの報告を終えると、素早く部屋を出て行った。カイロスはゆっくりと、二人に向き直る。


「……良い話を聞かせてもらった。これでお互いの時間を無駄にすることはなさそうだ」


「まあ、ようやく私の濡れ衣が晴れましたの?」


マーガレットは、それが自分に有利な話だと単純に受け取り、ほっとした表情を浮かべる。


だが、横で侯爵は何かを察したらしく、カイロスをじっと見据えた。

その視線には微かな苛立ちと疑念が混じっている。


「……あの建物までヘーゼル嬢を運んだ連中が見つかったそうだ。拉致を白状しているらしい」


「な、なんですって!?そんな馬鹿な!だって、あの男たちは……」


思わず声を上げかけたマーガレットは、慌てて口を押さえる。


「マーガレット嬢?……あの男たちとは、誰のことだ?」


カイロスは冷ややかに問う。


「い、いえ、なんでも…………」


マーガレットは言葉を濁す。

逃げ場を失った表情が、はっきりと顔に出ていた。


「ここまで来ても、やはり自らは言わないのか。誰に似たんだ、たいそうな度胸だな……」


カイロスはマーガレットではなく、侯爵を見据えて言葉を続ける。


「……まあ、誰も『男たち』だとは言っていないが。……当たりだ、マーガレット嬢。なぜ『複数人の犯行』だと知っているんだ?」


カイロスの鋭い視線に、マーガレットは手を震わせ「あ……」と小声で呟いた。

それ以上は声にならない。


「残念だったな、マーガレット嬢。騎士団まで同行してもらおうか」


カイロスとゆっくりとマーガレットに視線を合わせたままソファーから立ち上がる。


「い、いやよ!……し、知らない!私は知らないわ!本当よ、お父様!……そ、そうよ、私じゃないの!……ラウがやれって言ったのよ!別に彼女を傷つけるつもりはなくて、ただ、アクオス様と仲良くしているヘーゼルさんを一日だけ閉じ込めて、嫌な思いをさせればいいって……!魔物が出るなんて知らなかったの!偶然よ!……私は関係ないの!」


声は震え、言葉は矢継ぎ早に出る。

だが、その狼狽は弁明としての説得力を失わせるだけだった。


「……マーガレット。ラウと共に騎士団へ行くのだ」


マキュベリー侯爵は、ため息交じりに疲れた声で告げる。


「いやよ!お父様、騎士団になんて行きたくない!」


「マーガレット!行くのだ……」


「どうして?私は悪くない!全部ラウがやったのよ!」


侯爵は厳しく言い放す。


「……たとえラウがやったとしても、お前たちは一人の女性を閉じ込めた。しかも誰かに攫わせたのなら、それは重大な犯罪だ。牢屋に入れるほどではないにせよ、きちんと事情を説明し、そのヘーゼル嬢に謝罪せよ」


「お父様!」


普段すましている侯爵令嬢が、髪を振り乱し悲鳴のようにも聞こえる声を発しマキュベリー侯爵に縋っている。


「誰か、ラウを連れて来い……」


侯爵はそんなマーガレットを無視して近くに控えていた侍女に静かに命じる。


「……カイロス様、二人を頼む」


その宣告を受け、マーガレットはその場で崩れ落ちるように泣き喚いた。


カイロスは執事のラウが呼び出されるのを待ち、侯爵の様子を観察する。

父親として娘を宥めるふりをする侯爵の口元には、時折、微かに歪んだ笑みが浮かぶのが見えた。

それは、表面上の慈愛とは裏腹に、何かを噛み潰すような冷たさを含んでいる。


やがて、顔面蒼白の執事、ラウが連れて来られ、侯爵がラウの耳元に何か囁くと、ラウはさらに青ざめ、震えながら俯いた。


侯爵の言葉が何であったかは察しがつくが、カイロスは同情の色を見せなかった。


準備が整い、マーガレットとラウは騎士団に連行される。

侯爵夫人の刺すような視線がカイロスに降り注ぐが、彼は冷ややかに一瞥を返すだけで、その場を去った。


馬車の前に立つ侯爵を横目に見やりながら、カイロスは自分の馬車へと乗り込んだ。


(気のいい父親の仮面の下で、どこかほくそ笑む侯爵の顔がある……娘を切り捨てて、すっきりしたようにも見える……次に俺が来るのは、お前自身を捕らえる時かもしれん)


カイロスは心の中で静かに呟いた。


馬車の前に立つマキュベリー侯爵は、淡々と見送りの姿勢を崩さない。

娘を連れ去られるというのに、声を荒げるでもなく、ただ穏やかな笑みを浮かべている。

その無表情に近い笑顔こそが、かえって不気味さを際立たせていた。


カイロスはそんな侯爵を横目に見ながら、マーガレットたちとは別の馬車に乗り込む。

窓越しに視線を交わすことはなかったが、胸の奥底で冷たい予感だけが、じわりと広がっていた。



「あなた!どういうことですの!?」


騎士団の馬車が出て行くや否や、妻のアイーダは早速に夫に噛みついた。

声には怒気と狼狽が混じっている。


「相手は騎士団だ。しかもカイロス様直々に来られたということは、言い逃れは効かない。あのまま娘をかくまっていれば、踏み込まれて事実が露見し、騎士団……ひいては王家を欺いたと見なされれば、侯爵家は体面を失う。こちらから協力して娘を差し出せば、情状酌量の余地も生まれる。侯爵家の体面は保たれるのだ」


「そんなこと、私は知りませんわ!早くマーガレットを返してちょうだい!」


娘を目の前で連れて行かれ、アイーダの瞳は涙に潤んでいた。

必死に感情を押し殺そうとしているが、震える指先がその動揺を隠しきれていない。


だが、その隣に立つ侯爵の顔には、同じ色の悲嘆は浮かんでいなかった。

あるのは、状況を秤にかける者特有の、どこか計算めいた冷たさだけだ。


「……お前だって、何年も夜会に出られない暮らしは辛かろう」


諭すような声色でそう言われ、アイーダは縋るように顔を上げた。


「……でも、あの子が言っていた通りよ。悪いのは、マーガレットを唆したラウなの!お願い……マーガレットだけでも助けて。あなたが動けば、すぐに解放されるでしょう?」


感情のままに言葉を重ねる妻の手を、侯爵はそっと取った。

慈しむ夫のように、やさしげに包み込み、静かに頷いてみせる。


だが、その視線の奥で、思考はまったく別の方向へと滑っていた。


(……まったく、相変わらず騒がしい女だ……だが、好都合でもある。問題ばかり起こすあの娘の顔を、しばらく見ずに済むのだからな)


侯爵の口元に、わずかにも感情は浮かばない。


(今は、こんな面倒事にかまけている場合ではない。それに『ヘーゼル』だったか……魔物避けを作るという、あの薬師の女……)


記憶の中の名を反芻しながら、冷ややかな計算が巡る。


(偶然とはいえ、魔物に襲われた、か……。もし、その女が死んでいれば、こちらの手間も一つ減ったというのに……)


わずかに、胸の奥で舌打ちに近い感情が生まれる。


(それが叶わなかったのは、実に残念だ……)


侯爵の内心は、黒い思惑で満ちていた。

だが表情はあくまで穏やかに、妻の肩を抱き、静かに宥める。


「アイーダ、落ち着け。相手は無傷で発見も早かった。大事にはならないだろう。マーガレットは多少の謹慎ですむはずだ。すぐに戻って来るだろう」


「本当ですの?」


不安に縋るような問いに、侯爵は迷いなく頷く。


「安心しろ。大丈夫だ」


その言葉とは裏腹に、侯爵の思考はすでに次の手へと移っていた。


(ラウ……例の執事は都合よく駒にしよう。魔の森に行かせて、あの男を黙らせばいい。表向きは『調査のための派遣』とでも称しておけばいい……)


侯爵はそっと妻の手を握り、夫としての顔を作る。

だがその瞳は澱んで一点を見つめ、冷たい決意を秘めていた。


「さあ、アイーダ。マーガレットが戻るまでに、家の体裁を整えておけ。客人への接待、記録類の整理、そして何より外聞を気にすることだ。こちらにも、いくつか手筈を整えておく」


「わかったわ……」


まだ目元に不安を残しながらも、アイーダは侯爵の落ち着いた口調に抗えず、小さく頷く。

すぐに使用人へ指示を飛ばし、慌ただしく準備に取りかかった。


その背中に、侯爵はそっと手を添える。

慰めるような仕草。

だが、僅かな温もりはない。


アイーダが去ると、侯爵は微かに唇を引き結んだ。

その表情からは、もはや夫としての柔らかさは消えている。


(外聞さえ整えておけば、あとはどうとでもなる。娘も、執事も……使えるうちは使い、不要になれば切ればいい)


侯爵の視線は、静かに宙を彷徨い、やがて冷たく定まった。

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