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……運ばれている。
体が地面から浮き、荷物のように担がれる。
揺さぶられるたびに肋骨が圧迫され、呼吸は浅く乱れていく。
鼻を突くのは埃と湿った木の匂い。
遠くで軋む扉の音、閉ざされる気配。
「……ここは……?」
震える声がもれた瞬間、荒々しく口元に布が押し当てられる。
鼻腔をつんざく甘ったるい匂いが肺に流れ込む。
(これは!……)
その薬草の正体を知っているヘーゼルは慌てて息を止めたが間に合わず、抵抗する間もなく意識は暗闇に呑み込まれていった。
……どれほど時間が経ったのか。
冷たい石床の感触が背中を刺し、意識がゆっくり浮上する。
だが、頭は布で覆われ、視界は真っ暗なまま。
縛られた両手首には縄の食い込みがあり、わずかに動くだけで擦れた痛みが走る。
鼓動が耳の奥で早鐘を打つ。
「目が覚めたのね、ヘーゼル・ガゼット。なかなか目覚めないから、死んでしまったのかと思ったわ」
カツン……冷たい靴音が石床に響く。
ここはどうやらどこかの建物内のようだ。
低く湿った声とともに、布が乱暴に取り払われる。
瞬間、差し込む月明かりに浮かび上がったのは、真紅のドレスを纏った女性、マーガレットだった。
「マキュベリー侯爵令嬢……!」
その名を口にした途端、背筋を氷柱で貫かれるような感覚が走る。
ドレスの裾が揺れるたび、赤黒い影が壁を這い、空気が重く淀む。
「ふふ、アクオス様の近くをうろついて……ずいぶんいい気になっているじゃない。身の程を教えて差し上げようと思ったのよ」
「そんな……私は、何も……!」
必死に訴えるが、ヘーゼルの声は震え、弱々しい。
マーガレットの鋭い眼差しが、胸を押し潰すように迫る。
「黙りなさい!」
甲高い怒声がこの場を震わせる。
「これはちょっとしたお仕置きよ。怖い思いをすれば、もうアクオス様に近づこうなんて考えなくなるでしょう?このまま朝まで一人でここにいなさい。これに懲りて、アクオス様に今後、近づこうなんて考えないことね。次は本当に何が起こるかわからないわよ。」
そう吐き捨て、マーガレットは従者に軽く手を振ると、冷ややかな笑みを残して建物の外へと歩き去った。
鉄の扉が軋む音とともに閉ざされ、ヘーゼルは重苦しい沈黙と孤独の中に取り残される。
(どうしよう……)
ヘーゼルの背筋に冷たい汗が伝う。
縄で縛られた手首の痛み、冷たい石床の感触、そして胸を締めつける恐怖。暗闇に包まれた空間で、ヘーゼルは逃げる方法を必死に探った。
なかなか解決策もなく、時間だけが無情に過ぎていった。
縄に擦れた手首は赤く腫れ、冷えた石床が体温を奪っていく。
ヘーゼルは唇を噛みしめ、瞼を閉じた。
半ばあきらめかけた時、外から大きな鳴き声が聞こえた。
「……ギシャァァァァッ!」
耳をつんざくような咆哮とともに、外から壁を引き裂くような音が響き、大きな塊が建物の中に入ってきた。
(魔物……!?まさか、ここに……!?)
縄がかかった震える手で何とかポケットから小瓶を取り出す。
それは完成させたばかりの見本で持ち歩いていた魔物避けの薬だった。
「早く!早く!……お願い……効いて……!」
震える手でその薬を壁に投げつけると、瓶が割れて広範囲に飛び散った。
瘴気を纏った影がずるりと壁の穴から押し入ってくる。
熊ほどの大きさで、腐ったような溶けた皮膚に赤黒い眼光。
それは、こちらにゆっくり進んできたが、投げつけた薬の匂いをかぎ取り、唸り声をあげ薬の匂いを嫌がるように後ろに下がり身をよじった。
「効いてるっ……!でも、この量じゃ……長くはもたないわ……!どうすれば……」
薬の効力により、一旦は魔物との距離が取れたものの、魔物は執拗にこちらに来ようとする。
ヘーゼルは必死に周りを見回し何か武器になる物を探した。




