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俯いたまま思案に沈んでいると、廊下の奥から駆けてくる足音が響く。
「ヘーゼル!ここにいたのね?ごめんなさい、約束の時間に遅れちゃって!」
現れたのは、ポニーテールを高く結った、ヘーゼルより少し背の低い女性。
ドレスではなく、凛々しい騎士服に身を包んでいる。
ヘーゼルは思わず顔を上げ、その端正な顔立ちに目を見張った。
(どなたかしら?……全然見覚えはないけれど……助けてくださろうとしている?……)
「まあ皆様、ヘーゼルを囲んで何をなさっているのかしら?彼女は私のお客様よ。何かご用かしら?」
女性は軽やかにそう告げると、自然な仕草でヘーゼルの前に立ち、令嬢たちとの間にすっと割って入った。
「ヨーデル様……」
マーガレットがその名を呟いた瞬間、令嬢たちの表情が強張り、気まずげに後ずさる。
「マキュベリー侯爵令嬢。ずいぶんとヘーゼルを問い詰めていたみたいね。……代わりに私が答えて差し上げましょうか?」
そのやり取りに、ヘーゼルは緊張で喉を鳴らした。
「い、いいえ……ただ、カイロス様と仲良くしていらしたので、どういうご関係かと思っただけですわ」
「……そう。無理もないわね。ヘーゼルは滅多に王都に出てこないから、ご存じない方も多いでしょう。でも、彼女は私の昔なじみの……友人なの」
「そ、そうでしたの……だからカイロス様とも自然にお話ししていたのですね。早くそう仰ってくだされば……」
マーガレットとその取り巻きは、悔しげにヘーゼルを睨みつける。
「あら、それは仕方ないでしょう?あなた方の態度では、とても口を挟める雰囲気ではなかったもの」
「……ヨーデル様。いくらカイロス様の婚約者であっても私は侯爵令嬢ですわ。お言葉には気をつけてくださいませ」
マーガレットは、恥をかかされた屈辱を晴らすように、急に尊大な態度を取り戻した。
だが、ヨーデルは一切動じない。
むしろ、ふんと鼻で笑い、余裕の笑みを浮かべる。
「ええ、確かに。けれど……残念ね、マーガレット様。位の話をするならば、あなたとの関係は、そう長くは続かないわ。まもなく私の方が、上位になるのだから」
カイロスは、ヨーデルと結婚すれば、母方の侯爵家を継ぐことが決まっている。
しかもその侯爵家は、マーガレットの侯爵家よりも序列が上だ。
つまり、
カイロスの妻となるヨーデルは、必然的にマーガレットよりも高い立場に就く。
二人の結婚が成立した瞬間、序列ははっきりと上下に分かれる。
「くっ……!皆様、もう行きますわよ!こんな話の通じない方とお話ししたところで、何も楽しくありません!」
マーガレットは鼻を鳴らしドレスの裾を翻して出口へ向かう。
取り巻きの令嬢たちも、気まずそうにヨーデルへ一礼し、慌ただしく後を追った。
会場に残されたヘーゼルは、ようやく胸の緊張がほどけていくのを感じた。
「あ、あの……助けていただき、本当にありがとうございました……その……」
「ふふっ、いきなり出てきて『友達』呼ばわりは少々無理があったわね!」
ヨーデルは軽快に笑い、姿勢を正す。
「改めてご挨拶するわ。ヨーデル・カンサスよ。第二騎士団の副団長で、カイロス・メレドーラの婚約者です」
「まあ……カンサス伯爵令嬢でいらっしゃいましたか。はじめまして、ヘーゼル・ガゼットでございます」
深々とお辞儀をするヘーゼルに、ヨーデルは肩をすくめてみせる。
「いいのよ。そもそも、あんな場所でカイロスが大声を張り上げるのが悪いのだから!もし、あなたに傷でもつけられていたら……カイロスは、アクオス様に殺されていたでしょうね!」
ヨーデルは腹の底から愉快そうに笑った。その姿は堂々として眩しく、ヘーゼルには輝いて見えた。
「正直、どうすればよいかわからず……本当に救われました。感謝いたします」
「気にしないで。そもそも、私もヘーゼル嬢にお会いしたいと思っていたのよ。薬学の助教授をされているとか?私も薬学は好きなの。でも……センスがなくて。結局、騎士の道に進んでしまったのだけど……」
「薬学お好きなのですか?」
「ええ、あなたの本を読んだことがあるわ。素晴らしい研究をされていると思っていたの。ナーラスがね、あなたに会って話をしたってわざわざ私のところに自慢しに来るのよ。正直、ちょっと悔しかったわ」
あはは、と気持ちよく笑うヨーデルの声に、ヘーゼルも自然と心が和んだ。たったこれだけの会話なのに、ヨーデルの人柄がぐっと身近に感じられる。
「カンサス伯爵令嬢……」
「もう、そんな他人行儀な呼び方はやめて。だって、私たち昔からの友達じゃない?私のことはヨーデルって呼んでちょうだい」
ヨーデルは、どこか無邪気さを帯びた、いたずらっこのような笑みをにやりと浮かべた。
「……では、私もヘーゼルとお呼びください」
「ええ、ありがとう、嬉しいわヘーゼル!」
「ふふ、私もお友達ができてうれしいです、ヨーデル様」
「様はいらないわよ……私だけ呼び捨てって、なんだか嫌だわ」
「……わかりました。では……ヨーデルと」
そんな話を二人でしていると、廊下の向こうから呼ぶ声がした。
「ヘーゼル嬢……と、ヨーデルさん?」
振り返ると、アクオスが立っている。
「あら、アクオス様、こんにちは。今ちょうどヘーゼルと友達になったところなの」
「……友達?」
予想外の言葉に、アクオスの眉がぴくりと動く。
「ええ、そうよ。……じゃあ、ヘーゼルにお迎えも来たみたいだし、私行くわね」
「あの、ヨ、ヨーデル……ありがとう……」
ヘーゼルがおずおずと礼を言うと、ヨーデルは満面の笑みで「じゃあね!」と手を振り、風のように走り去っていった。




