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……その頃、花祭りの意味など一切知らないヘーゼルは、湯殿で極楽すぎるマッサージを受け、すっかり骨が抜けたような状態になっていた。
(き、気持ちいい……公爵家には、マッサージ専門の侍女さんまでいるのね……身体が蕩けていく……このまま眠ってしまいそう……)
そう思っていたすぐに、ヘーゼルはそのまま深い眠りに落ち、サキレスが部屋まで運んでくれたことすら気づかず、久しぶりに朝までぐっすり眠った。
目を覚ましてすぐ、近くにいた侍女に話を聞き、色々やらかしたことを知ったヘーゼルの朝は忙しかった。
まず、昨日湯殿で眠ってしまった失態の謝罪から始まる。
さらに、公爵様に寝たまま部屋まで運んでいただいたことへの羞恥心をサキレスに謝る必要もあり……。
そこへ、ナーラスが「助教授の薬草園に一緒に連れて行ってほしい!」と駄々をこね、シャナが「竜に乗れないからナーラスは無理」と宥めてくれるなど、なかなかに時間を取られ、調査部へ向かう予定の時刻は大幅に遅れてしまった。
今日は、いつアクオス様から連絡があるかもわからず、なんとなくそわそわして研究に集中できない。
(竜に乗れるなんて……奇跡みたい……空の上ってどんな感じなのかしら?竜は見た目は硬そうで重そうだけど……それは実際どれくらいの速さなんだろう……)
そんなことを考えていると、廊下を歩く人の話が耳に入ってきた。
『おい、さっきまた竜騎士団が飛び出して行ったぞ。これで、今日は三回目だってさ』
『おいおい、本当か?……最近、異常に魔物が増えてるな……』
『本当にな。しかも、また異形種らしいしぞ。この国、大丈夫か?』
『竜騎士団がいれば大丈夫だろうけど、同時に発生したら大変だな』
『早く原因がわかるといいな』
『うちの上層部が寝ずに調べているらしいぞ』
『狂った塔か……あそこは特別だからな。きっと解決してくれるだろう』
(狂った塔って、たしか……師匠をはじめ、いろいろな分野の教授がいる建物のことよね?まあ、確かに全員癖の強い研究者ばかりだけど……ここでは結構な言われようのようね……)
『ははは、確かにな!あそこなら間違えない』
男性二人の声を聞きながら、ヘーゼルは竜騎士団が大忙しだと知る。
(そんなに忙しいなら……今日はアクオス様は無理かもしれないわね……)
そう思っていた矢先、ノックの音とともに扉が開いた。
「ヘーゼルさん、お待たせしました!」
「……ダミアン様?」
顔を出したのは、竜騎士団で最年少の騎士、ダミアンだった。
彼の相棒である黄色い鱗の竜・ジルとは、ヘーゼルも少しだけ親しい。
「ご無沙汰しています! 団長は後ほど合流しますが、今日は俺の竜でお送りしますね。竜王のブラッドが来ると、ほかの竜たちが落ち着かなくなってしまうので……別行動になってしまい、すみません」
「まあ!ジル君に乗せいいただけるのですか?」
「はい、ヘーゼルさんとジルが一番親和性が高そうなので、ジルに騎乗してもらいます。団長から色々と(煩く)注意は受けていますが、安心してください。きちんとお送りします!」
「あ、あの。今日、討伐が三回あったと聞きましたが……」
「ああ、そんなに時間はかからなかったので、あれくらいは大丈夫です。では、行きましょうか?」
「あ、はい……よ、よろしくお願いします」
本当に騎士団は優秀らしい。
異形種の魔物の討伐を『それくらい』ですませられるらしい。
ヘーゼルは小さくまとめた荷物を手に取り、ダミアンに従って部屋を出た。
廊下を抜けると、目の前にはジルが悠然と立っていた。
筋肉質で大きな体、濃い黄色の鱗の綺麗な輝き……。
「ジル君、こんにちわ。今日はよろしくお願いします」
ジルへ挨拶をすると、ジルが歌うように喉を鳴らす。
ヘーゼルは心臓が高鳴るのを感じた。
だが、やはり、近くにいる竜は恐ろしく大きい。
(緊張するけど……ジル君がせっかく乗せてくれるんだから……しっかりしなくちゃ……!)
ダミアンがにっこり笑い、手を差し出す。
「じゃあ、ヘーゼルさん、こっちに手をかけて……よし、乗れましたね。では、出発です!」
ヘーゼルは深呼吸をし、少し震える手で鞍を握りしめた。
一気に視界がぐっと高くなる。
心臓の鼓動が耳に響く。
(空……どんな景色が見えるのかしら……そして、私、本当に飛ぶのね……!)
ジルが力強く跳ね、空へ舞い上がった瞬間、ヘーゼルは思わず声を上げた。
「わあ……!」
風が頬を打ち、木々や建物がどんどん遠ざかる。視界いっぱいに広がる空、輝く太陽、そして下界の景色……。
(すごい……これが、空の世界……!)
ヘーゼルの胸は、驚きと喜びでいっぱいだった。
竜のスピードは、彼女が想像していたよりもはるかに速く、耳元で風がゴウッと唸る。
しかし、ジルの飛び方は安定していて、ブレが少なく、まっすぐに進むため揺れはほとんどなかった。
ジルの後ろにはカルビン様がついてきており、彼の竜、ラグも楽しそうにジルの横を飛んでいる。
カルビンは竜に騎乗しながらヘーゼルに片手を上げて挨拶をする。
ヘーゼルも何とか頭を上げて挨拶を返す。
二頭の竜は、空を舞うことそのものを心から楽しんでいるかのようで、その無邪気な様子がヘーゼルにも伝わってきた。
緊張でこわばっていた顔は次第にほぐれ、やがて満面の笑顔に変わる。
自然と手に力が入り、空中を駆ける風を受けながら、ヘーゼルは初めて味わう飛行の楽しさに心を躍らせた。
しばらくすると、下界に見覚えのある湖が見えてきた。
日の光が湖面に反射してキラキラと輝き、風に揺れる波がさざめきあっている。
空から眺める湖も、地上から見るのとはまた違った美しさだ。
竜たちはゆっくりと高度を下げ、湖畔に着地する。
すると、薬草園の方から男性が、こちらにゆっくりと歩み寄ってきた。




