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ヘーゼルとナーラスは、いま、シャナが用意してくれた小部屋で向かい合って立っていた。

机の上には、すり鉢や薬草、数種類の瓶が整然と並んでいる。


「助教授、では、この薬草は……七対三で入れるのですね?」


ナーラスは眉をひそめ、真剣なまなざしで手元を見つめている。


「ええ、そうです。あ、待ってください」


ヘーゼルが素早く手を伸ばし、彼の動きを制した。


「そのぐらいで止めてください。それ以上擦り潰すとアクが出て、保湿の効果が弱まってしまいます」


「はい、わかりました……それで次は……?」


ナーラスは慎重にすり鉢から手を離し、すぐにノートへ書き留める。ペンを走らせる姿は、学者そのものだった。


「はい。ここで調香したものを加えます。少しずつ、そう……香りがやや強いかな、というぐらいで止めましょう」


「はい……このくらいですか?」


「ええ、まずはそのぐらいで」


「ここは、強く練っても大丈夫ですか?」


「ええ、大丈夫です。ここは速さが大事。もっと手早く……」


ナーラスの額にうっすらと汗が浮かぶ。


「……どうでしょう?香りが強すぎますか?」


「いえ、これぐらいがちょうど良いです。少し時間が経てば落ち着きます。明日の朝、もう一度香りを確認してください。仕上がりがはっきりわかりますよ」


「なるほど……では次は保湿液でしたね。材料を教えてください」


ノートを抱え、食い入るように聞き耳を立てるナーラス。

本当に、よくできた生徒だ。

ヘーゼルは思わず頬を緩める。


「次は……」


自然と声が弾み、彼女の説明にも熱がこもる。


「……次は、また明日だ」


低く割って入る声に、二人はびくりと振り向いた。


扉に寄りかかり、腕を組んでこちらを見ているのは、そこに立っているだけで絵になるアクオスだった。


「アクオス様……!」

「アクオス叔父さん!」


「ナーラス、」


アクオスは眉をひそめる。


「なぜ、ヘーゼル嬢を公爵家に泊まらせるのか、その意味が分かっているのか?」


「え、えっと……?」


彼は長い足でゆっくりと歩み寄る。

靴音が床に響く。

数歩でナーラスの前に来ると『はあ~』とため息をつき、ナーラスの頭を大きな手で雑にぐりぐり撫でた。


「ヘーゼル嬢が働きすぎないためだ」


「……でも!アクオス叔父さん!」


ナーラスは必死に食い下がる。


「これは僕の仕事になるんだ!だから、早めに助教授に基礎を教えてもらわないと……明日では遅すぎるよ!」


「ダメだ」


アクオスはきっぱり言い放つ。


「もう夕食の時間だ。すでに全員、食堂に集まっている」


その言葉に一番慌てたのは、ヘーゼルだった。


「大変!皆様がすでにお集まりに!?いけない、夢中になりすぎてしまったわ!ナーラス様、行きましょう!」


「え!?助教授!?」


困惑するナーラスの声が、部屋に響き渡った。

ヘーゼルにしてみれば、通常なら研究を優先したいところだ。

だが、ここは公爵家。

偉大な家名の前には、逆らうよりも従うのが賢明だと、彼女はすぐに立ち上がった。


「ヘーゼル嬢、ご案内しましょう」


アクオスは、ごく自然な所作で腕を差し出す。

その動作には、女性をエスコートすることに慣れた気品が漂っていた。

ヘーゼルは一瞬ためらったが「郷に入っては郷に従え」と小さく心でつぶやき、静かにその腕を取った。


「行くぞ、ナーラス」


ヘーゼルと並んだアクオスはナーラスに声をかける。


「……わかったよ」


肩を落としながらも、ナーラスは真剣な瞳でヘーゼルを見やる。


「助教授、また明日の夜、続きを教えてください」


「ええ、もちろんです」


柔らかく微笑むヘーゼルに励まされ、ナーラスはわずかに口元を引き上げると、二人の後ろに従い部屋を後にした。


その日のディナーの席には、前公爵ワイアット様、ラグーナ様、サキレス様、シャナ様、アクオス様、ゼルダ様、そしてナーラス様。

その中に新しく加わったのが、ただの子爵令嬢にすぎないヘーゼルだった。


結果、圧倒的に顔面偏差値の高い面々の中に、普通のヘーゼルが一人放り込まれるという縮図が生まれ、周囲の眩しさに目が潰れそうになっていた時にヘーゼルへ声がかかった。


「助教授、あなたの研究書をいくつか読ませていただきましたよ。大変興味深い研究をされていますね。特に素晴らしかったのは、炎症薬について書かれたものでした」


柔らかな笑みを浮かべながらそう言ったのは、前公爵ワイアット様だった。


「……ワイアット様、あの研究をお読みくださったのですか?たいへん光栄です」


思わず背筋を正すヘーゼル。

まさかワイアット様に自分の論文を読まれているとは想像もしていなかった。


「体内で自らが引き起こした炎症が薬を与えることにより、かえって本人を傷つけるという部分には驚かされました」


「お爺様、あの教授の本は本当に素晴らしいですよね!僕も夢中で読みました!」


ナーラスが瞳を輝かせ、ワイアットの言葉に割って入る。

その熱意に、さすが薬学科の生徒だとヘーゼルは嬉しくなった。


「……あれは、偶然にたどり着いた答えです。実は、私には師匠がおりまして。師匠の研究を手伝っていた折に、ほんの小さな違和感から……」


ヘーゼルが言葉を選びながら語り始めると、食卓に並ぶ華やかな料理も忘れたように、一同の視線が自然と彼女へと集まっていった。


ヘーゼルの声は控えめだが、情熱がこもっていた。

普段は控えめな彼女の目が輝き、言葉に熱を帯びるのを誰もが感じ取った。


「なるほど……偶然の発見から、そんな重要な結論に至ったのですか」


ワイアット様の声には感嘆が混じっていた。

彼の眉がわずかに上がり、ヘーゼルを興味深げに見つめる。


ラグーナ様も口を開く。


「偶然に頼るだけではなく、ちゃんと仮説を立てて検証したのでしょう?その慎重さがまた、学者らしいですね」


「はい……師匠の指導のもと、細かい部分まで何度も確認した結果でした」


ヘーゼルは少し頬を赤らめながら答える。


ナーラスは満面の笑みで、「助教授って、やっぱりすごいんだな!」と感激を隠せない様子だった。

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