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「まあ、まあ!いらっしゃい、ヘーゼルさん!」
驚いたことに、屋敷の正面玄関では前公爵夫人ラグーナと、現公爵夫人シャナが、まるで舞踏会の主役を迎えるかのように満面の笑みを浮かべて待ち構えていた。
「ラグーナ様、シャナ様、この度はご迷惑を……」
ヘーゼルが慌ててカーテシーを取ろうと腰を折った瞬間、ラグーナが素早く腕を絡め取ってきた。
「そんな堅苦しい挨拶は不要よ。さあ、中へいらして。お茶の用意をしているわ」
「え、あの……」
「話はお茶を飲みながらしましょう」
にっこりと微笑み、目で圧をかけてくるラグーナに、ヘーゼルは何も言い返せず、そのまま屋敷の奥へと引き込まれていく。
後ろを振り返れば、同じく柔らかな笑顔を浮かべるシャナと、シャナの横にいる若い令嬢が静かに後ろからついてきていた。
(あ……もしかして、お若いこの方が剣の腕に長けているというアクオス様の姪御さんかしら……)
ふと、そう思案しているうちに、一行はこじんまりとしながらも温かみのある部屋へ到着した。
磨き上げられた木のテーブルに淡いピンクのクロスが掛けられ、陽射しが柔らかく差し込んでいる。
「さあ、ヘーゼルさん。こちらにおかけになって」
ラグーナに促され、なぜか上座に座らされるヘーゼル。
「ラグーナ様、私はそちらの席で……」
遠慮がちに言いかけたところ、ラグーナがにこりとした笑みを浮かべただけで、その言葉を封じた。
(な、なぜか……ラグーナ様の笑顔の裏に、ものすごい圧を感じる……!)
結局、抗えずにその席へと腰を下ろす。
やがて全員が席に着くと、シャナが澄んだ声で口を開いた。
「まずは、ヘーゼルさん。この度は私たちを助けていただき、心より感謝申し上げます」
そう言ってシャナは、完璧な所作で深々とカーテシーをした。
シャナのしなやかな動作はこの国で最も美しいカーテシーと呼んでも差し支えないだろう。
それに続いて、若い令嬢も同じように深々と頭を下げた。
「い、いけません!シャナ様は公爵夫人です。私ごときに、そんなこと……!」
子爵令嬢であるヘーゼルには、あまりに衝撃的で思わず席を飛び出し、シャナの前に駆け寄ってしまう。
だが、公爵夫人に無断で触れてよいはずもなく、両手を宙に浮かせてオロオロするばかり。
シャナはゆっくりと顔を上げ、その狼狽ぶりを見て、ふっと口元を綻ばせた。
「そんなに慌てないで、ヘーゼルさん。これは私たちからの感謝の気持ちです。あの時、あなたの栞がなければ、私はここにいなかったわ」
シャナの言葉に、隣の令嬢が潤んだ瞳で彼女を見上げる。
その視線を受け止めたシャナは、ふと何かに気づいたようにヘーゼルの方を向いた。
「ヘーゼルさんには、まだ紹介していなかったわね。先日はこの子、遠征に出ていて不在だったから。……私の娘のゼルダです」
アクアマリンの澄んだ淡い青い瞳が、涙を帯びてきらめき神秘的な光を放っている。
ヘーゼルは思わず、その瞳に吸い込まれそうになった。
(なんて綺麗な瞳……まるで宝石のようだわ……レイの瞳に似ている……)
またもやレイの面影を重ねてしまう自分に、胸が少し締め付けられる。
「ヘーゼル様、はじめまして。私はメレドーラ家の長女、ゼルダ・メレドーラです。アクオスお兄様からお話は聞いているかと思いますが、今は学園の騎士課に通っています。将来は王妃様を守る騎士になるのが夢です!」
先ほどの潤んだ瞳は、今や熱意で輝きを増していた。さすが騎士課に通うだけあり、ゼルダは凛々しく、はきはきとした口調で話す。
自分より年下の堂々とした夢の宣言に胸を打たれ、ヘーゼルは思わず拳を握りしめ、身を乗り出すようにして全力で声を張り上げた。
「素晴らしい志ですね!アクオス様から剣の腕前が優れていると伺いました。きっと王妃様を近くでお守りできる日がきます!」
その真っ直ぐな応援に、ゼルダの頬がほんのり紅潮し、瞳がさらに輝きを増す。
一方、テーブルの端ではラグーナとシャナが顔を見合わせ、抑えきれぬようにクスクスと笑い出した。
「よかったわね、ゼルダ。久しぶりに心から共感してくれる方に出会えて」
ラグーナの柔らかい声に、ゼルダは恥ずかしそうに肩をすくめつつ、誇らしげに微笑む。
その光景に、ヘーゼルの胸もじんわりと温かくなった。
「さあ、挨拶が終わったなら、どうぞお席について」
振り向くと、テーブルの上には先ほどなかった色とりどりのデザートが所狭しと並び、カップからは温かな湯気がふんわり立ち上がっている。
ヘーゼルは目をぱちくりさせながら、そろりと席に戻る。
「さあ、ヘーゼルさん。先日はあまりお話できなかったから、色々聞かせてほしいわ」
「ラグーナ様……」
「まずは、シャナが直接お礼を述べましたが、私からも。ヘーゼルさん、シャナとゼルダをお守りくださりありがとうございました。二人に怪我でもあったら、今頃メレドーラ家はどうなっていたか……少なくとも、サキレスがどんなことをしでかしていたか……」
ラグーナは、何かよからぬことを想像したかのようにブルリと震える。
いったい、サキレス公爵が何をするというのだろうか……。
ヘーゼルは即座に、この話は聞いてはいけないやつだと勘が働き、スル―をすることにした。
「いえ、あの……あの栞は偶然の産物と申しますか……意図してお贈りしたものではなく……もちろん、あの栞でシャナ様とゼルダ様が助かったのは喜ばしい限りですが……」
「あら、いずれにしろ、あの栞で私たちが助かったのは事実です。しかも聞くところによると、現在魔物よけの薬を作るご研究をされているとか?アクオスからの依頼で、ご自宅にも帰れないと聞きました。そこまでヘーゼルさんがこの国のために動いてくださっているのですもの。公爵家の私たちが、ヘーゼルさんの身の回りを整えるのは当然のことです。だから、そんなに謙遜しないで」
シャナは真っ直ぐにヘーゼルを見つめる。
ヘーゼルは、その強い眼差しを受け止め、頭を下げる。
「あ、ありがとうございます。早く、魔物よけが出来上がるように……頑張ります……」
シャナの真っ直ぐな賞賛に照れながら、ヘーゼルはぺこりと頭を下げた。
「そうね、私たちもヘーゼルさんの仕事が順調に進むように頑張るわ。足りないことがあったら遠慮なく何でも言ってちょうだいね。……ところで、アクオスはこちらに来るとか言っていたかしら?」
「……え?いえ、特には聞いておりませんが?」
「そう……ダメな子ねえ……いいわ、その件はこちらから伝えておくわ」
「え?あ、はい?」
ヘーゼルは、ラグーナの言う『その件』がどの件かさっぱりわからなかったが、とりあえず頷いた。




