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マキュベリー侯爵のカールは、深くフードをかぶり、その影から上目遣いに建物を見上げた。


場違いなほど、けばけばしい装飾のクラブ。

貴族の嗜みとは到底呼べぬ、煙と酒と女で成り立つ社交場だ。

好んで来るはずもない。だが、呼び出されたのがここでは致し方ない。


建物に入った瞬間、パイプ煙草のむせ返るような煙が漂い、鼻につく酒の匂いと商売女のきつい香水の匂いが入り混じって押し寄せる。

耳には下卑た笑い声や金勘定のざわめき。


「なぜ、わざわざこんな安っぽい場所で……」と、心の中で吐き捨てながら、カールは奥へ進む。


やがて重厚な扉の前にたどり着く。両脇に立つのは大柄な護衛。いかにも平民上がりの傭兵といった風情で、貴族的な気品は皆無だ。

カールは鼻で笑いながら胸を張り、自分の名を告げる。


やがて、もったいぶった仕草で護衛が扉を押し開けた。

苛立ちを隠さぬまま、カールは中へと足を踏み入れる。


「待ったぞ、カール」


低く笑う声。

室内の主マーカスが、女を従えた姿でソファに腰掛けていた。


「お前が遅いから、代わりに女どもと遊んでいたが……どうにも退屈な女がいてな。だから今さっき、二人まとめて窓から捨ててやったところだ」


マーカスは唇の端をゆるく吊り上げ、まるで食後の談笑でもするかのように軽く言い放った。


「お前がもう少し遅れていたら、この女も退屈ゆえに捨てるところだったぞ」


横に座らされた女は、蒼白な顔で小刻みに震えていた。

窓の外に消えていった仲間の末路を見てしまったのだろう。

恐怖に目を見開き、今にも悲鳴を上げそうだが、声すら喉に張り付いて出てこないようだった。


マーカスはそんな女の怯えなど気にも留めず、にやにや笑いながら肩を抱き寄せ、艶やかな黒髪の先を指に巻き付けては弄んでいた。

その仕草はまるで退屈しのぎで玩具をいじる子供のようで、むしろ残酷さを際立たせていた。


カールはマーカスが顎で示した窓に目をやり、言葉を失う。

ここは四階。生きて帰れる高さではない。

内心で顔を引きつらせつつも、表には出さぬように深く頭を垂れた。


(……まただ。やはり、この男の気まぐれには誰も抗えぬ)


心の底で顔が引きつるのを必死に抑え込み、外には一切出さずに深々と頭を垂れる。


「申し訳ございません……土産をご用意していたもので、少々遅れてしまいました」


そう言ってカールは深く頭を下げる。


「……ほう」


マーカスは女の髪を弄んでいた指を止め、じっとカールを見据える。

その眼差しは獣が餌を値踏みするかのようだ。


「私を満足させられるものだろうな?」


「はい。必ずや」


カールは、羊紙に包んだ包みを両手で差し出した。

マーカスは唇の端をゆるりと歪め、獰猛な笑みを浮かべてそれを受け取る。


「……ふん」


次の瞬間、彼はもう用済みだと言わんばかりに、膝の上の女をぞんざいに押しのけ、無造作に部屋の外へ追い払った。

女は半泣きでよろめきながら逃げて行く。


「例の種ですが……成功いたしました」


カールは恭しく頭を垂れ、羊皮紙に包んだ包みを差し出す。

指先には冷たい汗がにじみ、包みがわずかに湿っていた。


「……成果は?」


マーカスの声は低く、だが猛獣が喉の奥で唸るような響きを持っていた。


「二夜で花が咲くまで成長するよう……改良いたしました」


「ははは……素晴らしい」


マーカスは指先で包みを弄びながら、ゆっくりと唇の端を歪めた。


「花祭りまでに間に合ったか」


「はい。殿下が祭りの会場にいらっしゃると伺いましたので……研究者を倍に増やし、死に物狂いで仕上げさせました」


「研究者は?」


「まだ生かしてありますが……所詮、金で釣られた連中です。実運用が始まれば、魔の森に種を撒かせ……そのまま『処分』を」


「ははは……お前も容赦ないな」


マーカスは愉快そうに笑い、指先で包みを軽く弾いた。

その仕草ひとつさえ、獲物をもてあそぶ猛獣のように見える。


「だが良い。これは確かに価値がある……あの生意気な甥も、そしてお前が忌々しがるメレドーラも……いよいよ一緒に片づけられる機会がくるのだからな」


赤い舌で唇を舐めながら、マーカスの声は熱に浮かされたように低く笑いを含む。

室内の空気が、じわじわと黒く淀んでいくようだった。


「私が国王になった暁には……カール、約束通りお前は私の片腕だ。権力も、富も、女も、思うままに与えてやる……もう間もなくだ」


カールは頭を垂れたまま「光栄にございます」と低く答えたが、その胸の内は冷汗で濡れていた。


(……この男に賭けるしかないが……だが、本当に、大丈夫なのか……)


一抹の不安がよぎる。


あの日、マーカスから渡された種を育て、改良を行い、魔物の凶暴性と暴走を引き出させ、村を襲わせ、それを止めにくる竜騎士団や騎士団を魔物を誘導し、攻撃させてきた。

すでに、そこまでしてきたのだ。

もう立ち止まることはできない。


「そういえば……お前の娘にはまだ婚約者がいないのか?」


突然の話に、顔を上げる。


「え、ええ……お恥ずかしながら……」


「そうか。ならば、あの甥を亡きものにした暁には、私が測妃として娶ってやろう。どうだ?それならお前の地位も序盤だろう?」


マーカスは良いことを提案したと上機嫌だ。

カールは、一瞬、部屋の窓にチラリと視線を送ってから、正面にふんぞり返って座るマーカスに再度頭をさげた。


「……ありがとうございます。ですが、口煩い娘です。マーカス様には我慢がならんでしょう。お淑やかな娘であればよかったのですが……」


やんわりと娘の短所をあげて遠回しに断り謝罪する。


(娘を人質に取られるようなものだ……そんなことをされたら、もっと厄介なことが……そんな事はごめんだ……)


「……そうか、お前の娘は口煩いのか」


マーカスは顎を撫でながら口元を曲げる。


「はい、誠に申し訳ございません。せっかくご提案いただきましたが、うちの娘にマーカス様を支え、側妃として皆を導くことはできないと思います。マーカス様が王になれば、もっと賢く美しい女性がよりどりみどりでしょう」


「なるほど。まあ、この話は追々でもいいな……」


(……今後またこの話を蒸し返すつもりか……私が裏切らないようにするために……)


「……さて、そろそろ私もくだらない公務に行く時間だな」


「はい、では私もこれで失礼致します……」


「ああ、引き続き頼む」


「かしこまりました」


カールは先に部屋を出るマーカスを見送ってから、再びフードを深く被り部屋を後にした。

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