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「殿下! またどこをほっつき歩いているのですか!」
いきなり現れるなり王太子を叱り飛ばす男性に、ヘーゼルはびくりと肩を揺らし目を丸くする。
「まあまあ、サキレス落ち着け。私は今、大変有意義な昼食中だ」
「それは伺いましたが、問題は勝手に抜け出したことです!」
「悪かった。だが……どうしてもヘーゼル嬢の研究が気になってな……」
ザイルは肩をすくめ、悪びれた様子もなく続ける。
「ところでサキレス、一つ頼みがあるのだが?」
その言葉を聞いた瞬間、サキレスは嫌な予感しかしなかった。
「頼み?……」
眉をひそめ、警戒するようにザイルを見る。
「……また急に何を言い出すのですか。ああ、もし『しばらく休みが欲しい』などと言うつもりでしたら……」
大きく息を吸い込み、
「即刻却下です」
はあーーーっと、これでもかというほど盛大なため息を吐き、首を左右にぶんぶん振った。
「殿下は、つい先日も『少し静養を』と仰ったばかりでしょう。あのときも申し上げましたが、陛下の代行を務める者がどれほど忙しいか、ご自覚を……」
「違う違う、今回は私の休みの話ではない」
遮るようにザイルが手を振る。
「そうではなくてな……実は、アクオスから提案があってな……ヘーゼル嬢を泊めるなら、メレドーラ家がいいのではと」
(……え? な、何を勝手に……!?)
ヘーゼルは思わず口をぽかんと開けていた。
そんなアホ面のまま、ザイルとサキレスを交互に見ていると、サキレスがこちらに視線を向けてきた。
「……ヘーゼル嬢?」
サキレスの鋭い視線に射抜かれ、気の小さなヘーゼルはびくりと肩を揺らした。
思わず立ち上がり、深々とカーテシーをして名乗る。
「メ……メレドーラ公爵様……お初にお目にかかります。ガゼット領の領主、ダンカン・ガゼットの娘、ヘーゼルと申します。この度は、わ、私のことで、とんだご迷惑を……」
か細い声で早口に言い切った瞬間、ガタン、と椅子が引かれる音。
視線を向けると、アクオスが立ち上がり、迷わず彼女のもとへ歩み寄っていた。
「ヘーゼル嬢。迷惑をかけているのは私たちの方ですよ」
彼は横に並び、そっとヘーゼルの肩に手を添える。
「……サキレス、彼女を怯えさせるな」
その声にサキレスも、はっ!としたように目を瞬かせ、すぐに片腕を胸に当てて一礼した。
「ああ……ヘーゼル嬢、申し訳ない。私はサキレス・メレドーラ。……先日は、シャナと娘のゼルダを助けてくれてありがとう。心より礼を言う」
落ち着いた低音。
王太子に怒っていた時の鋭さとはまるで違う落ち着いた声。
「い、いえ……」
ヘーゼルは慌てて両手を振り答える。
「た、たまたまお渡ししたものが、意図せずお役に立っただけですので……お礼など、とんでもございません!ですが……シャナ様とお嬢様がお怪我なさらなくて、本当に良かったです」
二人が無事だったことを心から喜び、ヘーゼルはサキレスに向かって小さく微笑んだ。
しかし、その空気を壊すようにザイルが再び口を開く。
「……そんなわけで、だ。公爵家に泊まらせてはどうだろうか?」
サキレスはザイルを一瞬見てから、すぐに頷くとヘーゼルに向かって言った。
「もちろんです。ヘーゼル嬢、ぜひメレドーラ家に好きなだけ滞在してほしい。シャナも喜ぶし、こちらとしても礼をする機会ができる」
「えっ……い、いえ、そんな……!宿で全く問題なく……」
ここまで来てしまうと、否定しても流れを変えられそうにない。
それでもヘーゼルは、最後の抵抗を必死に試みた。
「師匠、助けて!」とベールの方を必死に見るが、ベールはまるで興味がなくなったかのように、優雅にスープを啜り、満足そうに咀嚼している。
ヘーゼルの切羽詰まった視線は、師匠の胃袋に完全にスルーされた。
サキレスとアクオス、顔面偏差値がやけに高い美丈夫二人に挟まれ、ヘーゼルに残された選択肢は「はい」と頷くこと以外になかった。




