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その時、
コンコン、と軽快なノック音が響く。
「失礼するよ!」
部屋の扉が勢いよく開かれ、朗々とした声と共にザイル殿下が姿を現した。
「……ザイル殿下……」
アクオスのこめかみがぴくりと動き、低く名を呼ぶ。
「おお、やはりここにいたかアクオス! ……ん? おやおや、これはまた面白い取り合わせだな」
にこやかに笑みを浮かべながら、ザイル殿下は師匠に視線を移す。
「久しぶりだな、ベール。まさかここで、我が国の二大公爵家のくせに、絶対に夜会に顔を出さないと悪名高い二人に同時に会うとは思わなかったぞ。ははは、これは珍しい」
「お久しぶりです、殿下。……耳の痛いことをおっしゃる」
師匠は口元をわずかに上げ、軽く頭を下げて挨拶した。
「……え……?」
ヘーゼルは思わず声を漏らす。
聞き間違いだと思いたかった。
「おや? ヘーゼル嬢は知らなかったのか?」
ザイル殿下が驚いたように目を丸くする。
「彼は今でこそ母方の旧姓、ケベック伯爵の名を名乗っているが、れっきとしたリカルド公爵家の次男だ」
「リ、リカルド……公爵家……?」
ぐらり、と世界が揺れるような感覚。
この狭い一室で、王太子殿下に、メレドーラ公爵家の三男、そしてリカルド公爵家の次男が揃っている。
この国で偉いとされる上位第三位までの王族と貴族がこの狭い空間にいるのだ。
(えーっと?……私はここで何をしてるんでしたっけ……?)
頭が真っ白になったヘーゼルは、その場で気を失いそうになった。
「いや、本当にこの状況は面白いな。悪剃酢を見かけたと聞いたから来てみれば……。ああ、そうか、そういえば忘れていたが、彼女はベールの弟子だったな」
「え、ええ、はい……弟子です……」
ヘーゼルは、どうにかこの状況をやり過ごそうと必死で殿下に答える。
「……で、アクオス。お前はなぜここに?」
「ヘーゼル嬢が、昼食も取らずにこの部屋に籠っていると調査部から報告を受けまして」
「ほう……心配で様子を見に来た、というわけか」
「……」
アクオスは返答を濁した。
そのやり取りを横で聞いていたベールが、ふいに口を開く。
「……まあ、たしかに。俺も腹が減ったな。ここの食堂は悪くない。ヘーゼル、行くぞ」
「えっ!?し、師匠がお腹が空くなんて……どこか具合でも悪いんですか!?」
研究者は食に無頓着なことが多い。
ヘーゼル自身、父がいなければ食事を抜いて研究に没頭する癖があった。
だからこそ、師匠が空腹を訴えるなど信じられなかった。
「お前な……俺だって人間だ。腹は減る。あの鉢植えも葉を出したことだし、今日は奢ってやる」
「し、師匠!?……そんな……!いよいよ雨じゃなくて嵐でもくるのでは……!?」
慌てるヘーゼルの耳に、背後から小さな舌打ちが聞こえた気がした。
「ヘーゼル嬢、私も今、休憩をとってきたので、ご一緒します。この研究は私が頼んだものです。もちろん昼食代はもとより、こちらで持つつもりでしたし……」
「そ、そんな……アクオス様にお手間をかけさせるわけには……」
アクオスとベールが互いを睨み合い、ヘーゼルはオロオロするしかない。
一方、ザイル殿下はというと、実に楽しそうにニヤニヤとその光景を眺めていた。
視線で「助けてください!」と訴えてくるヘーゼルを見て、さすがに殿下も笑みを緩めたまま声を上げる。
「では、私にいい考えがある。私もまだ昼食を取っていない。王宮に準備させてあるから、皆で食べないか? ついでにヘーゼル嬢の進捗も聞きたい」
「は、はいっ!ぜひそれで!!」
この状況の息苦しさに即答してしまったのは、もちろんヘーゼルだった。




