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ヘーゼルは、新しく植えた薬草の育ちが悪いことに首をかしげていた。

朝から薬草園に足を運び、膝をつきながら、葉の色や茎の伸び具合をじっと見つめる。


その種は、留守の間に師匠が「育ててほしい」と置いていったものだ。


師匠は薬学に関しては右に出る者などなく、この国における第一人者とまで称えられる人物。


だが不思議なことに、薬草を「育てる」ことだけはまるで駄目だった。

花の苗を枯らせ、芽吹いたばかりの薬草をしおれさせる天才……。

だから、育てるのはもっぱらヘーゼルの役目になっている。


ヘーゼル自身は、薬草を育てるのが好きだった。半分趣味、半分は生活の一部。芽吹く瞬間の喜び、葉を撫でると柔らかい感触、そうしたものに心を癒されてきた。



ある日。


領地に越してきたというひょろりとした男が、薬草園を訪ねてきた。

この人物こそ、ベール・ケベック教授。

この界隈では有名な教授なのだが、ヘーゼルにとっては後の「師匠」となる人物である。


その姿はひと目見て忘れられない。

ご飯をよく食べ忘れるらしく、痩せすぎて骨ばった体。

ぼさぼさのシルバーグレーの長髪に顔は隠れ、猫背のせいで身長も分かりづらい。

ヘーゼルよりは高い……かもしれない。少なくとも、顔をちゃんと見たことは一度もなかった。


声の響きからして、年はヘーゼルより上、けれど父よりは若い。そんな曖昧な印象。

だがヘーゼルは師匠の年齢などどうでもよく、特に気にしたこともない。


そんな師匠が訪ねてきた理由は単純だ。「薬草を分けてほしい、できれば種を渡すから育ててほしい」と言いながら、金貨三十枚を置いて帰っていったのだ。


金貨三十枚……

広めの平民の家が建つほどの大金。


「こ、これは受け取れないわ!」


慌てて師匠の家にお金を返しに行ったヘーゼルは……そこで目を疑った。


本と紙と器具が雪崩のように積み上げられた、カオスの住処。

足の踏み場もない惨状に思わず絶句し、そのまま掃除をする羽目になったのだ。


以来、師匠の助手というか世話係というか……そんな立ち位置で、彼の研究を手伝いながら師匠に直々に薬学を教えてもらっている。ちなみに、師匠が使う薬草のほとんどを育てるのはヘーゼルの役目だ。


ただし、厄介なのは、師匠の奇妙な「お礼」の習慣だった。

気づけばヘーゼルの鞄に金貨が忍ばされており、そのたびにヘーゼルは眉をひそめ、警戒を解かないようにしていた。


そんな日々の中で、いま目の前の薬草が育たない。

こんなに薬草が育たないことは今までなかったのだが……


「おかしいわね……水の量もちょうどいいと思うんだけど。なんで伸びないのかしら……」


本で調べた育て方は間違っていない。手順通りにやっている。それなのに芽はしおれ、茎は元気をなくす。

ヘーゼルは葉に顔を近づけ、表面の色つやを確かめる。


「太陽の当たりが悪いのかしら……?」


空を仰ぐ。雲ひとつない快晴。十分な光は降り注いでいるはずだった。


「それとも……土が悪いのかしら。栄養が多すぎる?それとも逆に足りない……?」


土を指先で軽くつまみ、感触を確かめる。湿り気も匂いも、決して悪くはない。


「……なのに、この薬草だけが育たない」


ヘーゼルは土を指先で転がしながら小さく唸った。

どう考えてもおかしい。水も日当たりも問題なし、肥料だってバランスは取れている。


「ふむ、その薬草はな……」


背後から、不意に声が落ちてきた。


「きゃあっ!?」


驚いて振り返ると、いつものぼさぼさ頭と猫背の影。

ベール・ケベック教授、ヘーゼルにとっては『師匠』が、まるで最初からそこにいたかのように立っていた。


「し、師匠!心臓に悪いです!」


ヘーゼルはドキドキする心臓に手をあてて自分を落ち着かせる。


「お前が気づかなかっただけだ」


「そんなことないです!さっきまでいなかったじゃないですか!」


ヘーゼルの抗議などどこ吹く風で、師匠はよれたローブの袖をひらひらさせながら薬草を覗き込んだ。髪に隠れて相変わらず表情は見えない。


「……この種は特殊だ。普通の土や水じゃ育たん」


「特殊……?でも、本にはそんなこと……」


「そいつに似たものはあっただろうが、この種については書いてない」


「……いやいや、じゃあどうやって育てるんですか!?」


「知りたいか?」


「当然です!そもそも育て方をご存じなら最初から教えてくれればよかったじゃないですか!」


「お前ならわかると思った」


「……本にもない種をどうやって育てろと……?」


師匠は少し間を置き、それもそうかと今気が付いたような顔をして、わざとらしく咳払いをした。


「その薬草は、生き物の気配を糧にする」


「……はい?」


「つまりな、人でも獣でも構わん。その傍に置いて、感情や気を浴び続ければ芽吹く。感情が動きやすい奴の近くに置くのをおすすめするぞ……万年怒っている奴や、喜怒哀楽が激しい奴なんてもってこいだな」


「なにそれ、怖いいんですけど!?」


ぞわっと鳥肌が立つ。ヘーゼルは思わず一歩下がった。


「だが効能は確かだ。育ちきれば、並の毒など一瞬で中和するだろう」


「そんな危ない育て方で!?」


「……まあ、育てるかどうかはお前の自由だがな。俺は様々な検証をしたいから育ててもらいたいが、お前にまかせる……」


そう言い残して、師匠はまたふらりと煙のように視界から消えた。

気づけば周囲に、薬草の香りと微かな風だけが残されていた。


「……どうしよう……なにこの薬草。……え?本当に薬草よね……ほんっっと、師匠って人騒がせなんだから!」


ヘーゼルはため息をつき、ぐっと薬草を見下ろす。

『生き物の気配』を糧にする薬草……。


(そんなもの、いったいどうやって……?お父様もこの領地の皆も、とても穏やかで感情はそんなには動かないほうだ。私が毎日怒る?……いいえ、無理!そんなに怒れないわ……)


ヘーゼルは、しおれてしまったその薬草の前で呆然としていた。その目の前の薬草が急に大きく揺らいだ。


ザアアアアアーーーーーー!


突風が巻き起こり、ヘーゼルの髪を容赦なく乱す。

薬草園の葉がばたばたと揺れ、土埃が舞い上がる。

慌てて空を仰いだヘーゼルの瞳に巨大な白い影が映った。

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