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「伯父上、剣の稽古をありがとうございました。やはり伯父上にはまだまだ叶いません」
ははは、と笑いながら、王太子ザイルは汗を拭いもせず、爽やかな笑顔でマーカスに声をかけた。
稽古場には乾いた土と鉄の匂いが漂い、二人の剣技の余韻がまだ残っている。
「いやいや、ザイルもかなり腕を上げてきたな!もうすぐ私も抜かれてしまうかもしれないぞ」
マーカスは豪快に笑い返し、鍛え上げられた腕で剣を軽々と振って見せる。
その動作に、まだ熱を帯びた空気が震えた。
「いやだな、伯父上。そんなのまだまだ先ですよ…………ところで、メレドーラ公爵夫人が魔物に襲われたらしいですよ」
「……ほう、それは災難だったな。メレドーラ公爵夫人は無事だったのか?」
マーカスは練習場の片隅に投げ置いてあったタオルを手に取り、汗を拭きながらザイルへもう一枚を放る。自らは椅子に腰を下ろし、肩で息を整える。
「ええ、命は助かったそうですが……襲ってきた魔物が毒を持っていたようで……」
ザイルの声音には憤りがにじんでいた。
眉間に皺を寄せるその顔には、友の家族を思う悔しさが露わだった。
「……なんと!毒が?……公爵夫人もついていなかったな……たしか、公爵はザイルの同級生でそれなりに仲が良かったのではないか?私からも公爵へ見舞いを贈らせよう……」
「伯父上、お気遣いありがとうございます……メレドーラ公爵……サキレスも伯父上から見舞いの品をもらえば少しは気分が上がると思います……」
マーカスは「そうか」と軽く頷いた。
「……ところで……その魔物の毒は、どういった毒だったんだ?」
マーカスはタオルで顔を覆い、くぐもった声で問いかける。
表情は見えないが、ザイルの目には、伯父の肩が一瞬小刻みに揺れたように映った。
「……魔物の粘液は触れたものを溶かしたとか……」
「……ふむ……」
短い返答。
(こいつ、笑ってやがる……やはりか……。で、あれば……)
ザイルは内心で毒づきながらも、外面は崩さずタオルで首筋の汗を拭い、静かに伯父を見降ろし睨みつけた。
「それは、そうと……伯父上は今度のマイル村の花祭りに主賓として招かれているとか……」
「ああ、面倒な公務だが……恋人たちの祝福に行くことになっている。それがどうかしたか?」
マーカスは顔を上げて微笑んでいるザイルを不思議そうに見た。
「いえ、今回は私も祭りに参加してみようかと……もちろんお忍びですがね……」
「……ほう。花祭りは恋人たちの祭りだ。お前に気になる令嬢がいたとは初耳だな。どこの誰だ?」
「……勘弁してください。まだ、伯父上にも言える段階ではないので、黙秘を……」
ザイルは人差し指を口にあて、『内緒だ』とわざとおどけてみせる。
その仕草に、マーカスは笑い声を響かせた。
「はははは!……これはいい。なかなか婚約者を作らない甥を心配していたが……ならば、会場でお前を探すとしよう!」
「いやだな。伯父上、揶揄わないでください。まだひっそりと片思い中なんです。いくら伯父上と言えど、邪魔はしないでくださいね。伯父上に邪魔されたら振られてしまうかもしれません……」
マーカスは、悲しそうな顔をしている甥を見つめた。
「……そうか。まあ、頑張れ。……ザイル、お忍びということは、護衛は最小限だろう?……最近は異形種の魔物が出るというから、気をつけろよ」
「ええ……十分に……」
マーカスはそれ以上は追及せず、椅子から立ち上がった。
「ではな、ザイル」
稽古場の木扉が軋む音とともに、彼の背は城内へと消えていく。
ザイルはその背を黙って見送った。
「伯父上も気をつけて……」
誰にも届かぬほど小さな声で呟き、剣を右手に持ちかえる。
(……俺は、とうの昔に伯父の剣の腕など抜いているがな。俺を左利きだと勘違いして、俺の剣の腕前をまだまだだと思い込んでいる……幸せなやつだ)
カシャン、と右手で剣を鞘に納める音が響く。前髪をかきあげ青く高い空を仰ぐと、その口元には皮肉な笑みが浮かんでいた。
(……これで、花祭りまではサキレスたちを狙うのをやめるだろう……伯父上、お膳立てはしたぞ。しっかり俺を狙ってこい)
軽い足取りで稽古場を後にするザイル。
だが、その瞳は鋭く、燃える炎を隠してはいなかった。
(俺の友の家族に手を出した報いを、しっかりと受けてもらおうか……)




