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部屋の扉にノックが響いた。
「どうぞ」
シャナが声をかけると、アクオスがそっと顔を覗かせる。
「シャナ、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。さっきは駆けつけてくれてありがとう」
「いや、無事で良かった……」
アクオスも入室し、シャナの無事を確認すると、サキレスに視線を向けた。
「サキレス、カイロスもこっちに向かっている、まもなく到着するそうだ」
「ああ、わかった……」
二人は目を合わせ、軽く頷く。
「シャナ、起きたばかりですまないが、先ほどの魔物について聞いてもいいか?」
「ええ、アクオス。大丈夫よ」
「……先ほどの魔物のこと、なにか気がついたことはないか?」
シャナは少し息を整え、先ほどの出来事を思い返す。
「……あの魔物、突然裏庭から現れて……」
ゼルダもベッドの脇に座り、シャナの話にじっと耳を傾ける。
「魔物の種類は勉強して、ある程度知っているけど……さきほどの個体は初めて見る魔物だと思ったわ。体は大きいけれど、あっという間に目の前に来たから、動きは本当に早かったの……」
ゼルダがシャナの手を握ってきた。娘の手の温もりに、シャナは自然と微笑み、優しく握り返す。
「みんなを孤児院の中に避難させて……私はそっと後ろに下がったの。その場には私しかいなかったから、魔物は私を狙ってまっすぐ向かってきたの。足元にバケツがあって、引っかかって転んでしまったわ。そしたら、あの魔物が噛みつこうとして……涎が地面に落ちて、そこにあった草が音を立てて溶けたの」
「毒か……」
アクオスが低く呟くと、ゼルダはさらにぎゅっと手を握る。
シャナは「心配ないわ」と、ゼルダの手を軽くさすった。
「そこから先は、よく覚えていないんだけど、ポケットに入れておいたヘーゼルさんからもらった栞が落ちて……魔物の動きが止まったの。私の目には、魔物がその栞に気を取られているように見えたわ……」
「栞?」
「ええ。竜の草……竜が好む薬草だったかしら?これを持ってると竜に好かれるとか言う?……まあ、とにかくその草を押し花にしたものらしいんだけど……」
「ヘーゼル嬢の?」
「そう。詳しくはわからないけど……たまたま来るとき、馬車の中で読んでいた本に挟んでいたの。降りるときに慌てて、本に挟むのを忘れてポケットに入れておいたのよ……拾っている暇がなかったから、たぶんまだ外に落ちていると思うわ」
「そうか……わかった。教えてくれてありがとう」
「あ!お母様、その栞ってこれよね?こっちに来るときに落ちていたから拾っておいたの」
ゼルダは、思いついたように栞を差し出した。
「!そうよ、これよ!」
シャナは栞を受け取り、自然と笑みがこぼれる。
そのままアクオスにその栞を渡す。
「アクオス、もちろん調べるわよね?」
「ああ、ありがとう」
アクオスが慎重に栞を受け取り、丁寧にしまう。
「大切に扱ってね。ナーラスから勝ち取ったものなんだから」
「わかった。必ず返す」
扉が、ノックもなく勢いよく開いた。
顔を出したのはカイロスだった。
「シャナ、入るぞ」
「カイロス、ノックぐらいして」
「まあ、いいじゃないか。どうせ起きてるんだろう?ほら、アクオスもサキレスもいるし……」
「そういう問題じゃないでしょう?ちなみにアクオスはきちんとノックしたわよ」
「まあまあ、きれいな顔が崩れてんぞ」
「…………幼馴染じゃなければ、出禁にしてたわ」
「ははは、それは残念だな」
カイロスが肩をすくめると、空気が少し和む。
「シャナは大丈夫そうだな……。そんじゃ、サキレス、アクオス、ちょっといいか」
「ああ」
サキレスは「行ってくる」と言い、シャナの頬に軽く口づけを落とすと、アクオスとともに部屋を後にした。
外に出た三人は、さきほど魔物が倒れた場所の近くに立つと、カイロスの表情が引き締まった。
「単刀直入に言うが、今回の件は、例のサキレスが持ってきた情報と関係があるのか?」
怒気を含む声色。
視線は地面に残る爪痕をなぞるように落ちる。
「無関係の偶然だといいのだが……」
サキレスは低く答え、魔物の処理をしている騎士団を見やった。
アクオスは、先ほどまで横たわっていた魔物の残骸を思い出す。
「最近の異形種の魔物は、何かに操られている可能性が高い。調査が出るまでは断言できないが……」
その言葉にサキレスも頷く。
「シャナはもともと孤児院を訪問する予定だった。知ろうと思えば、予定を掴むことはできた」
「なぜ止めなかったんだ?」
カイロスが兄の顔を睨む。
「止めたさ……だが、シャナは止まらん」
その返事にシャナの幼馴染である三人とも妙に納得する。
「……確かに、シャナは昔からお転婆だからな……」
カイロスは顎を触りながら、苦笑混じりに唸った。
「護衛もいつもよりつけたんだが……あまり意味がなかったようだ」
「対魔物に関しては護衛はあまり意味ないからな」
カイロスはチラリとアクオスを見る
「そうだな……魔物は人間だけで倒すのは骨が折れる。魔物と戦うには竜の加護が必要だ。竜から加護を授けられるのは竜騎士団だけだからな」
「……もし本当に魔物を操りこちらに危害を加えようとしているなら、早々に対策しなくてはならない。やはり、あちらの動きを待つよりも、こちらから仕掛けて決着をつけるしかないな」
サキレスの目が細くなり、きゅっと上がる。
「カイロス、アクオス。先日話した通り、自分たちを敵視している連中のリストを送ってくれ。そこから奴らの繋がりを洗う」
「ああ、わかった」
サキレスが思い出したように言う。
「……それと、シャナが言った「栞に魔物が気を取られた」ことが本当なら、ヘーゼル嬢は私の家族の命の恩人になるな。私からも礼をしなくてはならない。アクオス、その栞の調査結果がでたら教えてくれ」
「ああ」
アクオスが返事をした時、ブラッドが風を切って下降してくる音が聞こえた。
「ブラッド!」
アクオスが名を呼ぶと、瞬間、白竜が目の前に舞い降りる。
翼の風圧が草を波立たせ、三人の外套を大きくはためかせた。
アクオスはなぜブラッドがここにやって来たのか瞬時に悟る。
「魔物が出た!サキレス、リストは今夜までに送る!」
そう言い放つと同時に、アクオスはひらりとブラッドへ飛び乗る。
あっという間に白竜が再び舞い上がり、夜空へ吸い込まれるように消えていった。
残されたサキレスとカイロスは、竜の飛び去る気流に髪を乱されながら、ただ黙ってその背を見送った。




