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「母上、義姉上……どういうつもりです?」
声は低い。空気はピリッとする。
(えっ……怒ってる?いやアクオス様、怒ってるわよね?……大丈夫なのかしら、私ここにいて……)
「あら、アクオス。お久しぶりね」
ラグーナはまったく動じず、まるで「今日もいい天気ね」とでも言うような笑顔で、ひらひらと手を振った。
「……ヘーゼル嬢は、今日ご帰郷される予定だったはずだ。なぜ母上と義姉上と……ナーラス?……と、ここにいるのですか?」
一瞬、アクオスの眉がぴくりと動く。
ナーラスの名前を出したときだけ、不思議そうな顔になるが、ラグーナとシャナを見る目は、冬の湖面より冷たい。
「あらだって、ヘーゼルさんは息子の憧れの薬学の助教授ですもの。息子が話したいって言ったら、叶えてあげるのが親の務めだわ。それに……竜に好かれた女性がいると聞いたら、会わないわけにはいかないじゃない?」
シャナの声は上機嫌そのもの。
まるでアクオスの氷点下の冷気など感じていないようだ。
シャナはアクオスの冷たい視線を真正面から受け止め、むしろ「邪魔しないでくれる?」と言わんばかりに顎を少し上げてみせる。
二人は対峙するように、一歩も引かずににらみ合っている。
ヘーゼルはオロオロするばかりだが、メレドーラ家の人々は、まったく気にしていない様子だ。
「アクオス、あなた仕事中じゃなかったの?私たちの邪魔をするくらいなら、魔物の一匹でも狩ってきなさいな」
母は強しなのか、突然そんなことを言い出すラグーナに、ヘーゼルはぎょっとした。
「いいえ、いくら母上でも、これはヘーゼル嬢に失礼でしょう」
低く抑えた声に、空気が一瞬で凍りつく。
アクオスの視線は真っ直ぐ、まるで剣の切っ先のようにラグーナとシャナを射抜いていた。
「ヘーゼル嬢は母上たちより身分が下です。お二人から誘われれば、来ないわけにはいきません。今日帰郷されるのを知っていて、誘ったのなら……それは迷惑以外の何でもない。公爵家とは言え、そんなわがままは許されません」
アクオスの言葉は真剣そのものだった。
「ははは、今日のアクオス叔父さんは、なんだか怒っているみたいですね」
ナーラスが無邪気にこちらを向いてそう言うと、ヘーゼルは内心で絶叫した。
(ちょっ!ナーラス様!!さすがに、この状況で、その発言はっ!!く……空気を読んでください~!!)
急展開のこの空気に、ヘーゼルの鼓動は高鳴るばかりだった。
「あ、あの、アクオス様……その、こちらにお邪魔したのは、私がそうしたかったからで……ラグーナ様もシャナ様も、私に選択肢を与えてくださいました。だから……えっと……ちょっとお茶をしたら帰ろうと思ってましたし、決して迷惑では……」
とりあえず、この場でアクオスを宥める人間はゼロだと悟ったヘーゼルは、自ら火消し役を買って出た。
「ヘーゼル嬢……この人たちには、そんな優しい言葉は不要です。ダメなものはダメだと……」
「いえ!私はアクオス様のご家族に会ってみたかったので、お会いできてとても嬉しいのです。メレドーラ公爵家の皆さまはとても素晴らしいです!!ご、ご挨拶の機会もいただきましたし……アクオス様……そんなこと、皆様に言わないでください……」
ヘーゼルは、昨日アクオスが家族の話をしていたときの柔らかい表情を思い出していた。
目の前のアクオスは、自分のせいで、どうやら家族に対して怒っているようで、ヘーゼルは悲しくなってしまった。
(ラグーナ様も、シャナ様も、きっとお辛いに違いない……だって、二年間も行方不明で、しかも記憶をなくした人が帰ってきたら……家族は、どう思うだろう?)
もし自分の父がそうなったら……と想像するだけで胸が締めつけられる。
(アクオス様の家族は明るくて賑やかだ。でも、その明るさの奥には、きっと長い間の心配や不安が潜んでいるはず……こんな風に、私の所為でご家族が揉めてしまうなんてあってはいけない……)
だからこそ、ラグーナ様やシャナ様が、突然現れた謎の女である自分を見極めようとするのも当然。
「私はアクオス様に害のない人間です」と、きちんと知ってもらいたくて、この席に加わったのも事実だった。
……だが、ヘーゼルのその熱弁は、メレドーラ家の人々からは思わぬ方向で受け止められていた。
アイゼン帝国では「相手の家族に会いたい」というのは、結婚一歩手前の男女が交わす言葉だ。
最後に家族へ挨拶して結婚を決める……そんな風習がある。
つまり、ヘーゼルが何気なく口にしたその言葉は……
(………………え?)
メレドーラ家の面々にとって、ヘーゼルの熱弁は結婚宣言にも等しい、衝撃発言だったのである。
『お義母さま!聞きまして!?アクオスの家族に会いたかったと!これって、本当に結婚を考えてるのではなくて!?』
『ええ、聞いたわ!これは、もしかするともしかするわね!だって、見て!アクオスの顔!真っ赤よ!あの子があんな顔するなんて!』
ラグーナとシャナは貴族らしく、涼しい顔を保ちながら、口元だけを微妙に動かして囁き合う。
表情は一切崩さず、声も聞き取れないほどの小声。
もちろんヘーゼルにもアクオスにも届かない。
これは貴族のご婦人特有、口元だけトークという高度なこそこそ話戦法だ。
そんな二人が視線を向けている先、当のアクオスは……
(……え?……いま、ヘーゼル嬢は俺の家族に会いたかったといったか?……それってつまり……)
その場にいた大人四人は、それぞれ別の意味で思考がざわつき、全員が一瞬ピタリと固まった。
「なるほど。助教授と叔父さんは、もう、すでにそう言う関係なんだね!」
嬉しそうに無邪気に爆弾を落としたのは、もちろんナーラスだった。




