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「手紙が届いております」
宿の受付の女性が、外から戻ったヘーゼルに穏やかに声をかけた。
「?ありがとうございます」
差し出された封筒を受け取りながら、ヘーゼルは首を傾げた。
階段を上りながら封筒をひっくり返すと、美しい筆跡で『ヘーゼル・ガゼット子爵令嬢 様』と書かれ、家紋の入った封蝋で丁寧に封じられている。
(この家紋……どちらの?見たこともあるような気もするけれど……)
夜会の経験も少なく、貴族界の知識に乏しいヘーゼルにとって、紋章を見ただけではわからない。
部屋に入り、椅子に腰かけてそっと封を切るとふわりと、ラベンダーの甘やかな香りが漂ってくる。
「ラベンダーね。女性らしくて清潔感のある香り……素敵だわ。ほんとに、貴族の方ってお手紙に香りを移すのね〜」
優雅な香りにうっとりしながら手紙を開くと、目に飛び込んできたのは、それはもう華やかで品のある筆致。
「わぁ〜、なんて綺麗な文字……!読まずに眺めてるだけで幸せになれそう!」
思わず文字を追ってしまい……
「いけない、文章を読まなきゃ……!」
自分にツッコミを入れてようやく本文へ。
「ヘーゼル・ガゼット様、突然のお手紙を失礼いたします。私、サキレス・メレドーラ公爵が妻、シャナと申します…………」
「え!?!?!?ええええええええっ???」
最初の一文で思考が停止した。
(ま、待って……サキレス・メレドーラ公爵様って……アクオス様のお兄様!?この国の二大公爵家の……あの……メレドーラ公爵!?)
ヘーゼルは手紙を持っている手が震えた。
(……シャナ様は、公爵夫人……ちょ、ちょっと待って……そんなお方が、私に……)
手が震え始め、心臓がバクバクと暴れ出す。
必死に深呼吸しながら続きを読むと……
「私の息子が、アグルス学園で薬学を学んでおり、ヘーゼル・ガゼット助教授に感銘を受けております。息子の話を聞き、私も是非、助教授とお話をしてみたく……聞けば、助教授は現在王都にご用事があり、こちらにいらっしゃるとのこと、お時間があればお茶会に遊びに来てはくださいませんでしょうか。お話しできるのを楽しみにしております。 シャナ・メレドーラ …………」
「お茶会っ!?」
ヘーゼルは心臓が何かに撃ち抜かれた気がした。
「ありえないわ……田舎貴族の子爵家出身の私が、公爵夫人とお茶……!?そんなのありえない……着ていく服すらない……!」
思わず立ち上がって、部屋の中をぐるぐる歩き回る。
「え?ええ?どうしましょう……断ってもいいの?いやいや、公爵夫人からのお茶会なんて、断るなんて……そんな前例、あるわけが……!」
焦りすぎて混乱し、視界がぐらぐらと揺れるような気さえしてくる。
「ちょ、ちょっと待って……私、明日帰る予定なんだけど!?いつ!?このご招待、いったい、いつなの!?」
封筒を取り落としそうになりながら、ヘーゼルは震える手で再度、手紙を確認した。
結局、すぐに返事を書かなくてはいけないと思い立ち、ヘーゼルは急いで街へと駆け出した。
(早々に、ご招待に返事を出さないなんて、絶対に失礼……! ちゃんと、それなりの便箋と封筒を用意しなきゃ!)
平民向けの便箋では、逆に相手に恥をかかせてしまうかもしれない。
それが公爵夫人宛て、ともなればなおさらだ。
店を何軒か回って、ようやく見つけた、それっぽい便箋と封筒を手に、慌てて宿に帰宅。
部屋に飛び込むなり、テーブルに着いてペンを握る。
「やっぱり、正直に書いた方がいいわよね……?明日には領地に戻らなきゃいけないって」
小声でつぶやきながら、悩みに悩み、一行書いては手を止め、また書いては破り……
何枚も紙を無駄にして、ようやく、それなりに整った文章が出来上がる。
「うぅ……ちょっとだけ、公爵家のお茶会って興味あったんだけど……」
ぽつりと漏らし、肩を落とす。
「でも……ちゃんとした服もないし、急に時間を作るのも無理だし……うん、下手に行って失礼になるよりはマシよね」
そう自分に言い聞かせて、最後に一つ思いつく。
「あっ……この薬草の栞……香水の代わりになるかしら?」
ヘーゼルは、師匠からもらった本の間から、挟んでいたお気に入りの栞を取り出す。
それは、例の『竜の薬草』が大きく育ったとき、自分用の記念にと作ったもの。
乾燥させた葉には、驚くほど爽やかでほのかに甘い香りが残っていた。
(生えているときには香りなんてしないのに……不思議よね……)
「まあ、公爵夫人のご子息ならこの香りにも気づくかしら?……少しでも印象が柔らかくなりますように……」
そっと手紙の間に挟んで、封を閉じる。
大きく深呼吸をして、心の中で何度もお辞儀するようにしながら、ヘーゼルは手紙を封筒に納めた。
宿の人に、急ぎで手紙を出したいと伝えると、
「メレドーラ家なら近いですから、少しの金額で今からお届けできますよ」
と笑顔で言ってくれたので、お金を渡し、配達を頼んだ。
(つ……疲れた……。まるで手紙との戦いだったわ……)
部屋に戻ったヘーゼルは、ソファにぐったりと沈み込む。
胸の奥で、ほっとしたような、まだ落ち着かないような感覚が渦巻いていた。
(結局、お断りのお返事になってしまったけれど……失礼になっていなければいいのだけれど)
明日には領地へ帰る身だ。
せっかくのご招待でも、今の自分には応じることができなかった。
ふと、机の上に置いていた公爵夫人からの手紙が目に入る。
そっと手に取り、封を開く。
(……本当に、美しい字……)
まだ顔を見たこともないのに、その文字から優しさや気品がにじみ出ている気がして、
きっと公爵夫人は美しく、優雅で、微笑むだけで周囲を照らすような人なのだろう……と、想像が膨らんでしまう。
(ふふ……)
自分でもわかるほど頬が緩み、慌てて咳払いでごまかす。
そして大切な宝物をしまうように、その手紙をお気に入りの本の間に挟み、そっと閉じた。
(このお手紙が、私へのお土産ね。帰ったら、ずっと大切にしましょう)
胸に抱えた本の表紙を、愛おしそうにそっと撫でた。




