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薬を塗り終え、落ち着いたヘーゼルが部屋の椅子で一息ついていた。
扉が、コンコンと控えめに叩かれた。
「ヘーゼル嬢、アクオスです」
控えめな声が扉越しに届くと、ヘーゼルはすぐに立ち上がり、扉を開けた。
「治療は終わりましたか?」
「はい。……お待たせしてしまって、申し訳ありません」
アクオスは真っ直ぐに彼女を見つめると、静かに頭を下げた。
「その……外でお待たせしてしまい、申し訳ありません……」
「アクオス様、顔をお上げください!いいえ、私の不注意です……」
「いや、私が悪い。迎えに来る時間を明確にしなかったので……申し訳なかった……」
そう言って、アクオスはまた深々と頭を下げた。
「……では、お互いに少しずつ悪かったということで、引き分けにしませんか?」
そう言ってヘーゼルは、ふっと優しく微笑む。
まるで何事もなかったかのように、明るく言い切るその姿に、アクオスは一瞬だけ言葉を失う。
にっこりと笑っているヘーゼルを見て、アクオスの中で、何かがふっと揺れた。
「……まったく。あなたは全然変わらないな……」
ぽつりと漏れた言葉に、ヘーゼルの目が小さく瞬いた。
「はい……?今、何と?」
その言葉は、まるで以前からヘーゼルを知っていたかのような響きだった。
漏れ出たアクオスの言葉を聞き逃し、ヘーゼルが聞き返す。
「……っ」
アクオスは驚いたように、口元を押さえた。まるで、うっかり心の内が漏れてしまったかのように。
「……いや。なんでもないです……」
「……そうですか?では、行きましょうか」
アクオスは自分の口をついた言葉が何だったのか自分でも理解できず内心混乱したが、やがてヘーゼルと話しながら歩いているうちに落ち着いてきた。
しばらく歩いたところに石畳の小道を抜けた先、街の静かな一角にたたずむ瀟洒な店があった。
「……ああ、こちらです」
アクオスはいつもの落ち着いた声で言い、ヘーゼルにさりげなく手を差し伸べて扉を押し開ける。
店の中は、夕暮れどきだというのにすでに多くの人で賑わっていた。香ばしい料理の香りと、ワインのグラスが触れ合う音が、心地よいざわめきをつくっている。
だが、アクオスが一歩足を踏み入れた瞬間、その空気が一変した。
誰かがグラスを持つ手を止め、誰かが話す声を呑み込む。そして、ザワリとしたかと思えば、店内の視線が一斉にアクオスに注がれた。
アクオスの凛とした立ち姿、それだけで周囲の人々の目を奪う。
「な、なんでしょう……?」
そのあまりの静けさに、ヘーゼルも思わず不安げに声を小さくする。
しかし、そのあとすぐ、「きゃあっ……!」「素敵……!」「団長様よ!」など、女性客たちの小さなざわめきが、波紋のように広がっていく。
「……気にしないでください。すぐに席へ」
アクオスが軽く手を振ると、店員が慌てて駆け寄ってきて、深く頭を下げる。
「メレドーラ様、お待ちしておりました、どうぞこちらへ!」
恐縮したように姿勢を低くし、店員は二人を丁寧に奥の個室へと案内する。
道すがら、ヘーゼルはちらりとアクオスを見たが、彼はどこか慣れた様子だった。
「ここは、副団長のイーライがすすめてくれたお店なんです。どれも美味しいと評判らしいので、好きなものを頼んでください」
「はい、ありがとうございます……」
そう言ってメニューを開く。
だが……
(……知らない料理名ばかりだわ……どうすれば……)
初めて見る文字の並びに、ヘーゼルは思わず首をかしげる。
それを見たアクオスが、ふっと口元を緩めた。
「えーっと……どれも想像つかないお料理なので、よろしければアクオス様、お選びいただけますか?私は嫌いなものはございませんので……」
少し恥ずかしそうにそう言うと、アクオスはくすりと笑い「では、私の好みになりますが」と言って注文をしてくれた。
ほどなくして、次々と料理が運ばれてくる。
見たこともない料理に、ヘーゼルは興味津々で、少しだけ緊張した面持ちで手を伸ばす。
そして、ひと口。
「美味しいです!」
輝くような笑顔でそう言うヘーゼルに、アクオスは優しい眼差しを向けた。
「それはよかった…………それで、ヘーゼル嬢が薬師になったきっかけはなんだったのですか?」
ワインをゆっくり飲みながら、アクオスが穏やかに尋ねた。
「そうですね。薬草を育てるのが好きだったので、まず薬草を育てていました。その後、たまたま領地に薬学に精通した方が引っ越していらっしゃって、その方の教えで、薬を作ったり研究するようになりました」
「なるほど、独学ではなかったのですね」
「ふふ……まさか。作り方や効能などは、その方に従事して教えていただいております」
「それはそうですよね。今でも薬草を育てているんですよね?」
「ええ。湖の畔に薬草園があり、じわじわ拡大してます」
そう言って、ふふっと笑うヘーゼル。
その表情は、どこか誇らしげでもあった。
「アクオス様は、なぜ薬学に興味が?」
「なぜか興味がある……そう言ったのは、冗談ではなく、本当です。いつからか、一部の薬草を見ると、種類や効能が頭に浮かんできます。昔見た薬草の本を覚えているだけかもしれませんが……たぶん興味があって覚えているのかと……」
「それは不思議ですね。インパクトのある薬草だったのでしょうか」
「さあ、どうなんでしょうか?」
「たとえば、どのような薬草をご存知なんですか?」
「そうですね……」
アクオスはゆっくりと指を折りながら、薬草の名前を一つひとつ口にしていく。
その澄んだ声は、静かな個室の空気を優しく揺らし、まるで風に揺れる薬草の葉のように、心地よく耳に届く。
「まあ!うちの薬草園にあるものばかりだわ!」
パッと目を輝かせ、ヘーゼルが思わず声を上げる。
その表情には喜びと誇らしさがにじみ、まるで子供のように無邪気だった。
「そうなんですか?」
「ええ!私は常用性の高い薬草を育てているので、今アクオス様がおっしゃった薬草は、すべて使い勝手が良いものばかりです!中には育てるのが大変な薬草もありますが……でも、本当に、よくご存知だわ」
「それなら、やはりどこかで本をみて覚えているのかもしれません。私の甥が薬学を学んでいるので、それかもしれませんね……」
「まあ!甥御さんはおいくつですか?」
「たしか……十二か十三か……」
「その年齢で薬学に興味を持つなんて、すごいですね。アクオス様の甥御さんなら、きっと優秀なのでしょうね」
「まあ、兄の子なので優秀ではありますね。ただ、剣は触りたくもないようですが……」
「兄……ああ、なるほど。それは優秀ですね。メレドーラ公爵様のお子様なのですね……。たしかアクオス様のもう一人のお兄様、カイロス様も剣の腕前で右に出る者はいないとか……」
「そうですね。ただ……剣の才能は姪に行ったようです」
アクオスはふと視線を落とし、何かを思い出したように口元が緩み、楽しそうに微笑を浮かべる。
「姪の剣を握るときの顔つきが、女の子なのに二番目の兄によく似ていて……私も最初は驚いたほどですよ」
その言葉に、ヘーゼルの胸がふわりと温かくなる。
静かに語られる家族の思い出。
そこには、高位の立場や役職を超えた、一人の人間としての素顔が垣間見えていた。
つられるように、ヘーゼルも微笑んだ。
「ふふ……とても凛々しい姪御さんなんですね……」
ヘーゼルはそんなアクオスが見せた表情が、とても、好ましく思えた。
「……話は変わりますが、たしか、ヘーゼル嬢は、煮込みの料理が好きでしたよね?この後、煮込み料理が二品でてきまよ」
「まあ、ありがとうございます。楽しみです!……あら?……でも、私、煮込み料理が好きだとアクオス様に言いましたっけ?」
こちらにきて、カレンにもそんな話をした記憶がなく、何故だろう?と、首を傾げてアクオスをみる。
アクオスも首を傾げている。
「……どこかで聞いたような気がしたのですが……どこだったか……」
そうつぶやいた途端に、アクオスか頭を抱えて苦痛に顔を歪めた。




