30
「ヘーゼルさん、今朝、カルビン様からこれを預かったわ」
カレンは、ヘーゼルの宿に来ていた。
そして、白い封筒をヘーゼルにそっと渡した。
「カレンさん、わざわざすみません」
「いいのよ。注文票を届けに来ただけだから。それと、次回はちょっと量が増えちゃってるけど、よろしくね!」
「わあ……こんなにご注文いただけるのですか?本当に、嬉しいです!」
別で渡された注文票には、なんと今回の五倍もの薬の注文が書かれていた。納期は二十日後。
「カルビン様が『ヘーゼルさんの薬がすごく効く』って言ってくれてね。その話が竜騎士団の中で広まったみたいで、注文が一気に入ったのよ」
「まぁ……そうなんですね。とてもありがたいことです」
「じゃあ、私はこれで。またね!」
そう言って、カレンは近所の人に店番を任せているからと、急ぎ足で帰っていった。
ヘーゼルは封筒を手に、部屋の椅子に静かに腰を下ろす。
そして、無記名のその封筒を丁寧に開けた。
中から出てきたのは、一枚の紙。
手紙と呼ぶには、あまりにも短かかった。
「……本当に誘ってくださったのね…………」
明日の夕刻、お迎えにあがります。
お時間がないようでしたらご返信ください。
アクオス・メレドーラ
「ふふ。今まで、こんな短い手紙はもらったことがないわ……」
きっと、薬草の話をしたいと言っていた件だろう。
アクオスと薬草の話をする明日を、少しだけ楽しみにしながら、ヘーゼルはその夜を穏やかに過ごした。
そして翌日。
ヘーゼルは、カレンと街で見つけたクリーム色のサマードレスに身を包み、宿の前で待っていた。
ふだんは着ないような、柔らかな色合いのドレスに少し落ちつかない。
けれど、カレンは「最近のご令嬢がお忍びのときに着る流行りのデザインよ」と太鼓判を押してくれた。
夕暮れに染まっていく空を見上げるだけで、不思議と心が軽くなる。
ほんの少しだけ、胸が高鳴る。
誰もいない路地で、ヘーゼルは一人、夕空を見上げていた。
「こんばんは、お嬢さん。……一人かな?」
不意に声をかけられ、ヘーゼルは反射的に振り返った。
そこには、少し派手な装いをした若い男性が立っていた。
「こんばんは。これから人と会うので……待っているのです」
丁寧に挨拶をして、きっぱりと断る。
だが……
王都の男性というのは、田舎と違って本当にしつこい。
「そいつ、いつ来るんだい?まだ来ないんだろ?なら、ちょっとだけ、飲みに行こうよ」
男は勝手に距離を詰め、ついにはヘーゼルの腕をぐいっと掴んできた。
「やめてください!本当に人を待っているんです!」
腕を振りほどこうと必死に抵抗するが、男の力は見た目以上に強い。
ぐっと引っ張られて、腕に痛みが走る。
「あんた、さっきからずっと一人じゃないか。もうバレバレなんだよ、待ち合わせなんてウソつかなくていいからさ、な?」
男の口調は明らかに荒っぽくなり、目つきもいやらしく変わっていた。
ヘーゼルは必死で拒もうとするが、どうしても力では勝てない。
(怖い……!)
そのときだった。
「……おい」
低く、鋭い声が空気を裂いた。
ヘーゼルの腕を掴んでいた男の姿が、目の前からふっと消えた。
「……っ!?」
驚いて振り返ると、そこには高身長の引き締まった体に、風になびく金色の髪。
整った顔の額にかかる前髪の隙間から、冷たい夜を射抜くような青の瞳がのぞいている。
「ヘーゼル嬢。……お待たせして申し訳ありません」
夕焼けを背に、アクオス・メレドーラが静かに立っていた。
「アクオス様……」
胸に安堵が広がる。
「大丈夫ですか?」
アクオスは、ヘーゼルの顔を心配そうに覗き込んできた。
「え、ええ……。大丈夫です……」
ヘーゼルは涙をこらえながら、掴まれていた腕をそっとさする。
赤くなった肌を見たアクオスの瞳に、ふっと鋭い光が宿る。
無言でくるりと振り返ると、地面に転がって呻いている男に、ゆっくりと歩み寄っていく。
「アクオス様?」
「おい、お前、彼女に怪我までさせたのか」
「……ち、ちがう!彼女が一人で危なかったから声をかけただけだ」
男は必死に言い訳を並べながら、這うように後ずさる。
だが、アクオスの影がそれを覆い尽くす。
「いや、確かに彼女は怪我をしている。しかも、怖がってるぞ……そうか、お前の頭は正しいことを考えたのかもしれないが、お前の手は悪いことをしたようだな」
アクオスはそう言うと、その男の手を持ち上げて、あり得ない方向へとひねり上げた。
「ギャァッ!」
ひときわ高い悲鳴が、夕暮れの空にこだまする。
男は転げ回りながら腕を押さえ、声にならない呻きをあげた。
「騎士団に引き渡すが……万が一、また悪さをされると困る。とりあえず腕の関節を外しておいた。あとで嵌めてもらえ」
まるで道ばたの石ころでも片付けるような、冷淡な口調だった。
だが、その目には、確かに怒りの熱が灯っていた。
アクオスはそのままヘーゼルのもとへ戻ってくる。
「ヘーゼル嬢、大丈夫ですか?まず、その腕を治療しましょう」
「ありがとうございます。薬は自分で持っていますので……よろしければ、その間、宿の食堂でお待ちいただけますか?」
「それでしたら、まず彼を騎士団に引き渡してきます。治療が終わったら、部屋で待っていてください。迎えに行きます」
アクオスは部屋番号を聞くと、小さく「では」とだけ言い、再び男のもとへと歩いていった。




