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ブラッド。
その名を聞くだけで、騎士たちの間に緊張が走る竜。
竜王と呼ばれるその存在は、アクオス以外には決して近づこうとせず、たとえ他の竜騎士団員であっても、数歩近づくだけで威圧のあまり膝をつくほどの圧を放つ。
普段は竜舎にはおらず、どこか遠く離れた谷で気ままに過ごしており、アクオスが心の奥で必要としたときだけ、その気配を察して現れる。
そんな特異な竜である。
「いくらヘーゼル嬢でも……あのブラッドに近づくなんて……」
イーライは信じられないといった様子で呟いたが、アクオスの横顔には、どこか確信めいた表情が浮かんでいた。
彼らは竜舎を出て、広々とした野原のような場所へと移動していた。
アクオスの説明によれば、そこに竜王がやってくるから会ってみないかと促されたのだ。
(あの、白くて赤い目の竜……)
ヘーゼルは、かつて自分を助けてくれた白い竜に、ずっとお礼が言いたかった。
残念ながら、これまでその機会はなかったが、今日、会えるのかもしれない。
胸の高鳴りを抑えきれず、彼女は空を見上げてその姿を待った。
ビュウウウウウーーーー!
風を裂く鋭い音がどこからともなく響き渡り、突如、目の前に巨大な白い竜が現れた。
イーライとデルダは、ブラッドにこれ以上近づくことができず、離れた位置からその様子を見守っている。
もしブラッドの威圧によりヘーゼルが倒れた場合、すぐに駆け寄れるよう、二人はぎりぎりの距離を保ちながら、彼女の無事を見届けていた。
猛スピードで飛来したとは思えないほど、竜はまるで舞い降りるように、柔らかく地面へと着地した。
その優雅な動きに、ヘーゼルは言葉を失い気がづけば一筋の涙が頬を伝っていた。
白い竜は、まずアクオスの前に降り立ち、じっとその顔を見つめる。
しばらく、竜とアクオスの間で目に見えない対話が交わされたようだった。
そしてやがて、白い竜はゆっくりと首を巡らせ、まっすぐにヘーゼルの方を見据えた。
その瞬間、ヘーゼルの全身にぞわりと震えるような空気が走った。
まっすぐに向けられたその瞳は、かつて湖から自分を助けてくれたあのときと、まったく同じ、深紅の赤をたたえていた。
白竜ブラッドは、しばらくじっとヘーゼルを見つめていたが、やがてゆっくりと、一歩、また一歩と歩み寄ってきた。
イーライが小さく息を呑む。
「……ブラッドが動いたぞ……!」
「……子爵令嬢はブラッドの威圧を受けてないのか!?」
ブラッドは、威圧でも怒気でもない、けれども言葉にできないほど圧倒的な存在感をもって、ヘーゼルの目の前に立った。彼女は一歩も引かず、ただ静かにその姿を見上げる。
その目には恐れの色はなく、むしろどこか懐かしさすら滲んでいた。
「……やっぱり……あなたが、あの時の……」
小さく、確信に満ちた声が漏れる。
ブラッドはその言葉に応えるように、ふう、と短く鼻から息を漏らし、巨大な顔を彼女の目線の高さまでぐっと下げた。
ヘーゼルの瞳が潤み、胸の奥が熱くなる。
「ありがとう……あの時、助けてくれて……ずっと……言いたかったの……」
両手を胸の前にぎゅっと重ねて、彼女は深く一礼した。
その姿を、ブラッドはしばらく見下ろしていたが、やがてゆるやかに首を振り、頭をほんのわずか、彼女の顔に近づけた。
風がふわりと吹き抜ける。
その瞬間、空気の重さがふっと和らいだ。
イーライとデルダもようやく体の緊張を解き、互いに顔を見合わせた。
「……信じられない……」
「……あのブラッドが……団長以外の人間に……」
アクオスは黙ったまま目を細めていた。
その横顔には、かすかに笑みに似たものが浮かんでいた。




