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しばらく歩くと、練習場の入口とちょうど反対側、「関係者入口」と書かれた扉の前にたどり着いた。カルビンは何気ない様子でそこを開け、ヘーゼルを中へと案内する。


歩いているあいだも、二人の会話は途切れなかった。主に体調のことや薬の効果についての話題だったが、カルビンは終始穏やかで、騎士というより医者のような柔らかい口調だった。


やがて、通路を抜けた先の一室の前でカルビンが立ち止まる。


「こちらです」


そう言ってノックしてから開けたその部屋は、外の喧騒とは打って変わって落ち着いた雰囲気だった。

けれど、後ろからは模擬戦の歓声がはっきりと聞こえてくる。

まるですぐ隣で戦っているかのように熱気を帯びた声だった。


(……あんなに歓声が聞こえるってことは、きっとすごい試合になってるんだろうな。今は、どんな竜が戦っているのかしら……)


そんなことをぼんやり考えながら、ヘーゼルはカルビンの後ろに続いて、そっと部屋の中へと足を踏み入れた。


部屋の中にいたのは三人の男性。いずれも屈強な体つきをしており、ひと目で「竜騎士」だとわかる。

カルビンはそこまでヘーゼルを案内すると、「失礼します」と言って部屋から出て行った。


ヘーゼルは打ち解けたカルビンがいなくなり、少し緊張しながらも、その空気に気圧されないようにと背筋を伸ばした。

すると、そのうちの一人が声をかけてくる。


「先日はどうも。俺のこと、覚えてますか?」


その声に視線を向けると、ヘーゼルはすぐに思い出した。フェイのパートナーだった騎士だ。


「ええ、もちろん覚えています!先ほどの模擬戦、拝見させていただいておりました!結果は残念でしたが、でも……フェイ君のあのスピード!!本当にかっこよかったです!」


「……フェイ君……?」


デルダは一瞬ぽかんとした顔をした。


竜を『君』付けで呼び、しかも、かっこよかったと絶賛するのは竜の方。

通常、ご令嬢に称賛されるのは騎士である自分たちなのに。

そう思ったデルダは、『やっぱり変わった令嬢だな』と、内心で苦笑した。


イーライはその状況を面白がりながら、デルダを横目に一歩前へ出る。


「こんにちは、子爵令嬢。私は副団長のイーライ・アルバンです。急にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」


「いえ、とんでもありません。副団長様。はじめまして、ヘーゼル・ガゼットと申します」


副団長様が軽く頷いてから、大きな椅子に座っている騎士様の紹介を始める。


「……そして、こちらが、竜騎士団団長のアクオス・メレドーラです」


「団長……様?」


ヘーゼルはイーライから紹介された団長へと視線を移す。


その男性の、息を呑むほど整った容姿にヘーゼルは思わず目を奪われた。

凛とした雰囲気と冷静な眼差し、その中に秘めた深い水の中を覗きこんだような澄んだブルーの瞳。


けれど、その瞬間、ヘーゼルの脳裏をある少年の面影がよぎった。


「レイ……?」


思わず口から漏れたその名前は、ヘーゼルにとって今でも心の奥にしまい続けている、大切な存在だった。


レイ。


二年前、突然姿を消してしまった、迷子の少年。ヘーゼルが初めて「守りたい」と願った相手。


しかし、次の瞬間、その名を呼ばれたアクオスの顔が、わずかに歪んだ。

ハッと我に返ったヘーゼルは、自分の無礼さに気づき、慌てて頭を下げる。


「も、申し訳ございません……団長様……あらためまして、ヘーゼル・ガゼットと申します」


深くお辞儀をしながらも、先ほどの団長の表情が頭から離れない。


(あの時……確かに、団長様の顔には不快の色が浮かんでいた。そうよね、紹介されたばかりなのに、いきなり別の名前で呼ばれたら……誰だって嫌な気持ちになるわよね……)


(……それに、団長様は金の髪に深いブルーの瞳。レイのようにシルバーグレーの髪に、透き通るアクアブルーの瞳じゃない。……年齢も全然合わないのに、私ったら……)


後悔と動揺を抱えながら、ヘーゼルは顔を上げるタイミングを計っていた。


一方アクオスは、彼女から突然『レイ』と呼ばれたことに違和感を覚えていた。

呼ばれた名前は自分とは違う名。

この令嬢の顔も知らない。

……けれどなぜか、胸の奥にざわりと何かが触れた。


その感覚が不快だったのか、あるいは別の感情だったのか。アクオスはそれを言葉にできず、ただ顔をわずかに歪めた。


「……子爵令嬢、いきなり呼び出してすまない。竜騎士団団長のアクオス・メレドーラだ。頭を上げてくれ」


未だ頭を上げようとしない令嬢に、アクオスが穏やかな声で呼びかけた。


「は、はい……」


ヘーゼルはおそるおそる顔を上げた。その瞬間、アクオスの深いブルーの瞳と目が合う。先ほどよりも柔らかい表情でこちらを見ていた彼に、思わず息をのむ。


「!!」


今度はアクオスの動きが止まった。


「……私は……以前……あなたと……どこかで会ったことが?…………」


アクオスの口をついて出た言葉に、イーライとデルダが同時に目を見開く。

団長が、初対面の令嬢にこんなことを言うなんて。


「え……?いえ、今日が初めてのお目通りかと……」


ヘーゼルは戸惑いながら答える。


「そう……ですよね…………」


アクオスもどこか納得しきれない様子で呟く。

彼の言葉に、二人の部下はますます唖然とした表情で彼らを見つめていた。


「……いや、失礼した」


アクオスは小さく咳払いをひとつして、気を取り直すように話題を変えた。


「今日、お呼び立てしたのは……確認をしたかったからで……」


「確認……ですか?」


「そう。先ほど、デルダとダミアンの竜が、子爵令嬢のもとへ挨拶に行ったと聞きまして」


「……挨拶に来てくださったのかどうかは分かりませんが、近くまでは来てくれて、私もとても嬉しかったです。二頭とも、嬉しそうに鳴いていました」


「鳴いた、のですか……?」

  

「はい。ただ、私に向かってきたというよりは、皆さんに挨拶していたような気がしますけど。とてもかわいいですね」


「……」


アクオスは顎に手を当て、思案に沈んだ。


イーライとデルダは、まだ団長の『どこかで会ったことがあるか』という発言に驚きから抜け切れていなかったが、ようやく頭の中で何かが動き始める。


「竜が鳴くのは、パートナーに甘える時や何かを伝えたい時、あるいは危険を察知した時だ。……パートナーでもない人間に向かって鳴くことは、まずない」


イーライがぽつりと呟く。

その言葉に、アクオスがふいに顔を上げた。


「……わかった。子爵令嬢、よければ私たちと一緒に竜舎へ来てくれないか?」


その提案に、またもやイーライとデルダの口が同時にぽかんと開いた。


イーライとデルダは、先日の『令嬢侵入事件』の際の竜たちの反応を思い出し、今回もアクオスに反対した。

だが彼が一度言い出したことをそう簡単には撤回しないことも、二人はよく知っている。

だから、結局は口で苦言を呈するにとどめ、それでも不安になり、二人も同行することにしたのだった。


団長の様子がいつもと違う。それがどうにも気にかかる。


令嬢への態度も、会話の内容も、普段のアクオスからは考えられないような振る舞いばかりだった。


『……どうしたんだ?団長は?』


『わかりません……まったくわかりません』


アクオスとヘーゼルの少し後ろを歩きながら、二人は顔を見合わせ、声を潜めて言葉を交わす。


『まさか……団長、彼女に惚れたか?』


『ええ!?まさか、それは……さすがに、ない、ない?』


『でもあり得るぞ?団長の最初の一言が「どこかで会ったことがあるか?」だぞ。あれは、男の口説き文句だ』


『……まさか……団長が……』


こそこそと噂話を交わす二人を尻目に、アクオスは不思議な感覚に包まれていた。

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