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「……アクオス様、魔物はもう……」
ヘーゼルは周囲を慎重に見渡しながら、地に転がる魔物の残骸を恐る恐る避けて歩く。
血と瘴気の残る地面に、まだ胸の奥がざわついていた。
「……ええ。すべて倒したようですね」
アクオスは静かに辺りを見回す。
その視線が空へと向けられた瞬間、一匹の竜が風を切り、ゆっくりと降りてきた。
「団長」
「イーライ。留守にしてすまなかった。討伐はどうだ?」
「はい。魔の森周辺、すべて討伐完了いたしました」
「怪我人は?」
「ありません。竜も、人も、全員無事です」
「そうか。ならば一班を残して戻っていい。一班はこのまま村周辺の警備に当たらせろ。あとで、私も合流する」
「承知しました」
少し間を置いてから、イーライは視線をずらし、アクオスの背後に立つヘーゼルへと声をかけた。
「……ヘーゼル嬢も、ご無事ですか?」
「……はい。アクオス様のおかげで……」
顔を上げたヘーゼルの頬は青白く、その言葉とは裏腹に、明らかに疲労と動揺を隠しきれていなかった。
『大丈夫』と口にしながらも、どう見ても大丈夫には見えない。
イーライは心配そうに彼女を見つめ、そしてアクオスへと視線を移す。
アクオスは小さく頷き、声には出さずとも「大丈夫だ」とイーライに伝える。
だが、ヘーゼルの心は、すでにこの場にはなかった。
マーガレット。
その名とともに、彼女の姿が脳裏から離れない。
苦悶の中で吐き出された、あの言葉。
『私が望んでもいない婚約を押しつけられて……日々、どれほどの苦痛を味わったか、あなたにわかって?』
そこにあったのは、憎しみだけではない。
怯えと、絶望と、助けを求めるような痛みを宿した、あの表情。
そして、アクオスへ向けられた、最後の願い。
『お願いがございますの。私のことを……「マーガレット」と呼んでくださいませ』
狂気の中で、自ら命を絶ったマーガレット。
だが、本当に……あれは狂気だったのだろうか。
追い詰められ、逃げ場を失い、
死を選ぶことでしか終わらせられなかった苦痛。
一人の令嬢が、死んでもいいと決心するほどの想いとは、どれほど深く、どれほど孤独なものだったのか。
マーガレットが去った今、その答えを知る者はいない。
正解も、救いも、もはやどこにもない。
それでも……
ヘーゼルは静かに振り返り、遠ざかる戦場を見つめた。
胸の奥に、消えることのない哀しみと、言葉にならない祈りを抱えながら。




