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「……土の中から魔物が突如飛び出してきたので、対処しました。驚かせてすみません」
アクオスはヘーゼルにすまなそうに言う。
だいぶ近い位置にあるその顔に、ヘーゼルは思わず顔を赤らめる。
(ああ、こんな時でもアクオス様の顔には見惚れるわね……って!違う違う!しっかりするのよ、ヘーゼル!)
「あ、ありがとうございました。助けていただいて……」
「いえ、これが私の役目ですから……大丈夫ですか?」
先ほど、ヘーゼルの体の震えを見て、アクオスは心配そうに尋ねる。
「……はい、もう下ろしてくださって大丈夫です」
アクオスの腕で体が浮いていたヘーゼルは、ゆっくり地面に降ろしてもらう。
「おい、その魔物の体、状態がいい。もらってもいいか?」
剣先の魔物に即座に反応した研究者は、輝く目で息絶えた魔物を見つめる。
「…………構いませんよ。魔物用の袋はお持ちですか?」
「もちろん持ってるよ」
嬉しそうに自分の鞄から魔物用の袋を取り出す。
「ずるいぞ!あとで爪をよこせ」
「嫌だよ、俺も爪を使うんだ!」
「騎士様、俺にも一匹とってくれ」
「おいおい、俺だって欲しい!」
研究者たちは魔物の取り合いで大騒ぎだ。
「皆さん、落ち着いて。今のように魔物は突如現れます。とにかく身の回りに気をつけてください」
カルビンが声を上げ、皆を落ち着かせる。
その声を聞いたのか、森の中からがさりと音がし、狼型の赤い目をした魔物が三頭、ゆっくりと姿を現した。
「魔物だっ!」
騎士の誰かが叫ぶ。
「……ホークス、皆を後ろに」
アクオスは落ち着いた声でホークスに指示を出す。
「はい、皆さん、ゆっくり後ろに下がってください。後方の木が二本あるあたりまで下がります」
ホークスも剣を抜き、列を安全に下げ始める。
「カルビン、ダミアン、いくぞ」
「「はい!」」
いつのまにか竜から降り、アクオスの横にダミアンが控えていた。
三人は一気に魔物に走り出す。
それぞれ一人一頭を相手に、戦闘態勢に入った。
三頭の狼型の魔物が赤い目を光らせ、牙をむき出しにして突進してくる。
アクオスは静かに剣を構え、その目線は冷静そのものだ。
ダミアンとカルビンも即座に魔物の進行を読み取り、並んで駆け出した。
「カルビン、左から行け!」
アクオスの短い指示に、カルビンは瞬時に反応し、右手の剣をひゅっと振り抜く。
魔物の前足を斬り払うと、衝撃で土埃が舞い上がった。
ダミアンは一歩後ろに下がり、上空で旋回していたジルに合図を送る。
ダミアンの竜ジルは風を切る羽音を響かせ、急降下。地面近くで翼を広げ、魔物に強烈な風圧を叩きつける。魔物はバランスを崩し、尻尾を巻いて横へ飛び退いた。
ダミアンはジルの背に飛び乗ると、ジルのすさまじいスピードで魔物の周りを飛ぶ。
魔物はそれを警戒して後ろに飛んだ。
その瞬間、アクオスが踏み込み、剣先を振り抜く。
氷のように冷たい光が刃先に宿り、魔物の体に触れた瞬間、凍りつくかのように動きが止まった。
続いて、アクオスは素早く左右に踏み替え、次の魔物の攻撃をかわす。
牙が空を裂く音が、耳を突き刺す。
カルビンも同様に、瞬時に斬撃を繰り出す。
一匹が横からカルビンに飛びかかってきたが、カルビンの剣が首筋をかすめ、魔物は地面に叩きつけられた。
ダミアンはジルの背から尾で魔物を払い飛ばす。
竜の力は人間の力をはるかに超え、攻撃の軌道が読めない。
ダミアンは魔物を圧倒した。
払い飛ばされた魔物は、竜に乗るダミアンから距離を取り、あろうことかアクオスに向かっていく。
「団長!そっちに行きました!」
一匹の魔物がアクオスの前方に跳びかかろうとした瞬間、アクオスの剣が閃き、肩口に深く切り込みを入れる。
魔物は悲鳴を上げ、後方へ吹き飛んだ。
地上で戦う三人の連携は完璧で、まるで一つの意志を持つかのようだ。
上空ではジルともう一匹の竜ラウが旋回し、絶え間なく魔物の注意を分散させる。
突進と斬撃、風圧が混ざり合い、森の中に土と葉の香りと血の匂いが立ち込める。
「すごい…………」
竜の加護を持つ竜騎士たちには一瞬の隙も無い。
目の前で繰り広げられる三人の戦いは冷静そのもので、圧倒的な技量が、森の緊張感をさらに高めており、あまりに綺麗な乱舞のようで、一人の騎士が思わず小声でつぶやく。
ヘーゼルもその戦いに息を呑み、呼吸も忘れた。
アクオスの冷静な指示と、ダミアンとカルビンの迅速な動き、上空からの竜の援護、すべてが一体となり、三頭の魔物はわずか数分で倒される。
その瞬間、森に静寂が戻り、戦いの余韻だけが残った。
ヘーゼルは胸を押さえ、思わず呟く。
(……す、すごすぎる……!)
初めて、竜騎士の討伐を目の当たりにした全員が唖然とする中、アクオスはゆっくりと剣を振り、腰に差しながらヘーゼルの無事を確認する。
そのまま落ち着いた足取りで前へ歩み寄ると、研究者たちに声をかけた。
「研究者の皆さん。あの魔物で必要なものがあれば、すぐに持って行ってください。ただし、静かに。時間はあまりありません。短い間で処理してください」
言葉を聞いた研究者たちは、一瞬言葉を失った。
しかし次の瞬間、表情が輝き、倒れた魔物の元へ駆け出していった。
「師匠、いかがですか?実験は成功ですか?」
「……ああ、ほぼな。これならいけるだろう……」
ベールは足元に残った花を見下ろし、満足げに息をついた。
ヘーゼルは、あらかじめ用意してあった“赤い花もどき”を、抜き取られたスペースに植えていく。
香りこそないが、見た目は驚くほど精巧だ。よほど近づかれなければ気づかれないだろう。
ベールはそう言いながら、鞄の中をゴソゴソと探っている。
「ああ、あった」
取り出したのは、小さなカゴに入った、あのネズミの魔物だった。
度重なる実験のせいで異形種ではなくなり、今はただの『ネズミ型の魔物』という姿に落ち着いている。
ベールはカゴに、残しておいた赤い花の花びらを一枚落とす。
ネズミはすぐさま飛びつき、齧りついた瞬間、目が妖しく赤く光った。
「……よし」
魔物が花を口にしたのを確認して、実験が成功した一番の花を摘み、指でひねり取ると、その花びらをカゴに落とす。
暴れているネズミは、それに気づかない。
「仕方ない」
ベールは花びらを摘んだ指ごとカゴの中へ入れた。
次の瞬間 ガブッ!
「……っ!」
尖った牙が容赦なく指を噛み切った。小さな魔物でも、魔物であることに変わりはない。
血がぽたりと垂れ落ちた。
「師匠!大丈夫ですか!」
「……解毒薬は持ってきている。心配いらん……」
やがて一番の花の効果が回り、ネズミは急に大人しくなり、カゴの隅で丸くなる。
「師匠、すぐに手当てを……!」
「……いい、自分でやる……お前の番犬が睨んでるぞ」
ヘーゼルが必死で鞄の中から薬を探す背後で、アクオスが無言でベールを見下ろしていた。
「何言ってるんですか!早く手を出してください!」
「…………と、いうわけで、これは不可抗力だ……」
ベールは観念したように、後ろにいるアクオスへ言い訳をする。
アクオスは呆れ顔で、しかしどこか納得したようにため息をついた。
「……研究者は、無理をするとは思っていたが……間近で見ると、なかなかに狂気だな」
「……この性分じゃなかったら、この場にいなかっただろうよ」
不貞腐れ気味にそっぽを向くベール。
アクオスは小さく笑い、そして空の太陽の位置を確認した。
「……予定より大幅に遅れている。そろそろ引き返そう。問題ないか?」
「……ああ。やりたかったことはやった。帰ろう」
ヘーゼルが手当を終えると、ベールはネズミのカゴをしまった。
こうして一行は帰路についた。
帰りも魔物の襲撃が絶えなかったが、騎士たちが巧みに防ぎ、竜たちの加勢もあって、一行は無事、森を抜けた。
森を出た時には夕暮れで、あの陰鬱だった魔の森が嘘のように、世界は柔らかなオレンジの光に満ちていた。
「ヘーゼル、今日はもう帰れ」
「え?ですが、まだ片付けも……」
調査部の前で荷物を整理しようとしたヘーゼルに、ベールはきっぱりと言った。
「魔の森は瘴気が強い。想像以上に体力を使っているはずだ。帰って湯に浸かって休め。そのために、こいつらを連れて行ったんだ。また明日な」
「……わかりました」
護衛の騎士はまだ残っていたが、竜騎士たちはアクオスを残し先に帰還していた。
「ヘーゼル嬢、送っていきましょう」
アクオスは公爵家の馬車へ、ヘーゼルを誘導した。
見慣れた黒い馬車が迎えに来ており、傍にはヘーゼルの護衛でつけられているモンドの姿もある。
「お迎えありがとうございます」
アクオスの手を借りて馬車に乗り込みながら、モンドに頭を下げる。
「おかえりなさいませ」
「モンド、屋敷まで同乗する。俺の馬でついてきてくれるか?」
「はい、お任せください!」
馬車はゆっくりと動き出した。
アクオスが傍についている安心感のせいか、揺れが心地よく、魔の森で張り詰めていた緊張が静かにほどけていく。
ヘーゼルは、今日一日の出来事を思い返しながら、そっと息をついた。




