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「今日は来るのが早いな。昨日に引き続き、俺に嫌がらせか?」
「ち、違います! メレドーラ家の皆さんに揶揄われて……居心地が悪くて、早く来てしまいました」
「揶揄われる?」
「はい、色々ありまして……」
「……そうか。とりあえず、これでも飲め」
ヘーゼルの前に、カップに入った正体不明の液体が置かれた。
「なんですか? これ?」
カップの中を覗いたヘーゼルの表情は、どう見ても怪訝そのものだ。
「虫刺され防止の薬だ。魔の森に入るんだ、相手はその辺の虫ではない。念のため飲んでおけ」
「……あまり、飲みたくないのですが……」
「飲まなければ飲まなくていい。後で顔がパンパンに膨れても知らんぞ」
そう言うと、ベールは自分のカップを躊躇なく煽った。
(……毒じゃなさそう)
ヘーゼルは覚悟を決め、恐る恐る口をつけた。
味は『ほんのり甘い雑草そのもの』。
不味いが、飲めなくはない。
「……ご馳走様です……」
「嫌々のご馳走様だな。まあいい。魔の森に行くまで少し時間がある。実験に付き合え」
ベールは鍵を掴み、部屋を出る。ヘーゼルは慌てて後を追った。
「どちらへ?」
「魔物のところだ」
「何をするのですか?」
「花の無効化は第一段階に過ぎん。花が成功しても、すべての魔物に効くわけじゃない。直接魔物に試す実験も必要だ」
魔物のいる階の扉を開けた瞬間、禍々しい風がぶわりと押し寄せた。
檻越しでも、魔物の存在が肌を刺す。
「俺が薬を投与する。お前は数を数えろ」
ベールは腕を捲り、棚から例の“ドブ汁”を取り出す。
そしてヘーゼルへノートを放った。
「後ろに時間を記すページがある。そこに数字を書け」
「は、はい!」
「行くぞ」
投薬用の小窓を開けると、圧力を伴う咆哮が襲う。
「グァァァァァアアアーー!!」
耳が割れそうな叫び。魔物の息だけで体が揺れた。
ベールは怯むことなく、隙をついて瓶ごと液体を魔物の口へ放り込む。
魔物は口の中の異物に気づくと、咀嚼音を響かせた。
(1、2、3、4、5、6……)
ヘーゼルは怯えながらも、きっちり数を刻む。
「……そろそろだな」
魔物は深く鼻から息を吸い、しばらくすると暴れが嘘のように静まり返った。
「今の数字を記入しろ」
「は、はい! ……240……」
「ここからまた数えろ」
「はい!」
ヘーゼルは無心で数を数え続けた。
どのくらいたったのだろうか1500を過ぎたあたりでベールから声がかかった。
「おい、そろそろ行くぞ」
「え?」
「魔の森に行くんだろう?」
「あ……そうでした! 数を数えるのが楽しくなってしまって……!」
檻に入った魔物は、先ほどより少し落ち着きが無くなっているようだ。
ベールはいつの間にか近くにいた調査部の人へ、何か話しに行くと、数分でこちらに戻ってきた。
「一度部屋に戻って、準備をしたらすぐに出かけるぞ」
少し早足で回廊を進んでいく。
ベールの部屋に戻ると、目の前にはずらりと騎士が整列していた。
「おっと、思っていたよりすごい数だな……」
(すごい……三十人はいる……あっ!)
その中にダミアンとカルビンの姿を見つける。
二人はヘーゼルと目が合うと、小さく手を振ってくれた。
竜騎士はやはり別格らしく、少し離れた場所で悠然と立っている。
一人の騎士が進み出て頭を下げる。
「ケベック様。第二騎士団団長、ホークスです。本日は騎士団から24名、竜騎士団から三名参加予定です」
「今日はよろしく頼む」
「はい、全力で努めます」
ホークスは列へ戻った。
「……三名?」
ヘーゼルが竜騎士側を見ると、カルビンが静かに頷いた。
「……おい、行くぞヘーゼル」
「あ、はい!」
ヘーゼルはダミアンとカルビンへ軽く頭を下げ、ベールを追う。
(あと一人……後で誰か来るのかしら)
ヘーゼルは首を傾げながら準備を整えた。
「よし、行くぞ」
「はい!」
魔の森は危険だ。
その証拠に、三十名近い精鋭が隊を組む。
竜騎士二名は竜に乗り、空から全体を守るように飛んでいた。
「凄いな、お前……竜騎士まで引っ張り出したのか」
ベールは空を見上げて笑う。
「アクオス様のご配慮です」
「まあ、そうだろうな。魔の森に入ったら、突っ走って怪我すんなよ」
「……その言葉は師匠にお返しします!」
「ははは。どんな結果が出るか楽しみだな」
「……そうですね。それにしても、調査部の方もたくさん参加されるのですね」
ヘーゼルの視線の先には、十数名の研究者らしき姿があった。
「魔の森だからな。堂々と入れる機会なんて滅多にない。連中も、この機会に便乗して研究してるんだ」
荷物をいっぱいに抱え、怪しげな器具をいくつも運ぶ研究者たち。
彼らの好奇心は、どうやら危険への警戒心すら上回っているらしい。
(さすが『狂った塔』と呼ばれるだけのことはあるわね……妙に緊張感がない……)
研究者たちは、まるで遠足でも来ているかのように楽しげに歩き、その合間には器具の自慢話まで聞こえてくる。
対照的に、騎士団の面々は魔の森に入る前だというのに、張り詰めた空気を漂わせていた。
「ケベック様、まもなく魔の森の入口です。隊列を整えてください」
ホークスが、にぎやかな調査部をちらりと見やりながら、ベールに声をかける。
「おい、お前たち、聞いた通りだ。ここから先はいくら騎士団がついていようと、自分の身は自分で守るつもりでまとまって進むぞ。隊を乱すなよ」
「ベール、行きたい場所があるんだが……」
恰幅の良い、穏やかそうなおじ様が手を上げて声をかけてくる。
「ダメだ。今回の目的はあくまで俺の実験だ。どうしても行きたいなら一人で行け」
「なんだよ、せっかくの『魔の森ツアー』なのに」
「最初からそう言っただろう。それでもいいとついてきたのはお前たちだ。今回は隊列から離れない場所までだ」
「はいはい、わかったよ」
不満げに眉をひそめながらも、おじ様は列へ戻っていった。
ベールはため息をつき、ヘーゼルにも声をかけた。
「お前も、俺から離れるなよ」
「はい、もちろんです!」
隊列がゆっくりと森の入り口へ歩を進めたそのとき、空気がひやりと震えた。
騎士たちもすぐにそれを察し、研究者たちを守る態勢を取る。
ヘーゼルは、とっさに動いたベールの背に身を隠した。




