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ヘーゼルは朝食の席で、メレドーラ家の人々から温かい眼差しを受け、いたたまれない思いをしていた。
「ヘーゼルさん、昨日はアクオスとお会いになったとか……?」
ラグーナがそう言って、手にしていたフォークを静かに置く。
いつもよりいい笑顔でこちらを見ている。
「あ、はい……」
朝から何度も昨日の出来事を思い出しては頬を赤らめていたヘーゼルは、アクオスの名を聞いただけで再び顔が熱くなった。
その様子を見ていたラグーナとシャナはにっこりと口角を上げた。
「アクオスは元気でしたか?」
「はい、お元気でした……」
ヘーゼルの隣から、ゼルダが身を乗り出す。
「最近、竜騎士団の討伐に出る回数が一日に五回以上あると聞いたわ!異形種の魔物をあんなにたくさん討伐するなんて、本当にアクオスお兄様ってすごいの。今、竜騎士団は王都でも絶大な人気なのよ。学校でもお兄様のファンクラブがあるの!」
「そうだな。最近の魔物の出没は、過去に例がないほど多い。異形種を討つには竜の力が必要だから、どうしても竜騎士団への負担が増える……」
アクオスの父・ワイアットが、少し心配そうに眉を寄せる。
「私たち騎士科の生徒の中にも、竜騎士に憧れて入隊を希望する者がいるのよ。でも、入隊はとても難しいの。だから憧れはあっても入る前からあきらめる人も多いわ。だから、竜騎士団は少数精鋭でみんなのあこがれなのよ!」
「……そういえば、カイロス叔父さんも、忙しそうだよね?」
ナーラスは魚料理を口に運びながら、もぐもぐと喋る。
「カイロスは魔物討伐こそないが、王太子直々の命で動いているらしい。こちらに寄る暇もないほどだそうだ」
ワイアットはパンを手に取りながら、孫の問いに答える。
「父上も最近は邸で見かけませんね。なんだか、みんな忙しそうだな……。かく言う僕も、おばあ様と母上と一緒に出店準備で忙しいんですけどね」
「あら、ナーラス。城の仕事でお忙しいお父様の代わりに、公爵家の仕事をしているお爺様も、相当お忙しそうよ?」
「……それを言うならさ、忙しい選手権の優勝者は、助教授かもしれないよ?」
「ああ、確かにそうね。朝から夜まで働いていらっしゃるものね。ヘーゼル様、今日もこのあとすぐお出かけですか?」
ゼルダから急に話題が自分に向かってきて、ヘーゼルは飲んでいた水で思わずむせた。
「……コホンッ!……え、ええ……はい。本日も調査部の方へ……」
「調査部!?助教授、いま、ケベック教授と何か研究をなさっているんですか?どんな研究ですか?」
ナーラスが目を輝かせて、早口で問いかけてくる。
「あ……ええと……それは……」
歯切れの悪い返答に、ワイアットが軽く咳払いをした。
「ナーラス、研究内容は人に話せるものではない。ヘーゼルさんを困らせてはいけないよ」
「でも、お爺様……」
興味が勝っているのか、ナーラスはまだ引き下がらない。
「……私も詳しくは知らないが、ヘーゼルさんはとても重要な研究をされていると聞いている。軽々しく口にできるものではないだろう。ナーラス、お前だって自分の研究をペラペラ喋ったりしないだろう?」
「……まあ、確かに……」
ワイアットとナーラスのやり取りを聞きながら、ヘーゼルは心の中でワイアットに感謝した。
いま、取り組んでいるのは、あくまで師匠の研究だ。自分のことなら少しは話せるかもしれないが、他人の研究を軽々しく漏らすわけにはいかない。
「すみません、ナーラス様。師匠の研究なので、私が話してよい内容ではなくて……」
ヘーゼルは申し訳なさそうに言う。
それを見ていたシャナがナーラスに声をかける。
「……ねえ、ナーラス、そんなことより、ヘーゼル様に別の話があったのでは?」
落ち込み気味のナーラスに、シャナが穏やかに声をかける。
ハッとしたナーラスは、「そうだった!」と顔を上げてこちらを向いた。
「助教授、実はご相談がありまして!」
「ご相談?なんでしょうか?」
「花祭りの翌日、私たちの化粧品のお店がオープンすることになったのですが、そのオープンの日に、一日お店に来ていただけないでしょうか?」
「売り子さんのお手伝い、ですか?」
「ああ、いえ、そうではなくて……実は、お店の名前をみんなで考えて『ヘーゼルツリー』にしたんです。化粧品を作ってくださった助教授の名前をいただいたので、ぜひレセプションのパーティーに出席してほしくて……」
「……ヘーゼルツリー……?」
「あら、やっぱりその名前に決まったのね!ヘーゼルさん、お店のマークは私が描いた『木』のデザインなんですけど、とっても可愛いのよ」
「ゼルダ様がお書きに……?」
「ええ、私こう見えて絵が得意なんです!」
シャナが執事のカイトに合図を送ると、彼は静かに箱のようなものを運んできた。
「ガゼット子爵令嬢様、こちらを……」
赤い布の上に置かれたのは、艶やかな白い箱。その表面には、繊細で可愛らしい木の絵が描かれていた。枝には小さな実がつき、二匹の小さな鳥が飛んでいる。どこか穏やかで幸せを感じる温かい雰囲気を纏っている。
「まあ……なんて可愛らしい絵でしょう……。とてもおしゃれで、それでいて上品です。こちらがお店のモチーフなのですか?」
ヘーゼルは目を輝かせながら箱を見つめる。
「ふふふ……お褒めいただけて光栄ですわ、ヘーゼル様」
ゼルダは、いたずらが成功した子どものように満足げに微笑む。
「……『ヘーゼルツリー』という名は、私たちの恩人であるヘーゼルさんのお名前を冠しているのです。私たちがそうであるように……皆が幸せでいられますように、という願いをこめて……お義母様が名づけてくださいましたの」
シャナの言葉に、ヘーゼルは驚きと感動を隠せず、そっと胸に手を当てた。
「よろしいのでしょうか……?メレドーラ家の大切な新事業のお店に、そのように私の名前を付けていただいて……」
「ええ、もちろん。私たちはその名前がとても気に入っているの」
優しく微笑むラグーナ。
「だって、シャナとゼルダがあの日、魔物から逃れられていなければ……今、この瞬間はなかったのだから」
静かな言葉に、テーブルの空気が一瞬あたたかく包まれた。
ヘーゼルは胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、そっと両手を膝の上で重ねた。
「シャナ様、ラグーナ様……ありがとうございます。本当に、嬉しいです……。ナーラス様、「ヘーゼルツリー」のオープンの日には、私にもお手伝いさせてくださいね」
「助教授、ありがとうございます!」
ナーラスの顔が一気に輝く。
「僕の薬学部の仲間たちも、助教授に会いたがっていたんです。その日、ぜひ紹介させてください!」
「ええ、もちろん」
笑顔を返すヘーゼル。
その頬は、喜びと少しの照れでほんのり赤い。
「……ああ、それと…………」
ふいにラグーナが意味ありげにヘーゼルを見た。
「うちの騎士がね、昨日、アクオスとあなたがとても仲睦まじそうにしていたと報告してきたのだけれど?」
「えっ!? い、いえっ、そ、そんな……!な、仲が良いだなんてっ……!」
ヘーゼルの声が裏返る。
みるみるうちに頬が赤く染まり、視線が泳ぐ。
ラグーナとシャナは、同時に目を合わせてクスリと笑った。
「ふふふ……そう。なるほどね……」
ラグーナの声音には、どこか含みのある優しさが混じる。
「ヘーゼルさん、今はお忙しいでしょうけれど、今度ゆっくりお茶でもいたしましょう?ね、シャナ?」
「ええ、お義母様、ぜひそうしましょう!その時、色々お話を聞かせてくださいね」
「は、はい……」
消え入りそうな声で答えるヘーゼル。
チラリと顔を上げると、ラグーナの笑顔が眩しいほど輝いていて……ますます逃げ出したくなる。
「あ、あのっ……そ、そろそろ時間なのでっ、出かけてまいります!!」
椅子が軽くきしむ音とともに、ヘーゼルは立ち上がり、急ぎ足で扉に向かって歩き出した。
「いってらっしゃい、ヘーゼルさん。今日も一日、頑張ってくださいね」
ラグーナが朗らかに見送り、シャナも満面の笑みで手を振る。
二人が顔を見合わせると、自然と同じ結論にたどり着いていた。
(ヘーゼルさんのあの反応、どう考えても、アクオスから何か告白したに違いない)と。




