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竜のいる国のお話です。
田舎に自領がある薬師の子爵令嬢ヘーゼルと竜騎士団団長アクオスの物語。
拙い文章なのですが楽しんでいただけたら幸いです。
ヘーゼルが父の果樹園でベリーの収穫を手伝っていたとき、雲ひとつなかった青空が、突如として暗く翳った。
さきほどまで地面を焦がすほど照りつけていた太陽が、まるで誰かに遮られたように影を落とす。空を仰ぐと、風がザーッと吹き抜け、木々の枝がざわめいた。
黒や赤や黄色など大きな塊がバサッと音を立てて風を起こしながら通り過ぎていく。
「あ……竜騎士様……」
ヘーゼルの視線の先には、空を駆ける数頭の竜。
その背に立つ騎士たちが、鋭く広げた翼で大気を切り裂きながら、物凄い速さで彼方へ消えていった。
竜は、鱗が赤色の火属性、黒色は水属性、黄色は風属性と、色により属性がかわってくるそうだ。
たまに、茶色や濃い紫や深緑の竜もみるが、それらはだいたい黒竜に属し水属性らしい。
ここ、アイゼン帝国は豊かな資源と温厚な国民に恵まれた穏やかな国だ。
だが、その国境は魔の森に囲まれ、日々現れる魔物たちを狩ることで、平穏がかろうじて保たれている。
誰もが憧れる誇り高き職業。
だがその道は険しく、厳しい訓練と試験を経て合格できるのはほんの一握り。
中でも、竜騎士団は別格だ。選ばれし精鋭たちの中から、さらに数年に一度しか入団が認められない狭き門なのだ。
こうして、たまに上空を通り過ぎる空を舞う竜を見るのが大好きなヘーゼルは、ベリーの収穫の手を止めてキラキラ光る目で、あっという間に通り過ぎて行った竜たちを見えなくなるまで目で追った。
「ヘーゼル!ヘーゼルどこ!?」
子供の甲高い声でヘーゼルの名を呼んだのは、先日父が拾ってきた迷子の男の子レイだった。
父が王都から戻る途中、山道の脇で、意識を失い怪我を負った幼い少年を見つけたのだ。
年の頃は六つか七つ。とても整った綺麗な顔立ちで、着ていた衣服は上質な生地と丁寧な縫製、明らかにこの辺りの子ではない。
どこかの貴族のご子息だろう、と父は判断したのだが、オオカミや野犬に襲われては一大事と、ひとまず家へ連れ帰り、手当てを施した。
「目を覚ましたら、どこに住んでいるのか聞いて送り届けよう」
そう言っていたのだが……
看病していたヘーゼルが部屋に入ったとき、ちょうどその少年が目を覚ましていた。
透明に近い、幻想的などこまでも澄んだアクアブルーの瞳。
その瞳に怯えを宿しながら、彼はベッドの上で静かに身を起こしていた。
「あら、起きたのね。大丈夫かしら?」
声をかけると、少年は驚いたように目を見開いて固まった。
ヘーゼルは一度椅子を持ってきて、そっとベッドのそばに座る。
「こんにちは、私はヘーゼル・ガゼット。十九歳で、趣味は薬草の栽培よ。よろしくね。いま不安でいっぱいでしょう?まずは、あなたがどうしてここにいるかを説明するわね。いいかしら?」
少年は小さく頷いた。
「三日前、近くの湖のそばの側道で、あなたが倒れているのを父が見つけたの。家がわかるなら、明日にでも送っていけると思うのだけど……どこに住んでいるのか、教えてもらえる?」
だが、少年は返事をしない。ただじっと、ヘーゼルを見つめるだけ。
「……もしかして、喋れないの?」
少年は首を横に振る。
(じゃあ、喋れるけど話したくない……のかしら)
「……今はまだ話す気分じゃないのね?いいわ、無理には聞かない。それより、お腹はすいてない?スープとパンならすぐ用意できるわよ」
その言葉に少年は顔をほんのり赤らめ、こくりと何度も頷く。
タイミングよく、お腹の虫が「ぐぅ~」と愛らしく鳴いた。
ヘーゼルは思わず笑いながら、台所へ向かった。
部屋に戻ると、扉の音にビクリと少年が肩を震わせる。
慎重に歩み寄り、テーブルにスープとパンを並べた。
「お待たせ。テーブルまで来られる?歩けないなら抱っこしてあげるけど……」
言い終える前に、少年は慌ててベッドから降り、ふらつきながらもしっかりとした足取りで歩いてきた。
スープの湯気がふわりと立ち上り、少年は静かに水を飲んでからパンを小さくちぎって口に運んだ。
(……食べ方が、綺麗……)
飢えていたはずなのに、ガツガツとはしていない。所作はゆっくりと、どこか上品だ。
育ちの良さが滲み出ているようだった。
食事を終えるのを邪魔しないよう、部屋の隅で見守っていたヘーゼルは、空になったスープ皿を見てゆっくり近づく。
「……おかわりはいる?」
少年は首をぶんぶん横に振った。
「お腹いっぱいかしら?……じゃあ、これはどうかしら。デザートなんだけど食べられる?」
手にしたのは、果樹園で採れたベリーをふんだんに使った手作りのふわふわの蒸しパン。
鮮やかなピンク色のそれに、少年の瞳が釘付けになる。
「ふふっ、これはすごく美味しいのよ。食べたい?」
すごい勢いで頷く少年に、ヘーゼルは思わず笑みをこぼした。
皿が置かれるのを待ちながら、そわそわと姿勢を正す様子は、ようやく年相応の「子供らしさ」が戻ったようで、微笑ましい。
……だが、蒸しパンを手に取ると、一口、また一口とゆっくりと口に運び、目を細め、口元をふんわりと緩めた。
その仕草には、どこか落ち着いた気品があった。
(……まるで、大人みたい……)
その表情に、一瞬だけ年齢を越えた何かが垣間見えた気がして、ヘーゼルはどきりとした。
だが次の瞬間、少年は小さく言った。
「ごちそうさま……」
それは、少年が初めて話した言葉だった。
「!!よかった!こちらこそ、全部食べてくれてありがとう!」
少年はまた黙ってしまったが、その表情は、ベッドで目を覚ましたときよりもずっと明るくなっていた。
緊張がほんの少しほどけた気配に、ヘーゼルはそっと声をかける。
「お皿、下げてくるわね。そのあと、少しお話しできる?」
ヘーゼルがそう言ったとき、少年が急に目を伏せ、震える声で呟いた。
「あ、あの……ぼ、僕は……誰なのでしょうか?」
「えっ……?」
手にした食器が、がちゃり、と音を立てて床に落ちた。
ヘーゼルの目が、驚きでこれ以上ないほど大きく見開かれた。
お立ち寄りいただきありがとうございます。
最終回まで読んでいただけたら嬉しいです。
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