16 彼方からの声
――どう、なったんだ。
溶かされたのか。
それとも……
俺は状況を整理しようと、混乱した頭を働かす。
元はあのカーという男と「扉」から流入した異界のエネルギーが融合。ミスト男が誕生した……でいいんだよな。
そのミスト男が邪神の加護に目覚め、神技を使った。それにより霧の魔物イビルミストそのもののようになった。
そのイビルミストの体で包まれた女信徒が消えた。
見たままに感じたことをいうなら、融合した。
俺にはそう思えた。
「うわー、あっちは面白そうなことになってるな~。うぉっと」
グリムだ。マーガ様の相手をしながら、こちらの様子を楽しんでいる。さすがに余裕がなくっているが。
それにミスト(?)も反応した。
「……ああ~……おまえも……師も……喰い……喰いたいなあ~」
「うん、それもいいね……あぶなっ! おっとっと……、いつかその身が天にまで届くなら……っと」
「そうだな……てんに……とどく……とどく?」
会話が成立しているのかしていないのか。
というか、ミスト男の意思で融合……したとして、今のこいつの意識はどうなってるんだ。
意識も融合していたりしないのか。
その辺のことを知っていそうなのは、こんな実験を繰り返したであろうグリムしかいない。
かといって、あいつに聞くわけにもいかないだろう。
声はカーのように聞こえるが、くぐもっていてはっきりと判別できない。
なにより、そんなことを気にしている余裕は、
「まず……おまえ……おまえら……から……喰い……喰え……喰う」
ない。
こちらに矛先を向けてきたカーと女使徒の融合体のミスト。
こちらが迎撃の構えを見せると、それに対応して動き出した。
一時は細かく切り裂かれた体は、女使徒を喰らった時点でまた一体に融合している。
その霧の体を細く伸ばし、触手のような先端を向けてきた。
「……かみさま」
ミストが邪神に祈りを捧げると、伸ばした6本の触手の先端に、6本の黒い光が出現した。
「――――っ! 法の盾」
俺は5つの盾を出現させる。だが、このうち4つはただの幻だ。
それでもそんなことを知らない相手には効果があった。
黒い剣を動かすミストの触手が攻めあぐねるように、動きを鈍らせる。
さて………………どうしよう。
イビルミストは「再構築」で即死だったけど、こいつには効くのだろうか。
前の時は躊躇したけど、今はそんなことを考える余裕はない。
時間を稼いでいる間に他のみんなが何とかしてくれないかな~。
それにしても、ずっと時間稼ぎしている気がしてきた。聖騎士の仕事って時間稼ぎだっけ。違うよな。でも見習いの仕事はそうだって言われたら反論できないような。いや、もう見習いじゃなくて従騎士級になったんだったか。
益体もない思考が脳裏を巡る。
しかし……目の前のミストを見る。
白い霧の体が楕円状に広がっている。
そのふしぶしに人であったことを示す断片が散らばっている。
はっきり言って、おぞましい姿だ。
「何なんだこれは!」
部隊長も嫌悪を隠せない。
「邪神は何がしたいんだ。こんなものを生み出すことが邪神の望みなのか」
それには同感なんだが、前面に立っている身としては文句よりも対策を打ち立ててほしいかな。部隊長なんだし。
ウイメさんもそう思っているのか「しっかりおし」と部隊長を叱咤している。
「気持ち悪い」
「強くなれるんなら、あれも正しい姿なのか……いや、でもな。強くなれないから、ああなっちまうのか?」
仲間たちからも邪神への嫌悪が漏れる。
俺も嫌悪はある。だが、それを下すには何かが足りない。そう思う。
このミストの姿が邪神の望みか、と部隊長は言った。
賢者ノストの残した言葉にあった。
神々は我々人のために加護を授けるのではない。
神々はそれぞれに自分の世界を持っている。
故に、それを為すために他の神々との争いが起こった。
加護は人の助けではない。
神の理想とする世界を為すための助力。
神の理想とする世界に相応しき存在へと導くための助力。
で、目の前のミストだ。
これが邪神の目指した世界の住人?
こんなのがいるのが邪神の理想とする世界?
みんなのように唾棄して吐き捨ててしまいたい。
でも、それは不公平な判断だと俺の中の何かが告げる。
不公平――か。
公平の神ジャッジ。
俺の神。
あなたになら分かるのか。この審判の結果が。
否
―――――――今っ!
次の瞬間、ミストが潰れた。
中の空気が抜けてしぼむように、ミストは……、いやミスト男は……、いや……カーは。見る間にこぶし大の塊にまで縮んで、それでも留まらず、目視できなくなるほど縮み、やがて消えた。小さすぎて消える瞬間の確認はできなかった。
その跡にひとかけらの異晶石が地面に落ちて、甲高い悲鳴を上げた。
何が起こったのか、誰も把握できないでいた。
カーは俺たちがなにもしないで、ひとりでに消えた。
そう見えた。
「……自滅した?」
部隊長が呟く。
みんなの視線が集まったのに応え、部隊長は自分の考えを述べた。
「ミスト系の魔物は、もともと不安定な魔物だ。それが人と融合した。安定していたように見えたが、実は危ういバランスで成り立っている不安定な存在だった。そこにさらに別のもの――もう一人の人間を融合して、バランスが崩れた。その結果、崩壊――自滅した。……そういうことなんじゃないかと思う」
「そうか、自滅か」
「そうだね。それはそうなるか」
みんなそれで納得している。
「なんだよ、あっけねえな。拍子抜けだ」
「よく言う。いつもすぐに前に走っていくのに……。今回は動いてなかった。前にいたのはレイクさん」
「バっ、ッカ……おめえ……」
みんなには聞こえていなかったのか。
あの声は。
あれは――――神の声?
何故、今神の声が俺に?
そして、その後のミストの消滅は、何か関係が――?
……いや、神の声ぐらい前にも聞いたことがあるし。
質問すれば答えてくれるぐらいのサービスをしてくれることもあるだろう、うん。
ジャスの奴なんか邪神の感情の機微まで感じ取れるとか言ってたし。
邪神は「邪神」呼びを他の神と違う特別扱いとか感じて悦に浸ってますよ。痛いですよね、とか言ってた。声聞くぐらい別段特別な事でもないよな。
第一、声が聞こえたことと融合野郎が潰れたことに因果関係を感じる方がおかしいんだ。
神にあいつをどうにかする理由なんてない。部隊長の言った通り自滅しただけだ、そうだ。
「うっ!」
俺の肩に手が置かれる。
慌てて振り向く俺の目に映るのは、
「すまない。迷惑をかけた」
この人は、お嬢様を神と崇めるディクスン先輩!
復活したのか。
「もう大丈夫なんですか?」
「いつまでも寝ているわけにはいかないさ」
うん、まともだ。
さっきは先走ったが、道中でもずっとまともだった。
まともじゃなくなったのはマーガ様が出てきてから――そうだ!
俺たちの方は片付いたが、まだ肝心な戦いが残っている。
生き残った実験体はみな降伏して、ひとまとめにされている。
残りはマーガ様と邪神教団の主教グリム。
この二人の戦いはまだ続いていたんだった。
ついでにいうなら、この戦いの結果で、俺の帰趨も決まるといっていい。
それは目の前の光景からも明らかだ。
目の前の光景はまるで嵐。
とてもじゃないが参加できない。
グリムが勝ち残った場合、俺たちには抵抗不可能。
よく見えないが、見ていればそれは自明の理。
俺たちはしょうがないので、突っ立って見物している。それしかできない。
いや、逃げる――避難した方がいいのか?
戦況は……良く見えないので、よく分からない。
マーガ様が自分の髪に手をやった。
上から下まで大部分を巻いている上で、地面まで届く長さの金髪。どれだけ長いのか。それでどれだけ手間暇かけてセットしているのか。
わざわざ戦いの場にそんな髪型をしてくるなんて舐め腐っているのか、なんてチラッと思ったのは内緒だ。
そのマーガ様は髪を手で後ろに流し、
「我が神に捧げる。この手に勝利を!」
神技を発動させた。
その瞬間、巻かれていた金髪がほどけ、すべてのロールが消え失せた。
「おお、あれぞマーガ様の『すべては戦いのために』」
ディクスン先輩が感極まっている。
やっぱりこの人、マーガ様が関わった時だけ正気をなくす。
さらに、戦女神の神技「すべては戦いのために」なら俺も知っている。それ自体は高位の神技ではなかったはず。
「あれぞ」なんて言っていたが、下手したらディクスン先輩も使えるんじゃないのか?
「すべては戦いのために」
世界一と名高い歌姫のコンサートが賊に襲撃されたことがあった。
ことの詳細は不明だが、この時、歌姫が戦女神の加護を授かり、この神技「すべては戦いのために」により賊を殲滅した。
この神技は文字通り、すべてを戦いのために捧げられる。そして、捧げたものと等価の力を神から授かる。
こ歌姫は世界最高峰と言われる自分の歌声を捧げた。
その代償として戦闘力を得た歌姫は、それまで剣も持ったことがなかったらしいが、瞬く間に賊を一掃した。すごい力だ。
その際の観客や会場の被害については、記録では濁されている。なんでも観客は一万人もいたらしい。
一万人の群衆と、それを制する賊の戦力。
瞬く間だったらしいが、きっとすごい力だったんだろうな。
そんな神技をマーガ様が使った。同時に納得がいった。
あの手間がかかりそうな髪型は、いざという時に捧げて力にするための準備だったのか。
何考えてんのとか思っててすみませんでした。
すさまじく巻きまくっていて地面まで届いていた髪がまっすぐになり、もう恐ろしい長さになっている。
力を得たのはいいとして、あれでちゃんと動けるのか。
そんな俺の心配をよそにマーガ様が動き出した。速い。もはや金色の塊が高速移動しているようにしか見えないが、明らかにそれまでと違いグリムの対応に余裕がなくなっている。
「嗚呼、さすがはマーガお嬢様」
ディクスン先輩が感極まっている。お嬢様って何だ?
「お嬢様は内地でも有数の名家にご誕生なさった」
そして、聞いてもいなのにマーガ様のことを語りだした。
「マーガ様は幼少より演奏歌唱絵画彫刻作法剣術武術乗馬運動魔導学問治世……と万能な才能を発揮して、末は万能神の聖騎士かと嘱望されておりました。
ですがマーガ様に授かったのは万能神ではなく戦女神の加護でした」
良かった。幼児期から順をおって語りださないで。
「落胆する周囲の凡人どもを余所にマーガ様がその時おっしゃられた言葉を一言一句思い出せます。
『これでいい。いや、これがいい』
マーガ様は宣言通り、戦女神の加護をもって聖人級にまで登り詰められました。
その万能の才能で数多くの結果を、過程の労力時間努力を、神に捧げる。いくらでも捧げるものを生み出せる。
さらにその御手は……………」
あ、先輩はマーガお嬢様の家の家人だったらしい。
それでお嬢様を追って自分も聖騎士になったそうだ。
聖騎士ってそうやってなれるものだっけ?
抽選で加護を授けると言われてる神の加護をもらった俺には言われたくはないかもしれんが。
そんな話を聞き流しながら二人の超人バトルを眺めていると、しだいに強化したマーガ様が優勢になっていた。
そして、ついに剣が一閃。グリムの首を切り落とした。
弾んで転がるグリムの首。
そのグリムの首がほどけて拡散した。同時に胴体も。
あれはさっき自分の腕を直した時と同じ――
「残念。臣はすでに肉体の枷からも解放されている。君たちとは違うんだよ」
拡散したグリムの肉体は再び一つに集い、全く無傷のグリムが出来あがっていた。
どうすりゃいいんだ、こんなやつ。
たじろぐ俺たちを余所にマーガ様は手にした剣を掲げる。
「捧げる」
その瞬間、剣が変貌した。見た目的には薄い光をまとっただけだが、剣から感じられる威圧感が格段に増した。
やたらとゴテゴテして実用性低そうな剣だと思っていたけど、やはりあれも。
「捧げるために手間かかってそうな剣を?」
解説の先輩にたずねる。
「そう! マーガ様が鍛冶スキルを磨き、鉱石を掘り出して、時間をかけて手ずから打った剣。そこに掛けた労力がすべて力になるのだ!」
解説ありがとう。
「……それは、すこし、まずいかな」
剣を目にしたグリムが少し後ろに下がる。
あの体のグリムでもまずいのか。まあ、あの体を見て、それから出したのだから、わざわざ無効なものは出さないか。
「怖気づいたか」
挑発するマーガ様。
「いや、負けないよ。負けないけどさ、ちょっと危ないかな~って。臣とお前の等価交換じゃ割に会わないからね~。負けないけど」
グリムは目線を合わさず、明後日の方に視線を向けている。
「ほう、益体もないことばかり喋る道化かと思ったが、逃げ口上だけは立派に喋るのだな」
さらに挑発を重ねるマーガ様。ずっと能面のように無表情だったが、煽る時は生気に満ちた迫力のある面構えになっている。
やっぱりこの人も戦いの神の聖騎士なんだな。
「霊子扉」
グリムは返答せず神技を使った。
「扉」とは違う神技なのか、「扉」と同じように空いた空間の穴には、見ていて不可解な感覚を呼び寄せる珍妙な色彩をしている。
グリムは「解放」した時同様に体をほどけさせて、不可解な色彩の空間に混ざっていった。
「……じゃあね。そっちの聖騎士たちもこっちに来たければ歓迎するよ。いつでもおいで」
最後にそう残して、その「扉」の中に消えた。
止めるやつは誰もいなかった。「待て」と声を掛ける人間もいなかった。
それにしても、急にこちらに矛も先が向いたのでドキリとした。
誰が行くかよと思うが、他のみんなもみんなそう思ったかは定かでない。
最後まで嫌な置き土産を残していってくれる。それともこれは疑心暗鬼になりすぎか。
そして、「霊子扉」とやらは、まだ消えていない。
通常の「扉」と同じように、その扉から異界のエネルギーらしきものが湧き出てくる。
それは通常と同じように、この世界の物質と融合する。
この地下施設の床や柱と融合し、ゴーレムとなった。
尋常でない空間からの尋常でないエネルギー。それから尋常でないゴーレムが生まれた。その数二体。
幸いといっていいのか、それで「霊子扉」とやらからのエネルギーの噴出は止まり、「扉」は閉じた。
実験用に作られたからか、ずいぶん高めに設計してあるこの地下施設の天井に頭をかすめるほどの巨大ゴーレム。
その全身はゲートの中と同様に不可思議な色彩をしていた。
これも置き土産か。
嫌な置き土産を二つも。
「マーガ様! 私がつゆ払いを」
事態の変化についていけず思考停止していた俺と違って、また先走るディクスン先輩。
どっちがましなんだろうか。
走っていった勢いのまま不可色彩ゴーレムに切りつけるディクスン先輩。
その剣は歪んだ色彩に同化した。
同化して歪む剣。そのままゴーレムのボディを何事もなくすり抜けて、また元に戻った。ゴーレムは無傷で目に悪そうな色彩を揺らめかせている。
ただのゴーレムではないってことか。
どうするかな―――
閃光が走る。
考える間もなくマーガ様が例の剣でゴーレムを切り裂いていた。
マーガ様が自分で打った剣を捧げて生み出した剣。
それを横薙ぎに一振り。
それだけでゴーレムは2体とも寸断された。色彩を激しくゆがませて、異晶石となって落ちた。
その剣をもう一振り。
今度は何を切り裂いたわけでもなかったが、それで剣は消えて失せた。
「首魁は去った。後は残党狩りだ。後続が追い付いたら取り掛かるぞ」
マーガ討伐隊長は、長すぎる髪を手早くまとめつつ指示を出す。
やっぱり邪魔は邪魔なんだな、あれ。
部隊長が畏まり、俺たちに指示を出す。
それに従って投降した実験体たちから、この施設の構造について聞き出す。
すっかり諦めている彼らは素直に話すが、立場上あまり詳しいことを知っていなかった。
特に最初からやる気のなかった一人は、こっちの質問なんかそっちのけで、自分は役に立つと売り込んできた。
なんでもそいつは実験の結果、食料を食べれば異晶石を生み出す体になったらしい。
体から異晶石を出すとか、それは……。
「それって、うんこってことか?」
フェイの奴。俺が濁したことを直球で言いおって。
実際は爪や髪の毛のようなもので、体表から石が生えてくるらしい。
老廃物には変わりないような。
異晶石は異界のエネルギーの結晶だが、その異界のエネルギーを直接人体に取り込む実験を受けたのだという。
結果としては失敗に終わっているが、それは伝承にある邪神エアがしようとしていたことと同じじゃないのか。
その後の聞き取りでも共通していた。
グリムの行っていた実験は、かつての邪神エアと同じ。
すべて自分が強くなるためのもの。
ちょっと発想が独創的過ぎて、それホントに効果あるのか、という実験も多々行われていたらしいが、あれだけの力を持った輩がさらに力を求めていたという事実。
「逃がして大丈夫だったのかよ」
フェイの心配を俺は笑いに変えようと試みる。
「なあに、俺たちが戦うわけじゃないし。心配はあいつの相手をする人にやってもらおう」
フェイは笑わなかった。
結果、それから邪神教団の主教「自戒」のグリムは、ギルドの勢力圏内から出ていき、二度とやってくることはなかった。
実験とやらは、あの段階で終わっていたのだろう。
俺たちはようやく普段通りに戻った暗黒大陸で任務をこなし始める。
それから、二年が経った。
ステータス
カー
腕力 14(+1)
器用 8(+1)
知力 7(+1)
敏捷 20(+1)
生命 28(+10)
精神 9(+1)
技能 ダークプリースト(エア)1 ミクスド 4