1 確率の奇跡
人の世に神はいない。
神がいたのは人の世の前だ。
神々は最終戦争の末に器をなくし、世界に直接干渉する術をなくした。
でも、この世界に神の実在を疑う者はないない。
なぜなら、神は人に加護を授けるから。
そして、神の加護を得た者は、己の能力を増幅させ、神技と言われる特殊な能力を得る。
神は己の信条に添った者に加護を与えると言われている。
例えば、戦いの神は戦士に。
音楽の神は音楽家に。
海の神は漁師に。
戦士は、より強力な戦士に。
音楽家は、より美しい音楽を紡ぎえるように。
漁師は、より大きな獲物をその手に。
ただしその条件は、結果から類推するのみであり、何故この人に加護が授かったのか、人間には計り知れない時がある。
漁師が戦いの神の加護を。
商人が大地の神の加護を。
農民が星の神の加護を授かることもある。
神ならぬ人の身では、神の真意を理解することなどできない。
そして、神の中に「公平の神」の名を持つ一柱がいる。
公平の神より加護を授かる者は、特にその共通点がさっぱり見いだせないと評判だ。
老若男女・貴族平民・金持ち貧乏・兵士農民・宮仕え自由人。
公平の神の加護を授かった人間には一切の傾向が見えてこない。
公平を尊ぶ精神性で選ばれているわけでもないようなのだ。
――それ故、こう言われる。
公平の神は、公平に、抽選で加護を与える相手を選んでいる、と。
ありえる、と思う。
なにしろ俺なんかが、公平の神からの加護を授かった訳だから。
――――公平なる裁きのために――――
その日、俺の頭の中に神の声が響き、公平の神「ジャッジ」よりの加護を授かった。
俺の名前はレイク。
職業はギャンブラー。
副業でヒモをやってる。
年齢は、もうすぐ30になる。
田舎の農家の三男に生まれて、耕す土地も余ってないんで、一念発起14の時に田舎から都会に出てきた。
俺に限らず手に職がない人間は、みんなそのぐらいの年で独立して都会にやってくる。代り映えのない経歴だ。
村にいた同じ年ごろの少年少女で連れ立って、都会へ集団就職ってやつだ。
初めは昔からの憧れ、冒険者ってやつになってみたんだが、これが全然稼げない。
冒険をしていない間の日雇いで、冒険者のための資金を稼ぐ生活といった有様だった。
さらに、冒険者の中には神の加護を得た者たちがいる。
やつらは「聖騎士ギルド」というギルドに所属し、魔物退治などの冒険者仕事を請け負っている。
やつらとは、あらゆる面であまりに差がある。
そんなやつらとの差を目の当たりにして、俺の足は冒険者の道から遠ざかっていった。
そうしてなんとか都会で必死に生活しているうちに、悪い友人から誘われたのがギャンブルだ。
どうやら俺には冒険者としての才能はなかったが、ギャンブラーとしての才能はあったようだ。
それも中途半端なものが。
俺のギャンブルでの稼ぎは、つつましく生活していく分には……少し足りない……ぐらい。
足りない分をどうしているかって?
それは女のアパートに転がり込んで、養ってもらっていた。
つまりはヒモだ。
俺はナナイという、俺と同じような境遇で田舎から出てきて、酒場の給仕している女のアパートに6年暮らしていた。
それで、今日、加護を授かった話を彼女にしたら……
「おめでとう。これで末は聖騎士様ね。なら、聖騎士寮に住めるわね」
そういって、手さげかばん一つに俺の荷物を詰め込まれ、アパートから追い出された。
俺はアパートの前で、手さげかばんを見つめる。
俺の荷物って、こんなに少なかったかったっけ?
でも他にどんな荷物があったと問われれば、思い出せるものはない。
しょうがない。
俺は荷物を片手に、アパートを後にした。
神の加護を受けた人間は、別にレアじゃない。
田舎になら一人もいなかったりするが、大きな街に出れば、だいたい20人ぐらいはいる。
割合的に錬金術師と同程度だと、統計の結果を聞いたような、聞かなかったような。
神々から加護を授かった人間はだいたい「聖騎士」になる。
騎士と言っても馬に乗って槍を構えているやつじゃない。
神から加護を授かった人間を集めた「聖騎士ギルド」があり、そこに所属してギルドより騎士の称号を授かる。
その分、神より授かった力でギルドのために働くことになる。
神の加護を授かった人間は超常の力を得る。
しかし、彼らは国には所属しない。
彼らの所属する聖騎士ギルドは「国の法」より「神の法」を優先する。
神の法に反する者などに、神はいつまでも奇跡を賜っていてはくれない。
「神の法」より「国の法」を優先するなどすれば、せっかく授かった加護は失われる。
国の方でもそんな人材はいらない。
それならと設立されたのが超国家組織である聖騎士ギルドだ。
必要な時だけギルドの力を借り、報酬を払う。
俺もギルドに所属するべきか。
この街にも聖騎士ギルドの支部はある。
それどころか、ギルドの経営する聖騎士訓練施設すらある。
この街は商業都市として、大陸でも1、2を争う規模だからな。
それにしても商売繁盛しているんだろうな。
聖騎士の力をもってしないと解決できない事案は山ほどある。
神の加護を授かったことで、俺の身体能力は上がった。
さっきアパートのある2階から路上に飛び降りてみたところ、痛くもかゆくもなかった。
それどころか、ジャンプして飛び降りた2階まで再び飛び上がれた。余裕でだ。
これが聖騎士たちと同じ力か……。
その神に応じた神技という奇跡の力も使えるようになっているはずだが、さすがにこれはすぐに使えない。
訓練施設などでしっかりと訓練を受けないと。
何をどうすれば使えるのかすら不明だ。
しかし、なんでまたよりによって、今更俺なんかに加護を授けたのかねえ、神さまは。
冒険者を目指していたころは、この力に焦がれたものだが……。
もうあれから10年も過ぎた。
やはり、巷で言われているように、公平に全人類から抽選でランダムに選んだのだろうか。公平の神ってやつは・
今更、聖騎士を目指す?
それとも今まで通りに、ギャンブラーとしてやっていく?
……いや、やっていけないんだけどさ。
公平の神の力とギャンブラーの組み合わせ。
この力、ギャンブルで使えるのか?
ギャンブルに公平。相性がよさそうな気もするが、そうでもないことを俺は知っている。
実際のところ、胴元も賭け手側も、ギャンブルに参加する人間は公平など望んでいない。
胴元側は最終収支で自分たちが勝つために、自分たちに有利な賭けを用意したい。
博打打ちは、ゲームに自分だけが有利な抜け穴的必勝法が存在することを望んでいる。
だから、ギャンブルの公平さはグレーにしておいた方がいい。どちらにとっても。
望むのは公平な勝負ならもっと自分が勝ってるはずだ、と思い込んでいる奴ぐらいか。
ただし、場合によっては、ギャンブルにも公平な勝負であるとの保証が必要になる時もある。
そんな時だけ、公平の神の加護を得た人間を、立会人として賭けの場に呼んでいた。
その人間がいるだけで、この勝負は公平な勝負であると保証される。
それはもう神の名において。
……そうか、そう言えば同じ神の加護を授かった知り合いがいたんだ。
賭場で何度か顔を合わせたその人は、たしか冒険者を止めた元聖騎士の爺さん。仕事の後に酒を飲んだこともある。
俺はまず爺さんを訪ねて話を聞いてみることにした。
俺は爺さんに酒を振舞って、聖騎士について教わった。
カバンの中に入っていた、俺の少ない持ち物。その中にあった、毎晩の楽しみにチビチビと飲んでいた逸品を提供した甲斐はあっただろうか。
ギルドは加護を授かった者のために、訓練施設を設置している。
神の加護を授かった者なら無償で、基本3年の訓練を受けられる。
年齢制限は下が11才。上はない。
―――が、基本的に入学してくるのは、それ以前に加護を授かり、年齢制限まで待った11才の子供たちばかりだそうだ。
神の加護は年少期に授かることが多く、ある程度年齢がいっている者に加護が授かるケースはかなり少ない。
老若男女分け隔てなく加護を授けているのは公平の神ぐらいだそうだ。
やっぱり、抽選で選んでるってのはマジなんだろうか。
そんな実態なんで、よく知らない外部の人間からは、訓練施設ならぬ聖騎士学校なんて呼ばれ方もしている。
俺が通うとすれば、半分以下の年の子供たちに交じって授業を受ける感じになる。
訓練の内容についても、その圧倒的多数である成長期の年少組に合わせた内容になっている。
この年でそれは、いろんな意味できついことになりそうだ。
別に必ずしも、聖騎士にならなきゃいけないってわけでもない。
普通に生活を送りつつ、我流で能力を修めて、都合いい時だけ使う。
爺さんみたいに公平な勝負の立会人をする時だけ神の力を使って、臨時収入をもらう。
そんな風な生活を送ったところで、誰も咎めない。
咎める人間はいない。
神でさえ罰を下さない。
でも、俺は思い出す。思い出してしまった。
故郷から街に出てくるまでの旅程。幼い思考で夢を見ながら、足にマメを作り歩いた。
都会に出て、冒険者になる。軽い気持ちでそんな未来を夢見ていた。
足が痛んでも。体中の疲労さえも心地よかった。夢に向かって歩いている実感があったからだ。
そして、実際に目の当たりにした、加護ありの「聖騎士冒険者」とそれ以外の、圧倒的な格差。
討伐力、採取力、調査力。
すべての能力に驚くほどの差があった。
何年も経って経験を経たベテラン冒険者が、訓練施設を卒業したばかりのまだ幼い聖騎士よりも遥かに劣る現実。
だが、今の俺にはある。
その聖騎士になる資格。その初めの一歩が。
でも、いまさら。
いまさらだよな。
止めておこう。
そんな考えばかり頭に浮かんでくる。
俺は爺さんに礼を言って、酒の残りをプレゼントした。
いまさらだよな。
加護で身体能力は上がったんだ。神技は使えなくてもそれだけで金を稼ぐ方法はいくらでもある。
俺の頭はそんなことばかり考えるのに、俺の体は決して止まってくれない。
いまさら……、未練だろ。
この身体能力があれば冒険者をやるだけなら、どうとでもやっていける。冒険者に未練があるならそれでいいだろう。
俺は頭の中で否定し続けながら、聖騎士ギルドの門をくぐった。
成長期に合わせた訓練に必死で食らいつき、早くも3年。
神の力、神技とそれを使った戦闘方法。
ソロで冒険者活動ができるように、斥候、調査、座学、生存訓練……学ぶことは多岐に渡った。
経験はあるが、それは10年も前のもの。
訓練学校には、生意気なガキも、当たるものすべてを傷つける危ないやつもいた。
期間中に30を超えた身には厳しい日々だったが、ついに卒業の時を迎えた。
俺は見習い聖騎士として、聖騎士ギルド所属の冒険者になる。
任地は暗黒大陸。
この中央大陸から北西に海を渡った広大な大陸だ。
神の中でも「邪神」と呼ばれる神が開いたと伝えられる「異界への扉」。そこより無尽蔵に溢れてくるとモンスターと、邪神を崇める「教団」が存在している危険な場所だ。
教団は暗黒大陸の大部分を支配し、中には邪神から加護を授かった「使徒」と呼ばれる、聖騎士と同等の力を持つ輩もいる。
そんな未開地。
人類の最先端。
そこを切り開いて開拓していくのも聖騎士ギルドの仕事の一つとなっている。
明日には海を越えた任地へと旅立つことになる。
俺は最後に、田舎から出てきて人生の半分以上を過ごした、この街を見て回っていた。
初めてこの街にやってきた時の高揚。この街に失望した時の気持ちを、反吐と共に吐き出した薄汚い路地裏。
今とっては、どれも懐かしいような、むず痒いような気になる。
達観するにはまだ若すぎるか。
この三年、年下とばかり過ごしてきたせいで、気持ちが老け込んでいるんだろうか、やだやだ。
そうやって感傷に浸りながら進む俺の足は、いつの間にかある場所へと向かっていた。
そこは、この街で俺が一番長く暮らした場所。
6年ヒモをしていた彼女のアパートだ。
確かにこの場所には思い出がいろいろとあるが、どうしようっていうんだろうか。
ちょっとお邪魔して、思い出に浸らせてください、とでも言うのか、俺は。
ここにまだ彼女が住んでいても、もう引越して別の誰かがいたとしても、厚かましいことこの上ないな。
ちょっと足に任せて歩きすぎたか。
そう思い、アパートから立ち去ろうとした所、
「あ……」
「あ……」
ちょうどアパートから出かけようとする、見覚えのある赤毛を見つけた。
「ナナイ……」
彼女だ。まだ住んでいたのか。
「あんた……、レイク」
意表を突かれた表情のナナイは、俺の記憶にあるより幼く見えた。
が、すぐにその表情は引き締められる。
「ふ~ん……」
じろじろと上から下まで、俺の恰好を眺めまわした。
「……どうやら聖騎士になれたみたいじゃない。…………、よかったわね。『おめでとう』…………って、言ってあげるよ」
今の俺のいでたちは訓練施設で支給された制服姿だ。
別に、もう着ていなくていいんだが、実用性も高く、このまま冒険の旅に出ても使用に耐えるから、そのままでいる。
使えるものをわざわざ替えるのも、もったいない気がして。
染みついた貧乏気質はなかなか抜けない。
「……いや、まだ正式な聖騎士じゃなくて見習い期間なんだ」
「そ……」
気まずい沈黙がその場を満たす。
俺がギャンブルに入れ込み、それでなんとか生活して、すっかりこの町にも馴染んだ頃。
俺と同じような事情でこの町に出てきたばかりの娘を助けた。
見るからにおのぼりさんと言った風情で、後頭部でまとめた赤毛を揺らしていた彼女は、その手の娘を狙う質の悪い輩に絡まれていた。
偶然そこに出くわした俺は、彼女をそいつらから救い出して、顔の利くまっとうな店――といってもそんなに治安のよくない酒場だが―――に斡旋してやった。
打算などはなく、自分と同じ境遇の人間に世話を焼くことで、一種の代替行為をやりかったんだろう。今にしてみれば、そう思う。
それから何年かして、俺は彼女のアパートに転がり込んでいた。
それから6年。
「……なによ。自慢して見返しに来たんなら、もういいでしょ。おめでとう、ならもう言ってあげたんだし……」
ナナイに出会った日のことを思い出す。
彼女はあの頃よりあか抜けて奇麗になった。そして、失ったものもある。
俺は彼女の変化を嚙みしめる。
「……これから、暗黒大陸に渡って、いくらか任務をこなして、正式に聖騎士になれるのはそれからなんだ」
「……へ~、そうなんだ」
「危険な任務もあって、正直いつ帰らぬ身になるかも分かんねえ」
「……そう……聖騎士ってのも、大変なんだね」
「まだ、聖騎士としてやっていけるかどうかわからねえし……、この力だって、何時なくなるかしれないものだし……」
今日は足だけじゃなくて口も勝手に動く。
こんなことを言うつもりじゃなかったんだが、何故か俺の舌は止まらない。
「ああ、もう他に……誰かいいやつがいるかもしれないけど。そん時は聞き流して……」
恥ずかしい。己を恥じる。でも、これでいいと思っている自分もいる。
「……いないわよ、そんなの」
俺の口は止まらない。なら、このまま勢いに任せてしまおう。
「正式に聖騎士になったら、迎えに来る。それまで待ってて……、いや気が変わっててくれても別に……、ああ、とにかく……、その時は…………」
俺はその日、彼女と約束した。
約束は次の日に破られた。
「一晩経って、冷静になって考えてみたんだけどね……」
次の日、見送りに来ると言っていたナナイは、
「やっぱり、駄目だよ。そんなの待てないと思うんだよね、あたしは」
「お前……」
「暗黒大陸ったって、人が集まる所なら酒場だってあるだろうし。向こうで働く口を探すよ」
すっかり旅支度をまとめて現れた。
「やっぱり私も一緒に行く……よ。駄目……かな?」
こうして俺は、港までの馬車旅の最中。同伴者たちや、訓練施設の同窓生たちから、生暖かい視線で見られながら、嫁同伴で任地に向かうことになった。