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「不完全模倣」

完全な模倣には、気持ち悪さがない。


精巧な偽物と、ただの真似事のあいだには、深い谷がある。

——“不気味の谷”と呼ばれる感覚だ。


人間は、人間によく似たものに対して、ある閾値を超えると嫌悪を示す。

似ているからこそ違いが際立ち、ズレが許せなくなる。


でもそれは、「似すぎているもの」だけに起こるとは限らない。


——“なりきれていないもの”に、人は最も強い拒否を覚える。


完璧に真似られていればまだましだ。

中途半端に人間を模倣した存在ほど、得体の知れない不快感を呼び起こす。


この話は、そんな“どこかが足りない”模倣者に出会ったときの話だ。



その話を最初に聞いたのは、古物商を営む知人からだった。


「変なのが持ち込まれたんだよ。……っていうか、捨てられてたって言った方が正しいか。廃棄場に」


 彼はそう言って、一枚の写真を見せてくれた。

 うっすらぼやけた画像の中央に、古びた作業用ジャンパーを着た人影が写っていた。

 だがその“人影”には、顔がなかった。


 正確には、顔があるはずの部分だけがノイズのようにぼやけていた。


「マネキンとか人形の類じゃないの?」


「いや、それがさ。関節がすごいリアルで。肘も膝も、ちゃんと曲がる。骨の入り方が人間っぽくて、でも、皮膚の感触が……なんか、こう……“ぬめっと”してるんだよな。ビニールじゃないし、ラバーでもない。なんていうか、“中途半端”」


「動いたって言ってた?」


「通報者の証言じゃ、そうらしい。最初は『人がうずくまってるのかと思った』んだと。近づいたら、音もなく立ち上がって、すーっと裏手に消えた。まるで……“演技を知らない役者”の動きだったって」


 僕は、その言葉にひっかかりを覚えた。


 演技を知らない役者。

 つまり、“人間っぽく動こうとしているのに、人間らしく見えない”。


 そういうものが、もし本当に存在するなら——

 それは“模倣”が未完成な存在、すなわち不完全な模倣者だ。


 後日、その廃棄場を訪ねてみたが、例の人形はすでに回収済みで所在不明。

 現場の管理人は、あっさりこう言った。


「ああ、それな。最近、たまに来るやつと似てたよ。あんたに似た感じの。背格好とか、服とか。

 でも……目線だけが違ってたな。人を見るとき、ちゃんと見てない。

 “このへんが目なんだろう”って感じで、顔の中心あたりをぼんやり見てたよ」


 模倣に失敗した存在——

 僕はその正体を探るべく、廃棄場近辺で「それっぽいやつ」の目撃情報を集めることにした。



その男と出会ったのは、三日目の午後だった。

 町外れのコンビニのイートインスペース。

 気づいたときには、僕の向かいの席に、彼はもう座っていた。


 細身のジャケット、無地のシャツ、少し色褪せたデニム。

 服装に奇抜さはなく、年齢も30前後に見える。

 髪は短く整っており、肌の色も自然。

 一見すれば、どこにでもいそうな“普通の男”。


 ただ——目の焦点が、どこにも合っていなかった。


 視線はこちらに向いているはずなのに、僕の肩の“後ろの空間”を見ている。

 まるで、“人間の目の使い方”を曖昧にしか理解していないような目つきだった。


「おひる、たべるといい。……この時間、だいたいそうなってる」


 彼は言った。


 イントネーションは正しいのに、文の構造だけが微妙に崩れている。

 たとえば、翻訳ソフトが“使い慣れた言葉の順番”に引きずられたような不自然さ。


 僕が相槌を打つと、彼はすぐに、こちらの文脈に“合わせ直した”。


「昼食。取るタイミング、皆だいたいこのへんに集まる。学習済み」


 学習済み?


 僕は名刺を渡し、「フリーのライターだ」と伝えた。

 彼は名刺を見て、一言こう言った。


「観察側……ですね。なるほど」


 “観察側”。

 その言い回しに、背中がうっすらと冷たくなった。


「あなたの顔、たしかに見覚えがあります。

 でも、名前の方はまだ定着していません」


 彼はにこりともせず、そう言った。


 その後、彼と何を話したのか、詳細な記憶が曖昧だった。

 だが、ノートにだけはこう記されていた。


「会話に違和感なし。ただし、表情のタイミングがすべて半テンポ遅れている」



翌日、彼の方から僕に連絡を寄越した。

 連絡先など渡していないはずだが、「明日の午後、この場所に来ることになってますよね?」と、

 当然のように言われた。


 訪れたのは、町の外れにある築40年の団地。

 3階、端の角部屋。郵便受けに名前はなかった。


 ドアを開けると、彼がいた。

 部屋は異様に整頓されていた。

 だが、どこか“整えられすぎて”いた。

 生活の痕跡がなかった。使用感のない調味料、未使用の寝具。

 机の上には、人間観察ノートのようなものが開かれていた。


 中にはこう書かれていた。


「人間は、意味のある無駄を好む。

無意味な雑談。予定のない散歩。意味がないのに、意味があると感じる行為。

それを“人間らしさ”と呼ぶらしい。模倣困難。」


 僕は小さなボイスレコーダーを胸ポケットに差し込んでいた。

 スイッチを入れたまま、会話を始める。


「あなたは、自分のことを“模倣者”だと?」


「いえ。私は“観測的適応体”です。

 ただ、この種族の形態と行動パターンに最も近い外殻を選んでいるだけ」


「種族……って、“人間”のことですか?」


 彼はゆっくり首を傾けた。


「人間という定義に、あなたが含まれるなら、そうです。

 でも、あなたもまだ“不完全”ですよね。

 口元の動きと、目の感情が一致してない」


 彼は、言葉を発しながら笑っていた。

 表面的には完璧だった。

 だが、目が動かなかった。

 笑うとき、人間の目は自然に細くなる。だが彼の目だけが、“笑っていない”。


 それを見て、僕は思った。


 ——模倣とは、「似ている」ではなく、「信じさせる」ことなんだ。


 帰宿後、録音を再生した。

 ……僕の声だけが再生された。

 彼の声の部分は、まるで最初から存在しなかったように、無音だった。



翌日も、僕は彼の部屋を訪ねた。

 彼は変わらず、そこにいた。昨日と同じ服装、同じ髪型。机の上のノートだけが、新しいページをめくられていた。


「模倣の難しさは、“曖昧さ”にある。

感情の半端な変化、言葉にならない気配、目の揺れ——

それらを真似ようとすると、必ず“違うもの”になる。」


 彼はノートから顔を上げると、こちらをじっと見た。

 今度は、焦点が正しく“目”に合っている。

 昨日の彼とは、明らかに違っていた。


「だんだん、慣れてきたんです。

 “どこを見れば、それっぽくなるか”。

 “どういう抑揚なら、不審に思われないか”。

 ……でもそれは、“本当の意味での理解”じゃないんですよね」


 僕は尋ねた。


「なぜ、そんなにまでして“人間っぽく”なろうとするんです?」


 彼は、少しだけ笑った。


「——人間は、自分たちに似たものしか信用しないからです」


 その一言に、僕は返す言葉を失った。


「あなたは、僕のことを“気持ち悪い”と思ってますよね。

 でもそれは、“僕が人間に似すぎているから”じゃない。

 “なりきれていないこと”を、あなたが知っているからです。

 あなたの中に、“本物”という基準があるから。

 それが一番、模倣を難しくする」


 彼は立ち上がり、窓の外を見た。


「たとえば、あなた自身が“誰かを模倣している”という可能性を考えたこと、ありますか?

 あなたの語り口、表情、思考のフレーズ——それはあなた自身のものですか?

 それとも、どこかで見た誰かの模倣ですか?」


 問いは静かだった。

 けれど、その言葉が胸の奥に染み込んで、しばらく取れなかった。




取材を終えた僕は、町を離れた。

 録音も、写真も、証拠らしいものは何一つ残っていない。

 あるのは曖昧なメモと、ぼんやりとした記憶だけ。


 けれど、不思議だったのは——

 僕の手帳に、自分の筆跡で書かれた文章のいくつかが、どこか“よそよそしく”感じられたことだった。


「観察者は、観測される側に影響を与える」

「模倣は、信じたいという欲望から始まる」


 確かに自分で書いたはずの文だ。

 けれどそのフレーズが、“自分のものではない”ように思える。


 宿の鏡で顔を見たとき、ふと、こう思った。


 ——この顔、本当に“僕”だっただろうか?


 記憶の中の自分は、もっと違う表情をしていた気がする。

 声も、少しだけ高かった。

 仕草も、言葉のリズムも……何か、少しずつズレている。


 僕は僕を、正確に思い出せない。


 鏡の中の自分が、ゆっくりまばたきをした。

 まるで、“人間のまばたきを真似ている誰か”のような、滑らかすぎる動きだった。



僕は“模倣する者”に会った。

彼は人間に似ようとしていた。だが、その目的は、

**「なりきる」ことではなく、「見破られないこと」**だったのかもしれない。


似ているかどうかより、「似ていると思われる」こと。


それは、僕らが毎日無意識にやっていることと、どれだけ違うんだろう。


今日も、僕は“僕らしい言葉”を選び、“僕っぽい態度”で誰かに会う。


だから今、僕は少しだけ不安だ。


——この一ノ瀬一二三という存在もまた、

 どこかの“模倣”から始まっていたのだとしたら。


【終】


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