「占い屋《あとから》」
占いというのは、基本的に“先に言う”から意味がある。
今日これから出会う相手のこととか、近い将来の金運とか。
信じる・信じないはともかく、未来に余白があるからこそ、そこに意味を挿し込める。
でも、この世にはひとつだけ、変わった占い屋がある。
そこでは、未来は占わない。
あなたの“今日起きたこと”を、あとから意味づけてくれるだけだ。
「忘れ物をしたのは運命の分岐点でしたね」
「コンビニで声をかけてきたあの人、実は守護霊の導きですよ」
——バカバカしい? そうだろう。
でも奇妙なことに、そう言われた“あとで”、確かにそれが本当だった気がしてくるのだ。
いや、違うな。
もしかすると本当に、あとから意味が追加されているのかもしれない。僕らの一日そのものに。
◇
それは、たまたま歩いた裏通りで見つけた。
商店街のアーケードを抜けて、住宅街へ向かう途中の曲がり角。
そこに、古びたパラソルと折りたたみ式の机だけで構成された簡素すぎる占い屋があった。
屋号も看板もない。
ただ机の上に一枚だけ、A4の紙がラミネートされて置かれている。
《占い屋〈あとから〉》
《本日の出来事、あとから占います。》
何かの冗談かと思った。
未来を予測するのではなく、“今日の出来事”に意味を与える占い——そんなもの、成立するのか?
だが、目の前の椅子にはすでに誰かが座っていた。
若い女性だった。20代前半くらい。
表情は乏しく、どこか人形のような印象を受ける。
「占ってもらいたいことがあるんですか?」
僕がそう訊くと、彼女は首をかしげて答えた。
「……いえ、わたし占い師の方です」
その声は、どこか“写真の中で聞く”のような響きを持っていた。
「本日は……えっと……、もう何かありましたか?」
僕は思い出す。
今日は特別なことなど何もない、平凡な一日だった。
午前中にスーパーで買い物をして、喫茶店でメールを返し、ここまで散歩してきただけ。
「特に何も……いや、コンビニで知らない子どもに話しかけられたくらいですかね」
「なるほど、それは導きのサインですね」
彼女はうなずき、タロットともオラクルともつかない、不揃いな札を1枚だけ引いた。
《帰路の途中に、答えがある》
「ふふ。やっぱり。コンビニから出たあとは、いつも“持ち帰る”ものですから。
何か持ち帰るものが、今日はきっとあるはずです」
用があって入ったのだ。大抵は買い物。そりゃ何か商品を買ったなら”持ち帰る”だろう。言っていることは滅茶苦茶だ。
今回ばかりは馬鹿げた話だったと思った。しかし、その場を離れて十数分後、僕はスーパーのレシートに「◯◯様、当選おめでとうございます」と印刷されていたことに気づいた。
しかもそれは——今日だけの抽選だったらしい。
帰る途中に、答えがある。
……そう言われた“あとで”、確かにその言葉が当たっていた気がしてくる。
◇
次の日、僕はもう一度あの裏通りを訪れた。
昨日の占い屋は、そのままの場所に、そのままの姿であった。
しかし占い師の彼女は、僕の顔を見るなり首をかしげた。
「……あれ? 一ノ瀬さん、もう“いらした後”でしたっけ?」
「え?」
「いえ、すみません。占いの順番って、よくわからなくなるんです。
順番よりも、“結果が出た順”に記憶しちゃうみたいで……」
そのとき、僕の背後から声がした。
「すごいですよね、ここ。ほんと当たるんですよ、あとから」
振り向くと、近所の主婦らしい女性が買い物袋を下げながら話しかけてきた。
「昨日、財布落としたんですけどね、占い師さんに“落とす理由があった”って言われて、今日見つかったんですよ。交番に。
しかも、免許証だけ抜かれてたんです。で、“身代わりが必要だった”って……。
びっくりしちゃった、まさか本当に、身内が事故に遭ってたなんて」
「偶然……では?」
「そう思うじゃないですか? でも、不思議と“占い通りだった”って思えちゃうんですよね」
僕はもう一人、話を聞いてみた。
今度は若いサラリーマン風の男。
彼はこう語った。
「仕事でトラブって上司に怒鳴られた日、ここで“叱責は浄化儀式の一種”って言われて、なぜか“必要なことだった気”がしてきたんですよ。
で、振り返ってみたら、あの日から部署の雰囲気も良くなった気がして……あれ? でも、前からそうだったかな……?」
そう言いながら、彼は眉をひそめていた。
記憶に、ズレが生じている。
占いに合わせて、過去の印象そのものが書き換わっている。
これは「占いの説得力が強い」のではない。
占いが、過去の出来事の“意味”を上書きしてしまう。
そして、“意味が変わった出来事”は、それに連なる記憶ごと構造を変えていくのだ。
僕はスマホのボイスレコーダーを起動し、昨日からの行動を一つひとつ録音しはじめた。
——これはもう、“現在”だけを記録していては足りない。
自分の過去が、占いによって歪められていく気配があった。
◇
僕はひとつ、試してみることにした。
その日の午前中、何も特別な出来事は起きていなかった。
喫茶店で原稿の下書きをし、コンビニでコーヒーを買った。それだけだ。
その様子を、録音と写真で細かく記録しておいた。
そして、午後になって占い屋〈あとから〉を訪れた。
「今日は……ええと、何か印象的なことがありましたか?」
例の占い師が問いかけてくる。
僕は、用意しておいた“嘘の出来事”を口にした。
「道で転んで、知らない女の子に助けられました」
「……ふうん」
彼女はゆっくりカードを切る。札を一枚、僕の前に差し出した。
《受け取ったものは、忘れるためのしるし》
「たぶんその子は、何かを渡していませんか? 飴とか、紙とか」
「……ええ、紙を」
僕が嘘を重ねると、彼女は軽くうなずいた。
「なら、それは“解釈”のタイミングです。
忘れていたものが戻ってくる、そんな日だったのかもしれませんね」
占いが終わったあと、僕はすぐに記録を確認した。
当然、転んだ事実も、少女も、紙も存在しない。
……はずだった。
だが。
スマホのカメラロールに、撮った覚えのない写真が1枚、紛れ込んでいた。
画面に写っていたのは、足元のアスファルトと、誰かの手から落ちた白い紙片。
時間は、まさに「僕が転んだと嘘をついた時刻」。
さらに、録音データの一部にも異常があった。
喫茶店で編集者とやり取りしていた音声に、「……気をつけてね、おじさん」という、幼い声が挿入されていた。
聞き返すたび、声の位置が少しずつ変わる。
まるで、“記憶の中の配置”を探しているかのように。
これはもう単なる心理誘導ではない。
占いによって、世界そのものが“編集”されている。
過去の一日が、出来事そのものから“意味ごと書き換えられ”、
それに従って、現実の記録や記憶までもが従属してしまう。
——なら、この怪異がいつ、どこから始まったのかを突き止めるしかない。
僕は「この占い屋を最初に紹介してきた人物」を探すことにした。
◇
「その占い屋、最初に教えてくれたのは誰ですか?」
僕は例の主婦やサラリーマンに、あらためて問い直してみた。
彼らは揃って「たしか友人が……」「いや、ネットで……」と曖昧に答えるが、
会話の詳細を掘り下げていくと、皆ある共通点に行き着いた。
——「紹介された」のではなく、
“その店に行ったという話を《聞いた気がする》だけ”だったのだ。
僕はさらに調査を進め、かろうじて一人、占い屋に関する最古の言及をブログに記録していた人物に連絡をとることができた。
投稿は数年前の日付だが、更新履歴は妙に断続的で、他の記事はほぼ削除されていた。
指定された喫茶店に現れたその人物は、三十代半ばの男だった。
くたびれたジャケットに深いクマ。どこか空虚な眼差し。
「……占い屋、ね。あれが何か、まだわからないけど……覚えてるよ。強く」
「最初に行ったときのこと、覚えてますか?」
「いや、……最初じゃない。“最後の時だけが、記憶にある”んだよ」
男は言う。
彼はその店で“あとから占われるたびに”、人生の順序が入れ替わっていくような感覚を味わったのだという。
「たとえばさ、恋人に振られた日を“喪失の学びだった”って言われると、
その前にあった幸福も、全部“学びの前提だった”ような気がしてくるんだよ。
だから気づくと……“占われた後の解釈に合わせて、人生の意味が整っていく”」
その結果、自分の過去が「納得できる物語」として完結していく。
だがそのとき、自分の本当の意思や感情、細部の出来事は消えていく。
「それって、怖くないですか?」と僕が問うと、男は笑った。
「むしろ、楽だったよ。
“あとから意味が与えられる”ってことは、どんな過去も救いに変えられるってことだろ?」
救い。
だがそれは、“語られた順に編集される人生”だ。
本人の意志ではなく、“占われた順番に意味が書き足される人生”。
——それは、自分で自分の物語を語れなくなるということだ。
僕はふと、今日この占い屋に来た“きっかけ”を思い出そうとした。
……が、思い出せなかった。
誰に勧められた? どうやって知った? なぜ気になった?
——すべてが、占いの“あと”に、決まっていた気がした。
◇
再び、占い屋の前に立った。
パラソルの影は小さく、日差しが占い師の輪郭を曖昧にしていた。
今日も、誰かが占ってもらっていた。
「昨日の選択は、“それでよかった”と思っていいですよ」
「その涙は、“手放すために必要だった”んです」
語られる言葉は、どれも優しく、整っていた。
未来ではなく、“過去”に救いを与えるだけの占い。
なのにそれは、未来の意味をも書き換えていく力を持っていた。
僕は彼女の前に座った。
そして言った。
「今日は占わなくていいです。ひとつ、確かめたいだけなんです」
彼女は静かにうなずく。
「じゃあ、何を確かめに来たんですか?」
僕は答えようとした。
けれど、その言葉がうまく出てこなかった。
この場所に来た理由、ここに至る流れ——どれも、あとから決まったような気がしていた。
「……あなたは、“意味”を与えてるだけだって言ってたけど、
僕にはもう、“意味のない出来事”が思い出せなくなってる」
「そうですね」
彼女は微笑む。
「だって、そう語っている今この瞬間も、あなたは“あとから来た人”なんですから」
「——……」
「だからあなたの物語も、今から意味が加えられていくんです。ね?」
その声には、脅しも皮肉もなかった。
ただ、当然の事実を確認するような優しさがあった。
僕は立ち上がり、何も言わずにその場を離れた。
振り返ると、もう屋台も彼女も消えていた。
あとには、折りたたまれた椅子だけがひとつ、影を落としていた。
◇
記憶というのは、事実ではなく“物語”だ。
起きたことに“どんな意味があったか”——それを語るたびに、過去の形が変わっていく。
だから僕は、この話を記録として残す。
あの占い屋が、本当に存在していたのか、それすらも“あとから”決まってしまう前に。
……もっとも。
この原稿を書き始めた理由も、実は“あとから”だった気がしているのだけど。
【終】




