「知覚外生命体」
宇宙人と会ったことがある、と言う人はたまにいる。
空を飛んだ、光を見た、言葉が通じた、連れ去られた——いろんな証言があるけれど、
じゃあ本当に“宇宙人だった”という証拠はあるのかと聞かれると、どれも決め手に欠ける。
逆に考えてみた。
宇宙人と会ったとき、人間はどうやってそれを理解するんだろうか。
見た目が人間と同じだったら。言葉が通じたら。ごく普通の生活をしていたら。
そういうやつと出会ったことがある。
宇宙人には見えなかった。でも、人間じゃない気がした。
ただ、それだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
◇
「宇宙人、ふつうにいたよ。今もいるよ。友だちだし」
そう言ったのは、郊外の町に住む小学四年の少年だった。
名前は慎平くん。事情通の知人から「妙な話をする子がいる」と聞いて、僕は取材に来た。
「その子、いつから宇宙人なの?」
「うーん……わかんない。最初からかも。でもぼく転校してきたのは去年だから」
放課後の公園。ブランコを揺らしながら、慎平くんは空を見上げて言う。
「でもね、空を見てるとわかるよ。あの子、上から見てるの。いつも。下じゃなくて。
あと、木の中に指を入れてた」
「木の中に?」
「そう。木の幹の中。穴じゃなくて、こう……木の、皮と中身の間?」
なんとも言いがたい話だった。
子供の想像力か、あるいは冗談か——ただ、慎平くんはどこか真剣だった。
目の焦点がしっかり合っていて、嘘をついているような浮き足だった感じがない。
「名前は?」
「タカハシくん。でもみんな“あの子”って呼んでる。
なんか、名前で呼ぶのがへんな感じするから」
「他の人も変だと思ってる?」
「ううん。変じゃないって思ってる。たぶん、慣れちゃってるだけ。
でも、たまに“ああ、宇宙人だな”って瞬間がある。……僕だけかもしれないけど」
そう言って、慎平くんは笑った。
「でも別に、悪いことするわけじゃないし。
ただ……ときどき、僕の思ってること、先にしゃべっちゃうんだよね。まだ言ってないのに」
「テレパシー?」
「うーん……“ちょっとだけ早い声”って感じかな。
こっちが思う前に、もう言われてるみたいな」
その例えが、やけに頭に残った。
◇
翌日、僕は慎平くんに頼んで、「あの子」に会わせてもらうことになった。
待ち合わせは、町のはずれの廃遊園地跡。
近くの団地から歩いて10分もかからない場所に、今は使われていない小さな広場があった。
慎平くんが「ここでよく会う」と言っていたのだが、
その日は、彼の姿を見つけるより先に、ひとりの青年がベンチに座っているのが見えた。
20代半ばくらい。
身なりは普通のパーカーとジーンズ。髪は黒く、短め。顔立ちはどこにでもいそうな薄さで、特徴らしい特徴がまるでない。
彼はこちらに気づくと、すっと立ち上がった。
「こんにちは。あなたが……取材の人、ですよね?」
誰にも名乗っていないはずだった。
僕が名刺を出すと、彼はそれをちらりと見て、ポケットにしまった。
手つきはぎこちなくもなければ、過剰に慣れてもいない。ごく自然。ごく人間的だ。
ただ、話し方がどこか不思議だった。
「この重力、けっこう快適ですね。ここの土も、適度に水を含んでいて……とても歩きやすいです」
彼は靴の裏を見せながら、軽く笑った。
「言語パターンも面白いです。音節に意味を詰め込む文化、効率的ですね」
僕は一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
冗談か。
それとも比喩か。
演技というのも考えられる。
慎平くんが現れたのはその直後だった。
彼は当然のようにその青年の隣に座り、
「ね、来てたでしょ」と言った。
青年は言った。
「今日は、地球がわりと落ち着いてますね。脈動が静かで、心拍と同期しやすい」
……それは、たとえば“天気がいいですね”というような、ごく普通の雑談のトーンだった。
僕はその青年をじっと見た。
服装も動作も、呼吸のリズムも、間違いなく“人間”に見える。
ただ、時おり放たれる言葉の“意味”だけが、妙に浮いていた。
違和感だけが、言葉より先に届く。
たとえば、“自分の影が少し遅れてついてくる”のに気づいたときのような。
◇
「狭いですけど、どうぞ」
青年の部屋は、町営団地の三階。
築年数の割に中はきれいに整っていて、家具も家電も、どこにでもある普通のものばかりだった。
ソファに座ると、彼は湯を沸かしながらこう言った。
「この星の水、熱すると不思議な音がしますよね。キュウって。
他の液体ではあまり見られない現象です。音も、振動も、いい。」
やはり、言葉のひとつひとつがずれている。
机の上には、一冊の大学ノートが開かれていた。
何気なく視線を落とすと、そこに記された言葉が目に入った。
【観察記録_地球種属:ヒト】
個体間の距離感、強い。触覚を伴う接触に明確な感情反応あり。
発声装置に頼りすぎている。振動の同期に時間差。
……だが、それが魅力的。
ページの端には、こんなメモもあった。
この惑星の「孤独」は、保存食のような構造をしている。
僕は思わずスマホを取り出し、ノートを撮影しようとした。
だが、カメラを起動してファインダーを向けた瞬間——
青年の姿だけが、画面から“抜け落ちていた”。
視界の中にはいる。
だが、カメラ越しには見えない。
机、ソファ、背景の壁は映るのに、彼の部分だけが透明な影のようにぼやけていた。
「撮れませんよ、たぶん。
記録されることには、まだ慣れてないので」
そう言って、彼は笑った。
やさしい笑いだった。
人間の笑い方と、何ひとつ違わなかった。
それがかえって怖かった。
◇
宿に戻ったのは、日付が変わる少し前だった。
部屋の照明をつけ、机にメモ帳を広げる。
取材した内容をいつものように書き起こそうとした瞬間、ペンが止まった。
——会話の内容が、思い出せない。
何を話した?
どんなふうに言葉を返された?
表情は? 言葉の抑揚は?
それらすべてが、細部だけ溶けて消えている。
不安になってスマホの録音アプリを開く。
室内で録った30分近い音声データ。再生してみると——
僕の声だけが、はっきり残っていた。
相手の声の部分は、無音だった。
沈黙でもノイズでもない。
まるでその時間だけ、**録音自体が不可能だったような“空白”**が続いていた。
翌朝、慎平くんに再び会いに行く。
学校の前で出てくるのを待ち、声をかけると、彼はきょとんとした顔で首をかしげた。
「……宇宙人?」
「ほら、昨日言ってた、“友達”のこと」
「え? ……だれ?」
彼の目は本気で困惑していた。
嘘をついている様子ではない。
むしろ、僕が何か変なことを言っているかのような、居心地の悪さをにじませていた。
「……もしかして、お兄さん、夢とまちがえてない?」
それが冗談だとしても、その言葉が突き刺さった。
取材の記録も残っていない。
音声も残らず、相手の名前すらわからない。
そして“宇宙人に会った”という唯一の証人が、その記憶をまるごと失っている。
僕の取材は、今やすべて“無根拠”な出来事になっていた。
◇
町を離れる日の朝、僕はもう一度だけ、あの広場へ寄ってみた。
曇り空。草は濡れていた。誰もいない。
ブランコが風に揺れ、さびたチェーンがかすかにきしむ。
帰ろうとしたときだった。
視界の端に、人影があった。
振り返ると、彼が立っていた。
いつものパーカー、無表情のような笑顔。
何も不自然なところはない。ただそこに、いる。
「……やっぱり、いましたか」
僕がそう言うと、彼はふっと微笑んだ。
「ええ、あなたなら来ると思ってました。
というか、来るように“感じて”いました」
「僕のこと、知ってますか?」
「もちろん。あなたは観察者です。
観察者は、“観測される側”のルールに影響を与える。
……でもこの星は、観察がうまくいきません。
記録しようとすると、事象の方が“引っ込んでしまう”」
彼は、まるで独り言のように続ける。
「地球人は面白いですね。“証拠がないなら信じない”と言いながら、
証拠が出ると“それは証拠ではない”って言うんです。
宇宙人がいてほしいけど、いたら困る。
いないほうが都合がいいけど、いないとも言い切りたくない。
その、曖昧さがとても……いい」
「……あなたは、本当に宇宙人なんですか?」
彼は答えない。
ただ一歩、こちらに近づいて、僕の胸ポケットに何かをすっと差し込んだ。
「では、忘れてください。
思い出すのが難しいくらいに、ちょうどいい」
そう言って彼は、振り返らずに歩き去った。
まばたきの一瞬のあいだに、その背中は霧に溶けるように、消えていた。
胸ポケットには、一枚の紙が残っていた。
手触りは、地球のものと変わらない。
ただ、そこに書かれていた言葉だけが、妙にひっかかった。
「“地球人の観察記録を終える。
彼らは、自分が地球人であることすら疑える種族だった。”」
◇
宇宙人は、奇抜な姿も、奇妙な言葉も、異能も持たなかった。
人間と同じように歩き、同じように笑って、ただ、見えていなかっただけだ。
記録は残らなかった。証拠も消えた。
けれど、確かに“何かと会った”記憶だけが、
ほんの少しだけ、僕の中に重力を持って残っている。




