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「だるまのある家」

願いが叶うという言葉ほど、罪深いものはない。


それが“努力の果てに”叶うものなら、まだ救いがある。

だが、“ただ見ているだけで”願いが叶うという話には、いつだって裏がある。


無償の幸福なんてものは、他人の願いと衝突したときにすぐ壊れる。


それでも人は、信じたくなるらしい。

黒く塗りつぶされる前の、その片目の中に——

どんな景色を映していたかもわからないまま。



その家のことを最初に耳にしたのは、骨董屋の店主からだった。

 夏の終わりの午後、アイスコーヒーを片手に、彼は言った。


「最近ちょっと気味の悪い相談が増えててね。一つ紹介してもいいかい?」

「怪談の持ち込み? いつものことじゃないか」

「いや、今度のは……“願いが叶う空き家”の話だよ」


 僕は苦笑する。

 願いが叶うという話に、碌な結末がついてきた試しはない。


 話によれば、その空き家は郊外の住宅街にぽつんと残された木造二階建て。

 誰の持ち家でもなく、取り壊し予定のまま十年近く放置されている。

 にもかかわらず、近所の子どもたちが「夜に忍び込んでだるまを見た」と噂していた。


「そのだるまを見つめながら願いごとをすると、本当に小さな願いが叶うらしいんだ。

 “明日の体育が雨で中止になった”とか、“好きな子に話しかけられた”とか……」


「他愛はないがリアリティがあるな」

「そうだろう? でもな、それだけじゃないんだ。

 ある子がノートに、こんなことを書き残していた」


 店主は引き出しから、コピーされた紙を差し出した。

 子どもの文字で、こう書かれていた。



『だるまはうごいてた。目がなかったのに、こっちを見てた。』



 子どもの空想かもしれない。

 だが、その一文が妙に引っかかった。


 目がないのに、見られている感覚。

 ——つまり“願いごとを監視されている”ような感覚。


 僕はその夜、だるまのある家へと向かうことにした。



その家は、地図で見るよりもずっと古びていた。

 庭は伸び放題の雑草に覆われ、外壁のペンキは剥がれ落ち、窓はどれも割れていた。

 にもかかわらず、玄関の前には誰かが最近踏みしめた足跡があった。


 鍵はかかっていなかった。

 というより、鍵そのものが錆びて溶けていた。

 僕はゆっくりと扉を押し開けた。


 中は静かだった。

 埃の匂いと湿気が混じった空気が、薄く膜のように空間を包んでいる。

 家全体が“止まったまま”という印象だった。


 子どもたちが言っていた“だるま”は、二階の和室にあるという。

 僕は軋む階段を一段ずつ上がり、目的の部屋へと向かった。


 襖を開けると、畳の中央にぽつんと、赤いだるまが座っていた。


 何の装飾もない、ただのだるま。

 目はまだ描かれていない。

 けれど——


 背筋に、ひやりとした感覚が走った。


 こちらを見ている、という直感。

 目が描かれていないのに、視線のような重さがある。


 僕は鞄からスマホを取り出し、写真を一枚撮った。

 だるまは動かない。

 ただそこにあるだけだった。


「……とりあえず、今日はここに泊まってみるか」


 僕は寝袋を広げ、和室の隅に腰を下ろした。

 今のところ、“願いが叶う”どころか、ただの不法侵入者にしか見えない。


 しかし、このあと僕は、**一度も願っていない“奇妙な変化”**に直面することになる。




 目を覚ましたとき、部屋の空気が違っていた。

 あの濁った埃っぽさが、どこかへ消えていたのだ。

 まるで、誰かが夜のあいだに掃除でもしていったかのように。


 だるまは、相変わらず畳の中央に座っている。

 微動だにせず、無言で、僕を見ていた。


 ——いや、“見ている気がした”。


 僕は寝袋から出て、ふとスマホを確認する。

 ロック画面には、未読のメールが一通届いていた。


 送り主は、出版社の編集者だった。


「一ノ瀬さんの以前出して頂いた企画について、社内で再検討したいという声が出ています。

一度打ち合わせの場を設けさせて頂けないでしょうか」


 それは、数ヶ月前に没にされた取材企画だった。

 「今は時流に合わない」と言われ、完全に棚上げされていたものだ。

 復活の見込みはないと諦めていた——はずだった。


 僕は思わず、和室の中央を振り返る。

 だるまは、変わらずそこにいた。


 僕は何も願っていない。


 昨夜、願い事を口にした覚えも、心の中で思った記憶もない。

 だが、これは間違いなく「叶ってしまった願い」のようだった。


 背後で、畳がわずかに軋んだ気がして、僕は振り返った。


 もちろん、誰もいない。


 ただし、そこにあったはずのホコリは——見事になくなっていた。



その日は取材の予定もなかった。

 僕は空き家にもう一泊してみることにした。

 夜になるまで近隣を散歩し、聞き込みらしいことも少しだけ行ったが、収穫は乏しい。


 近所の老人がこんなことを言っていた。


「あの家な、何十年も前は“よく当たる祈願所”って言われとった。

商売繁盛とか、病気平癒とか……よう並んでたもんや。

けどな、ある時から“誰かの代わりに叶う”って話になってな……

願ったやつが得して、別の誰かが損しとるみたいな。変な話や」


 “誰かの代わりに叶う”。

 あるいは、“誰かの意志で叶えられる”。


 その言葉が、やけに頭に残った。


 再び夜が来て、僕は寝袋に潜った。

 明かりは消し、だるまを背にする位置で横になる。

 目を閉じてからも、背後の気配がじっとこちらを注視しているようだった。


 深夜。

 僕はふと、何かが擦れるような音で目を覚ました。


 振り返ると、だるまの位置は変わっていなかった。

 ただ——


 だるまの体が、うっすら濡れていた。


 汗ではない。

 湿気とも違う。

 何か生きているもののような、体液に近い光沢がそこにあった。


 胸騒ぎがして、スマホを手に取る。

 またメールが届いていた。


「先日送った企画の件、社内通りました!

来月号で特集として組みますので、ぜひ原稿を——」


 そして、下に続いた一文を見て、僕は背筋を凍らせた。


「なお、同企画をご担当予定だった●●さんは急病により入院されたため、

編集部内での引き継ぎとなります。」


 彼女の名前は、よく知っていた。

 先方の編集者で、取材中も丁寧にやり取りしてくれていた女性だ。


 “願いが叶う代わりに、何かが奪われている”。


 その夜、僕は眠れなかった。

 眠ったら、夢の中まで“あれ”が入り込んでくる気がしたからだ。




朝になっても空はどんよりとしていた。

 家の中には依然として湿気がこもり、肌に張りつくような重さが残っている。


 だるまは——



 変わっていた。



 右目が、黒く塗りつぶされていた。


 僕は昨夜、ペンも筆も握っていない。

 誰かが忍び込んだ様子もない。

 にもかかわらず、だるまは“自分で”目を描いたようにそこにいた。


 それは、まるで「ひとつ、願いを叶えた」という印だった。


 僕は座り込み、だるまと向き合った。

 無意識のうちに、願っていたのか?

 もしそうだとして——僕はいったい、何を?


 そのとき、スマホの通知が鳴った。

 着信履歴には“母”の文字があった。

 不在着信。時間は夜中の3時。

 留守電が残されている。


 僕はそれを再生した。


「……一二三? ……母さんだけど…最近連絡ないけど元気?馬鹿な話なんだけど…怖い夢を見てね…。

あなたが知らない家で、知らない人になってしまう夢。

声も、顔も、名前も、全部変わってて……。

ごめんね、変な電話して。寝ぼけてたのかも。でも、どうしても気になっちゃって…」


 耳の奥にノイズが残った。

 夢、名前、顔。

 ——それは僕の“恐れていたこと”だった。


 取材のたびに、誰かの記憶を追い、

 誰かの人生をなぞるようにして、

 ふと気がつけば、自分が誰だったか曖昧になる。


 僕は願っていた。誰でもなくなることを。

 正確には、「一ノ瀬一二三としてのしがらみ」から解放されることを。


 だるまはそれを読み取ったのだろう。

 そして、願いを“叶えよう”としている。


 僕が本当に望んでいたこと。

 けれど、決して叶ってほしくなかったこと。


 だるまは、僕の“内側”を見ている。


 願いを言葉にする必要はない。

 ただ“見られる”ことが、叶えるトリガーなのだ。


 だからこそ——

 僕はこの家を出なければならなかった。



 僕は鞄を掴んで、部屋を出ようとした。

 だが、その瞬間。

 背後で、畳を這う音がした。


 振り返ると——

 だるまが、こちらに向かって転がっていた。


 コロン、コロン、と。

 誰も押していないのに、床の傾斜もないのに、

 あの赤い球体が、意思を持って僕に近づいてくる。


 ——“もう一つの目”を、描こうとしているのだ。

 つまり、“次の願い”を叶えようとしている。


 僕はポケットから一枚の写真を取り出した。

 昨夜、だるまを正面から撮ったものだ。

 目が描かれる前、無垢な状態のそれ。


 僕はその写真に意識を集中した。




 視界がぐにゃりと揺れ、視界は暗転する。



 次の瞬間、僕の身体は写真の中にいた。



 写真は時に真実を映し出す鏡となる。


 “写真の中に入る”


 そんな芸当ができるようになっていたのはいつの頃からだっただろうか。幼少期、他の人には出来ないと知った時に驚愕したのを今でも覚えている。

 

 何故こんなことが出来るのかはわからない。

 どんな代償を支払って発動しているかもわからない。


 しかし、経験上、異形の類と対峙した際にこの能力は僕の身を守り続けてくれていた。


 写真の中にだけあるものがある。今回も僕はその答えが写真の中にあることを小さく期待し写真の中に飛び込んでいた。



 目の前に広がるただの和室。ただの畳。ただのだるま。

 けれどこれは“過去の光景”。僕がここに訪れた時の最初の景色。

 動かない時間。止まった世界。この場所に本来あるべき真実の姿。写真の中の世界のこの場所には現実世界にはない違和感がしっかりと呼吸をしていた。


 僕はだるまのそばに近づき、その表面をじっと見つめた。


 そこに、わずかな“ひび”が入っているのを見つけた。


 それは現実の世界では見えなかった傷。

 まるで誰かが、“何度も願いを叶えさせようとして”、だるまを酷使した痕跡のようだった。


「……君は、“叶えたかった”んじゃないか」


 言葉が自然に漏れた。


「誰かの願いを。無限に。無差別に。

 でもそれは、君自身の“願い”じゃないだろう?」


 写真の中の世界で、だるまは静かに傾いた。

 そのまま——倒れた。


 同時に、僕の意識は現実に引き戻される。


 目を覚ますと、部屋の中央にはただの、割れただるまがあった。


 中からはなにも出てこなかった。



 そして、スマホのメールも、編集者の言葉も、

 全部、なかったことになっていた。



数日後、僕はその家が取り壊されるというニュースを見た。

 古い祈願所だったらしいが、信仰の流派も記録も一切残っていない。

 ただ、一枚だけ、壁に貼られていた古い紙が写真に写っていた。


 「祈りの数、叶わぬうちに身を削る」


 それはだるまのことか、それとも祈る人間のことなのか。

 どちらとも言い切れなかった。


 僕は静かにスマホを閉じた。


 願いを叶えるものは、誰よりも“叶えられたかった”のかもしれない。


【終】

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