「五十年梅」
和歌山の山あいにあるその村には、地図に載っていない路地と、電話がつながらない時間帯があった。
僕は仕事柄、そういう場所にばかり縁がある。
電波が消えることを“異常”と呼ぶ人は多いが、僕に言わせれば、“異常”がのびのび育つには、電波なんてないほうが都合がいいのだ。
今回の目的は、「長寿の村」として密かに名の知れたその集落に滞在し、暮らしや食文化を取材することだった。
週刊誌の連載企画の一環で、要するに“健康長寿の秘訣”を探るわけだ。
そんなものが本当に存在するなら、まずライターの寿命が延びているはずだと思うけれど。
民宿の縁側で初めて茶を出されたとき、目に留まったのは、神棚に供えられた小皿だった。
乾ききった皿の中央には、黒ずんだ梅干しがひと粒、ぴたりと鎮座している。
何年もの月日を吸い込んで、そこだけ時間が止まっているようだった。
「あれ……梅干しですか?」
僕の問いに、民宿の老女将は湯呑みを差し出しながら言った。
「五十年梅やね。女の手で漬けて、神棚に五十年、供えるんよ。……うちは、あと三年」
まるで、カウントダウンのような口ぶりだった。
◇
村は思った以上に静かだった。静かというより、何かを「待っている」ような張りつめた空気がある。
どの家の軒先にも、干された梅がずらりと並び、陽の光を吸ってふっくらと色づいている。
僕は、村の資料館を兼ねた公民館に案内された。館長を務める老人、名は「三浦」。三浦は細身で眼光の鋭い人物だった。
「……昔からな、この村では“梅は祈り”なんだよ。食い物ってより、願掛けやな」
資料館の一角には、立派な木箱に収められた梅干しがあった。真っ黒に変色し、もはや食べ物というより遺物に近い。
その箱の蓋には墨で「昭和四十九年 漬」とだけ記されている。
「これが……五十年梅ですか?」
「そうや。本当は、年を越した梅は“漬けっぱなし”じゃあかん。腐るし、虫も入る。でもな、こいつだけは別や。封を切らず、誰にも食べさせず、ただ……神棚に供えていく」
僕は思わず尋ねた。
「なぜ、そんなことを?」
三浦は少し黙ってから、言った。
「“誰かを残す”ためや。子どもを授かるように。嫁が元気でいられるように。戦に行った人間が、生きて帰れるように……」
その言葉は、どこか“儀式”めいて聞こえた。
「ちなみに――その願いは、叶ったんですか?」
三浦は一瞬、視線を逸らした。
「叶わん願いもある。けど……捨ててしまったら、もっと悪いことが起こるんやと」
◇
翌朝、僕は村を歩いていた。空気は澄んでいて、山から吹き下ろす風が肌に心地いい。
ふと、小さな祠のような建物が目に入った。屋根は苔むし、石の土台には「明治」と彫られている。だが中に納められているのは、神像でも経典でもない。
――梅干し、だった。
しかも、複数の壺に小分けされ、それぞれ紙に「初子祈願」「還暦無事」「夫帰還」などと書かれている。供物のようなそれらに、何十年も経った形跡があった。
その祠を掃除していた老婆が、僕に気づいて声をかけてきた。
「観光かね? 珍しいもんでもあったかい?」
「……これは、全部“祈りの梅”なんですか?」
「ああ。あのころはねぇ、誰かが死ぬたび、帰らぬ人を待つたび、こうやって“残しとく”んだよ。声も、顔も、だんだん忘れていくだろ。でも、これは残る」
老婆は一壺を撫でながら続けた。
「でもね、どこかで区切りをつけなきゃいけない。……じゃないと、梅の数ばかり増えてく」
「食べたり、捨てたりは……」
「できないよ。願いは、生きたまま中に残ってる。食べたら、その人の想いごと、自分の中に入ってしまうって言うからね」
老婆の視線は、どこか遠くを見ていた。
◇
僕は宿に戻ると、これまでの取材写真を確認した。例の祠も撮ってある。壺に刻まれた文字、古びた木の表面、積もった埃――条件は揃っている。
だが、何度目を閉じても、何度写真を指でなぞっても、入り込む感覚がこない。
僕の能力は、時に勝手に発動することもあるくらい、気まぐれだが――これほど頑なに拒まれるのは初めてだった。
「入れない、か……」
まるで、“この村に外から触れてはいけない”とでも言われているような気分だった。
写真の中の祠は、ただそこにあるだけだ。異常も、歪みもない。
けれど直感だけは、言葉にできない違和感をずっと訴えてくる。
“入ってはいけない”ではない。“入っても意味がない”――そんな声だ。
◇
取材の成果はゼロだった。
だが、僕はなぜかそれを悔しいとは思えなかった。
翌朝、宿を発つ前に、もう一度だけ祠の前を訪れる。朝靄に包まれた境内は、まるで昨日とは別の場所のように静まり返っていた。
例の老婆が、祠の掃除をしていた。相変わらず僕の顔を見ると、にやりと口元を歪める。
「帰るんじゃな」
「ええ、結局、よくわかりませんでした」
そう答えると、老婆は箒を止めて、ぽつりと呟いた。
「わからんままで、ええんじゃ。
ここは、そういう場所なんよ」
僕は頷いて、深くそれ以上は聞かなかった。
帰りの電車で、ふと水筒の水を飲むと、わずかに甘みを感じた。
それは、村の水と同じ味だった。
東京に戻ったあとも、あの味を再現することはできなかった。
誰かに語っても、「気のせい」で終わる話だ。
だから僕は、こうして記録だけを残すことにした。
“味のしない記憶”の代わりに。




