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「何度も死ぬ女」

「人は一度きりの人生を生きている」

そう思っている人間は幸せだ。


僕はこれまで、“人生をやり直したい”という人間に何人も会ってきた。

だが、一度きりでもう十分だという顔をしていたのは、そんな人たちだけだった。


逆に、何度も人生を繰り返している人間は、誰よりも——

「死に方を選びたがる」。



事務所に届いた茶封筒。

 差出人の名はなく、宛名も「一ノ瀬一二三様」だけ。

 郵便番号も町名も書かれていないのに、なぜか届いてしまった。


 封を開けると、中からは便箋一枚と、古い新聞の切り抜き。


 便箋には、たった一文だけが書かれていた。


「——わたしは、今月で七回目の死を迎えます。」


 悪戯にしては気味が悪い。

 だが、添えられていた新聞がそれを悪戯として片づけられないものにしていた。


 記事の日付は二年前。

 「市内の女性、アパートで自殺か」という見出し。

 名前も顔写真も載っていない。

 ただ、事件のあった住所と年齢が記されていた。


 その記事の下部に、小さくマーカーで囲まれていた文。


「彼女は遺書の中で、こう記していた——

“これが三度目の死になります。今回はうまくいきますように。”」


 僕はしばらく、便箋と記事を交互に見つめていた。

 誰かの創作か、演出か、それとも——

 本当に、“何度も死ぬ女”が存在するのか。


 僕の好奇心に火がついたのは、そのときだった。



記事に記載されていたアパートを訪れた。

 築四十年以上。ベランダの手すりは赤茶け、郵便受けの名前プレートはどれも剥がれかけている。


 事件が起きたとされる部屋は——空いていた。

 大家に訊くと、何人か入居者がいたらしいが、どれも長続きしなかったという。


「なんかね、夜中に勝手にカーテンが開いたり、

 風もないのに風鈴が鳴ったりするんだってさ。

 気味悪がってみんな出てっちゃうよ」


 僕は部屋の写真を撮り、何もない畳の間をしばらく眺めた。

 女の遺書は発見されていないということになっていたが、

 新聞記事に書かれていた“あの一文”は誰が語ったのか。


 アパートを出てから、もう一度便箋を読み返す。

 「今月で七回目の死を迎えます」

 文面からは焦りも怨念も感じられない。

 ただ、事務的に“通達”しているかのような静けさがあった。


 僕は調査のついでに、アパートの近所の小さな喫茶店に入った。

 カウンターでアイスコーヒーを啜っていると、奥の席に座っていた女性と目が合った。


 妙に印象に残る顔だった。

 どこかで見たことがあるような。

 しかしそれ以上に、彼女の佇まいに引っかかるものがあった。


 ——“時間が止まっている”ような空気。

 彼女だけが、今この場所に存在していないような。


 ふと彼女が立ち上がり、僕の席に近づいてきた。


「……あなたが、一ノ瀬さん?」


 その声は、便箋の文字と同じ匂いがした。



 彼女は「高瀬」と名乗った。

 見た目は二十代後半、けれど瞳の奥に、年齢では割り切れない疲労があった。


「——もうすぐ、七回目なんです」


 彼女はカップを指でなぞりながら、ぽつりぽつりと語り出した。


「一度目の死は、小学生の時。川で流されて。

 二度目は高校生。夜道で車に跳ねられた。

 三度目が、あのアパートで。四、五、六度目は……まあ、いろいろ」


 淡々と語る口調の中に、“慣れ”があった。

 普通の人間が一生に一度きり経験する“死”を、彼女は何度も通り過ぎてきたのだ。


「私ね、死ぬたびに“巻き戻される”んです。

 ビデオテープのように。ぎゅるぎゅるって、決まった地点まで」


 視線を窓の外に向けながら、彼女は続けた。


「でもね……心はそのままなんですよ。

 小学生の身体に戻っても、中身はもう、何十年も生きてる人間のまま。

 だから、ランドセルを背負っても、世界が色褪せて見える」


 苦笑とも溜息ともつかない声が、グラスの縁に消えた。


「もう何度も“人生をやり直した”けど、いつも途中で終わっちゃう。

 どれだけ違う道を選んでも、最期の出口は決まってるみたい」


 僕は言葉を探していた。

 だが、彼女の表情は「もう何も求めてない」とでも言うように穏やかだった。


「たぶんね。

 “人生を繰り返す”って聞くと、みんな羨ましがるけど——

 実際は、誰にも届かない手紙を、何度も何度も書き直してる気分。

 自分が自分に伝えたいだけなの。

 “ここにいた”って、ちゃんと残しておきたいだけ」


 そのとき僕は、思わず訊きそうになった。

 「なぜ僕に?」と。

 でも、やめた。


 ——きっと、誰でもよかったんだ。

 “誰かに届けば、それでいい”。

 彼女はそういう表情をしていた。



それから三日後。

 高瀬が亡くなったという知らせが入ったのは、奇妙な経路だった。


 メールでも電話でもなく——

 新聞だった。

 それも、“まだ発行されていないはずの朝刊”が、僕のポストに入っていた。


 日付は明日付。

 その小さな三面記事の隅に、彼女の名があった。


「高瀬凛さん(28)、都内の線路上で死亡。現場の状況から自殺と見られる——」


 あのアパートの時と同じように、顔写真も載っていない。

 だが、僕にはわかった。

 それが、彼女の「七度目の死」だったことが。


 記事の下には、切り取られたような空白があった。

 そこに、手書きの走り書きが挟まっていた。


「次こそ、うまく終われますように。」


 それは、以前送られてきた新聞の切り抜きと、ほとんど同じ言葉だった。

 彼女はまた、“誰にも届かない手紙”を、最後にもう一度書いたのだろう。


 僕はしばらく、記事の載った紙を眺めていた。

 紙はしわひとつなく、墨のにじみもなかった。


 まるで、“死すらも繰り返す人間の言葉”は、

 印刷のように無機質に、美しく残るのだと、そんな気がした。




 数年後。


 報せは、再び封筒で届いた。

 今度は差出人の名が記されていた。

 「高瀬凛」——あの女の名だった。


 中には新聞のコピーと短い手紙。



「一ノ瀬様


あのあと、わたしは12度目の人生の終わりを迎えました。


本当に、これが最後のつもりでした。


……でも、まだ続くようです。


また、やり直しています。

また同じ場所で目を覚ましています。

またあの公園で、またあの家で、また同じ空の下で。


あなたにだけは、知っていてほしかった。

わたしはたしかに“死んだ”ということを。


そして、わたしはもう“死ねない”のかもしれないということを。


――高瀬凛」



 新聞のコピーは、三年前のものだった。

 つまり、彼女の“死”は時系列的にすでに起きていた。


 では、僕が会った彼女は——

 「いま、何度目の彼女」だったのだろうか?


 同じ人生を何度も繰り返し、

 同じ死を何度も経験し、

 それでもその度に、記憶を持ったまま生き続ける。


 まるで、人生そのものが罰のように。



彼女の名を、僕は記録として残すことにした。

 取材メモでも記事でもない。

 ただ、僕個人の“観測者”としての責任として。


 高瀬凛。

 彼女はたしかに存在していた。

 僕の前に現れ、語り、笑い、消えていった。


 何度も死に、何度も生きなおす。

 それは救いのようでいて、果てしなく残酷な仕打ちだ。

 死をもって終えられない人生があるとしたら、それは「生」ではなく「牢獄」だ。


僕たちは、自分の人生を一度しか持てない。

だからこそ、どんな終わりにも「意味」があると信じられる。


でも——


「意味が何度も繰り返されるなら、それはもはや“無”だろう」


彼女がいまもどこかで生きているとすれば、

それは、生きているのではなく、ただ“繰り返されている”のだ。


 次に彼女と出会ったとき、僕は何を話せばいいだろう。

 ——そんな問いだけが、記憶の中に残った。


【終】

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