「久篭村(後編)」
夜の村は、異様なほど静かだった。
風が吹いているのに、木々のざわめきはない。
足音を立てても、すぐに吸い込まれるように消える。
そんな中、村の奥でゆらめく光が見えた。
こんな場所に人がいるはずがないのに。
光は、どこかぼやけて見えた。
まるで、目の焦点が合わないまま、微妙に揺らいでいるような。
僕の直感が警告を発していた。
近づいてはいけない。
だが、それでも、僕は足を進めた。
この村で何が起こったのかを知るために。
◇
神社の裏手に続く道を抜けると、小さな集落が現れた。
朽ちかけた家々が並んでいるが、不思議なことに、どれも「完全には壊れていない」。
屋根は崩れかけているが、家そのものは形を保っている。
地面には枯葉が積もっているのに、どこか「整頓された感じ」がする。
そして、その中の一軒。
僕はそこで、明かりが灯る家を見つけた。
家の窓は、障子がわずかに開いていた。
そこから、ちらちらと中の様子が伺える。
僕は息を殺しながら近づき、そっと覗き込んだ。
◇
部屋の中には、誰もいなかった。
……はずだった。
何もないはずの空間の中で、確かに「何か」が動いた気がした。
ほんの一瞬、空気の密度が変わったような、目の奥がざらつくような違和感。
僕は思わず息を飲み、後ずさった。
すると、自分の足音が、別の場所からも響いた。
え?
今のは、僕が立てた音だったはず。
なのに、それとは別の足音が、まるで「少し遅れて」響いた。
後ろを振り向く。
誰もいない。
けれど、どこかから、小さな音が聞こえる。
それは、耳元で囁くような微かな声だった。
「……なぜ……ここに……」
◇
身体が固まった。
声の出どころがわからない。
すぐそばから聞こえた気がするのに、耳の奥に直接響くような感覚。
その時、ふと足元を見た。
――地面の模様が、おかしい。
つい先ほどまで踏みしめていたはずの道。
そこにあるはずの石ころや草の配置が、微妙に違う。
いや、違うというより、そもそもさっきと同じ道なのか?
おかしい。
さっき、僕はこの家の前に来たはずなのに、気づくと数メートル後ろに下がっていた。
いつの間に?
もう一度家の方を見る。
窓の位置が変わっている。
ありえない。
さっきまで、障子の開いていた隙間は、もうない。
逆に、今まで閉じていたはずの別の窓が、少し開いている。
この村は、少しずつ変わっている。
◇
僕は足を踏み出し、再び村の中を歩いた。
先ほどの違和感を確かめるために。
しかし――
歩いても、歩いても、景色が変わらない。
気づくと、僕はまた同じ場所に戻っていた。
村の中心部にある、古びた神社の前。
まるで、何かに導かれているように。
この村は、生きている。
◇
ふと、空を見上げる。
――おかしい。
さっきまで満月だったはずなのに、月が欠けている。
しかも、不規則に。
月の表面が、何かに削られたように、少しずつ欠けていく。
いや、違う。
月が削られているのではない。
これは――
月の光を、何かが遮っている。
それは、輪郭を持たない”何か”だった。
◇
僕は走った。
村の出口を目指し、ひたすら走る。
だが、足音は聞こえない。
風も、葉の揺れる音も、何もない。
ただ、後ろから――別の足音が響いていた。
そして、それは徐々に、僕の足音と同じリズムになっていく。
いや、違う。
それは――
僕の足音が、誰かの足音に同調していくのか?
次の瞬間、背後から、何かが息を吹きかけるような感触を覚えた。
振り向いた。
何もいなかった。
◇
気づくと、僕は村の入り口に立っていた。
振り返ると、そこに村はなかった。
あったはずの家々は、すべて廃墟ですらなく、ただの更地になっていた。
目を閉じ、深呼吸する。
――本当に、僕はあの村にいたのか?
◇
翌朝。
僕は町の道端で目を覚ました。
スマホを取り出し、カメラロールを開く。
村で撮ったはずの写真は、全て消えていた。
だが、一枚だけ。
見覚えのない写真が残っていた。
村の空に浮かぶ、削られた月の写真。
僕はそれをじっと見つめた。
それが、僕自身が撮ったものなのか、誰かが撮ったものなのか――
もう、わからなかった。
完




