「久篭村(前編)」
村が消えた話を、聞いたことがあるだろうか。
いや、正確には、「村があったはずなのに、誰もそれを覚えていない」という話だ。
都市伝説としてなら珍しくない。「ある日突然、地図から消えた集落」「消滅した村に行った者は帰ってこない」――ありがちな怖い話だ。
けれど、僕が今回調べているのは、もっと現実的な話だった。
つまり、あるはずだった村が、確かに存在していた証拠があるのに、今では誰もそこに行こうとしない。
そういう場所が、本当にあるのだ。
◇
きっかけは、古い地図だった。
仕事の取材のため、昔の地図を調べていたとき、ある違和感に気づいた。
数十年前の地図には、確かに名前が載っていた村が、最新の地図にはなかったのだ。
当然、廃村になった可能性はある。過疎化が進み、村としての機能を失い、行政区画上も消えた――というのはあり得る話だ。
だが、調べを進めると、その村についての情報が異様に少ないことに気づいた。
行政の記録にも、地元新聞のアーカイブにも、その村が消えた理由についての詳細な記事がない。
不自然なほど、何も書かれていない。
「そんなことって、あるか?」
村が消えるなら、当然ニュースになる。
それが過疎によるものでも、災害によるものでも、何かしらの痕跡は残るはずだ。
それなのに、その村の名前を知る人間すら、ほとんどいなかった。
◇
「久篭村? いや、そんな村はないねえ」
村のあったとされる地域の近くにある町で、地元の人に話を聞いてみたが、反応は皆一様だった。
誰も、その村を覚えていない。
ただ、一人だけ。
「……やめときなよ」
古びた商店の店主らしき老人が、ぽつりと呟いた。
「その村の話をするもんじゃないよ」
他の人間が、「そんな村はない」と即答するのとは違う。
つまり、この老人は「村のことを知っている」。
「何か、知ってるんですね」
「知らねえよ」
「じゃあ、なぜ『やめとけ』と言ったんです?」
老人は目を細めた。
「お前、ジャーナリストか何かか?」
「ライターです」
「なら、忠告しておくよ」
老人はため息をつき、ぼそりと呟いた。
「戻ってこられなくなっても、知らねえぞ」
◇
忠告を受けた僕は、そのまま村のあった場所へ向かうことにした。
村へ通じる道は、舗装されておらず、狭い山道だった。
携帯の電波も徐々に弱くなっていく。
そして、ようやく――村に辿り着いた。
◇
そこには、確かに村があった。
けれど、人の気配はない。
ほとんどの家は古びて朽ちかけていた。
完全に廃村――のはずだった。
しかし、違和感があった。
家の軒先には、洗濯物が干されている。
土の上には、つい最近つけられたばかりの足跡が残っている。
民家の中を覗くと、まだ新しい食器が並べられていた。
――まるで、つい昨日まで誰かが住んでいたように。
……本当に、ここは廃村なのか?
◇
日が暮れ始める。
山に囲まれたこの村は、夕暮れが早い。
日が傾くにつれ、村の中の空気は急激に冷え込んだ。
そして――あることに気がついた。
音が、異様に少ない。
風が吹いているはずなのに、木々のざわめきが聞こえない。
土の上を踏みしめる足音も、なぜか吸収されてしまう。
手を叩いてみたが、その音すら、妙に遠ざかるように聞こえる。
まるで、ここだけ世界の音が削ぎ落とされているような――。
◇
僕は、村の中心にある神社へと向かった。
地元の資料によれば、この村には古くから信仰されていた神がいるらしい。
だが、その神の名も、いつの間にか忘れ去られていた。
神社は、驚くほど綺麗だった。
朽ち果てた家々とは違い、神社だけは新しく手入れされている。
誰かが管理しているのだろうか?
僕は鳥居をくぐる。
その瞬間、耳元で、誰かの声がした。
「……帰れ」
振り向く。
だが、誰もいない。
風の音か? それとも――。
◇
夜が来る。
この村で、夜を迎えることは、果たして正しい判断なのだろうか。
だが、僕は確かめなければならなかった。
この村で何が起こったのか。
月の光が、廃村を静かに照らす。
僕は、ふと気づいた。
村の奥に、明かりが見える。
こんな場所に、人がいるはずがない。
しかし、確かに――誰かが、いる。
僕は、その光へと足を踏み出した。
〈後編へ続く〉




