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「棒人間」


祈りというのは、得てして身勝手なものだ。

助けてくれ、救ってくれ、叶えてくれ。

誰もが願う。けれど、その祈りが誰に届いているのかを、考える人はほとんどいない。


もし、“祈られる”というだけで神になれる存在がいたとしたら——


それはきっと、人間よりも無慈悲で、正確で、無内容だ。



訃報は、一本の電話からだった。


「……八巻先生が亡くなりました」


 受話器の向こうで、かすれた声が言った。

 八巻志郎。宗教史や民俗信仰の研究者で、僕が若い頃から何度もお世話になった人物だ。

 人懐っこい笑顔に似合わず、「この国の神はほとんど幽霊みたいなものだ」と言い切る、骨太な学者だった。


 だが、最後の数年は奇行が目立ち、学内でも浮いた存在になっていた。

 本人曰く、「記号化された神性の実在性について、実地で検証している」とのことだったが、それが何を意味していたのか、当時の僕にはさっぱりわからなかった。


「先生の遺品の中に、少し気になるものがありまして……」

 電話の主、彼の助手だという若い男が言葉を選びながら続ける。

「“これは一ノ瀬くんに渡してくれ”と、メモが残されていました」


 僕は礼を言い、翌日、大学の研究室へ足を運んだ。



八巻教授の研究室は、静まり返っていた。

 窓は目張りされ、書棚には厚い埃が積もっている。

 「宗教と図像」「無神論と信仰の矛盾」「祈りの構造解析」——タイトルだけで胃もたれしそうな専門書がぎっしり並ぶ中、唯一、机の上にぽつんと置かれていたのが、茶封筒だった。


「先生、本当にこれだけを……?」


 助手の男が、申し訳なさそうにうなずいた。

 「中身は、写真と、手書きのメモだけでした」


 僕は封筒を受け取り、中身を取り出す。

 一枚の古びた写真と、黄ばんだ便箋に書かれた短い文。

 そこに記されていたのは、意味不明で、なのにやけに引っかかる一節だった。


『人が神を忘れるとき、神は形だけ残る。

 棒のような手、円のような頭。

 ——それは、祈りの受け皿だ。』


 写真には、古びた石壁に彫られた奇妙な線刻が写っていた。

 頭、胴体、四肢。

 ただそれだけ——棒人間だった。


 子供の落書きにも見えるその線に、僕はなぜか強い“視線”のようなものを感じた。

 これはただの記号ではない。

 だが、何かを伝えるわけでもない。

 ただそこに、在る。


「これ、どこで撮られたものかわかりますか?」


「ええ。先生、最近ある廃寺に通ってまして……円光寺って名前の——」


 その名を聞いた瞬間、何かが胸の奥でざらついた。

 僕が昔、別件の取材で訪れたことのある場所だった。

 記憶の中のあの寺に、こんな線刻があった覚えはない。


 ——変わったのか。

 それとも、最初から“見えていなかった”のか。



 円光寺は、想像していた以上に朽ちていた。


 かつて本堂があった場所は、屋根も柱も崩れ落ち、瓦礫の山と化している。

 苔むした石段を踏むたびに、底の抜けた音が足元から伝わってくる。


 ——こんなに荒れていたか?


 記憶の中の円光寺は、確かに静かではあったが、もう少し“人の形”を留めていた気がする。

 今はもう、境内のどこにも、祈りや香の名残すら感じられない。


 本堂跡の石壁だけが、なぜか異様に綺麗に残っていた。

 そこに、それはあった。


 棒人間の線刻。


 頭部は円、胴体と手足は単なる直線。

 まるで子供の落書きのようだが、彫り跡は驚くほど深く、丁寧で、執拗だった。


 ——単純な形ほど、怖い。

 意味がわからないから、どこまでも解釈できてしまう。

 何をしているのか、何を表しているのか。

 こちらが勝手に“読み取ってしまう”。


 僕はスマートフォンを取り出し、石壁を撮影する。

 シャッター音とともに画面に表示された画像には、石壁と苔、周囲の瓦礫が映っている。


 ——棒人間だけが、消えていた。


 僕はカメラを見て、石壁を見て、また画面を見た。

 何度撮っても同じだった。


 そこに、確かに刻まれているのに。

 なぜか“写らない”。


 しばらく眺めていると、ふと、ある奇妙な既視感に襲われた。

 そのポーズ。線の角度。手足の広げ方。

 どこかで、いや——誰かの姿に似ている。


 そのとき、風が吹いた。

 石壁の裏手から、何かが地面を這うような音が聞こえた気がした。




 その夜、僕は簡易の寝袋を持ち込み、本堂跡で一晩を明かすことにした。

 焚き火はしない。照明も最小限。

 もし、教授が遺した言葉の通りなら——“何か”は夜に動く。


 辺りが完全に闇に沈んだ頃だった。

 石壁の前に、人影が現れた。


 数は三人。

 全員が無言で、ぴたりと同じ姿勢をとっている。

 両腕を左右に伸ばし、足を大きく開いて立つ。

 それはまるで、棒人間のポーズだった。


 奇妙だったのは、その“祈り方”だ。

 誰一人、手を合わせるわけでも、経を唱えるわけでもない。

 ただ、線のように手足を伸ばしたまま、微動だにせず立っている。


 音は一切なかった。虫の声すら途絶え、夜が紙のように薄くなったように感じられた。


 僕はスマホのカメラを起動し、ズームして撮影する。

 だが、画面には人影が写らない。

 シャッターを切ると、映っていたのは石壁だけだった。


 その瞬間、何かが背後を通り過ぎた気配がした。

 振り返ると、そこには誰もいない。だが、確かに風のような体温が肌に残っていた。


 気がつくと、三人の人影は跡形もなく消えていた。


 急いで石壁に近づいて確認する。

 ……線刻の数が、一つ、増えていた。


 同じ棒人間の姿。

 ただ、そのポーズだけが——僕が、さっき撮影しようとして構えたときの姿勢と一致していた。



翌朝、僕は早々に寺を後にし、大学図書館の地下書庫に向かった。

 助手から借りた八巻教授のノート——それはA4サイズのスケッチブックに、万年筆でびっしりと書き込まれた“信仰の研究”だった。


 だが、普通の論文とは明らかに違っていた。

 論理は断片的で、線は走り書きのように不安定で、図形ばかりが目立つ。


 丸。直線。交点。

 まるで棒人間を構成する記号だけを繰り返し書いているようだった。


 一枚だけ、ページの端に赤ペンで書かれた言葉が目に留まった。


「神は人によって意味を与えられる。

 だが、意味を失った信仰は、かたちだけを残す。

 それが“線の神”だ。

 ——人々は、もはや意味のない何かに祈っている」


 背筋が冷えた。

 円光寺の壁に刻まれた棒人間は、たしかに「意味のない形」だ。

 それは姿でも思想でもなく、**“ただ祈るための受け皿”**として存在している。


 人は簡略化を好む。

 複雑な教義を捨て、言葉を捨て、やがて姿も捨てた。

 残ったのは、丸と線——誰にでも理解できる神の記号。


 だが問題は、その“受け皿”に何を流し込むかだ。


 祈りは、時に呪いにもなる。

 助けてほしい、という願いの裏に、誰かの犠牲を求めてはいないか?

 棒人間は、選ばれた誰かの姿を写し、それを記録するのではなく、固定してしまう。


 そう考えたとき、昨夜見た線刻の「ポーズ」が頭をよぎった。

 僕の構えた姿勢と同じ、あの形。


 ——誰かが、僕を祈ったのか?

 それとも、“僕の存在そのものが、あの形に嵌まった”のか?


 ページをめくるたびに、棒人間の数が増えていくような錯覚がした。



夜の円光寺跡に、再び足を運んだ。

 今度は、デジタルではなくポラロイドカメラを持ってきた。

 八巻教授のノートに書かれていた言葉が引っかかっていたからだ。


「記号は、記録ではなく“儀式”に反応する。

 写すことは、再現ではなく、呼び出すことに等しい」


 石壁は、前よりも静かに、正確に“増えていた”。

 昨夜よりも、2体多い。

 そのうちの1体は、誰が見ても明らかに——僕の立ち姿だった。


 ポラロイドを構え、シャッターを切る。

 キュルルル……と唸り、白い写真が吐き出される。

 時間をかけて像が浮かび上がっていく。


 ——写っていた。


 壁の前に立つ、棒人間。

 他の線刻とは明らかに質感が違う。影がある。立体感がある。

 それは“線の仏像”ではなく、そこに立っている誰かのシルエットだった。


 もう一枚。別角度から。

 現像された写真には、壁の前に誰も立っていないのに、

 棒人間が、前より“くっきりとした姿”で写っていた。


 ポーズが——変わっている。

 両腕を斜めに掲げ、こちらを指していた。


 そのときだった。

 周囲の空気が、紙のように薄くなった。

 音が消える。感覚が収束する。

 世界の中で、自分の存在だけが“輪郭”を失いはじめる感覚。


 手足の感覚が遠のく。

 自分の影が、石壁へと引き伸ばされていく。

 その形は——あまりに単純で、あまりに滑稽で、だからこそ、抗いがたい恐怖を孕んでいた。


 それは、“僕が棒人間に変わっていく感覚”だった。




 影が、僕の形を模している。

 いや、違う。

 僕が、影の形に“沿わされている”のだ。


 石壁に貼りつくように伸びた黒い線が、足元から頭まで、寸分違わず僕の動きを“なぞって”いる。

 その線が、ゆっくりと壁に染み込み、もう一体の棒人間として刻まれていくのがわかった。


 ——誰かが祈っている。

 そうでなければ、この記号は生まれない。


 だが、誰が?

 僕に、何を願っている?


 頭の奥でノイズのように、八巻教授の言葉が反響する。


「祈りに意味が必要なのは、人間だけだ。

神にとって、意味は不要。

 ——求められることこそが、存在理由だからだ」


 八巻は、最後の数ヶ月、ほとんど誰とも会っていなかった。

 この棒人間に魅入られ、研究に耽り、取り憑かれ、そして死んだ。

 いや、祈ったのだ。

 “誰かが、自分の後を継いでくれるように”と。


 その祈りが、僕に向けられていたのだとしたら?


 教授の遺言も、写真も、線刻も、すべてが“祈りの線”だったのだとしたら。


 石壁の上で、僕を模した棒人間が、完成する。


 ポラロイドを構える。

 最後の一枚。

 それを撮るということは——“見届ける”ということだ。


 シャッターが落ちた。


 現像された写真には、一本の線が刻まれていた。

 丸い頭。真っ直ぐな胴。左右に広がる手足。


 完璧な棒人間だった。


 だが——その姿勢は、あきらかに、カメラを構える僕自身のポーズだった。



ポラロイドの写真は、机の引き出しの中にしまった。

 あれから、もう一度だけ円光寺に足を運んだが、線刻は変わっていなかった。

 僕の姿を模した棒人間は、静かにそこに在った。

 増えることも、消えることもなく、ただ、線として残っていた。


 以降、あの場所で祈る者は現れていないらしい。

 今のところは、という但し書き付きだが。


 僕はこの件を記事にすることをやめた。

 言葉にすれば、何かを壊してしまう気がした。

 正確に説明できないものを、無理に伝えようとすれば、それはすぐに「ただの落書き」に堕ちる。


 祈りとは、意味ではなく、行為の痕跡だ。

 願いが何であれ、捧げられたという事実だけが、何かをこの世に残す。


 ——それが、形だけの神。

 誰にでも見えるが、誰にも説明できない、単純すぎる線。


 教授はあれを“神”と呼んだが、僕にはまだ、それが何だったのかわからない。

 けれど、ひとつ確かなのは、


 あの線は、誰かの祈りによって生まれ、誰かの姿によって完成するということだ。


 意味のない形に、意味を与えてしまうのは、いつだって——

 僕たち人間の方なのだから。




[終]

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