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「青信号」

青信号


共通認識は、時として怪異を生み出す。


青信号になったら渡る。

これは、誰もが当たり前に持っている認識だ。


「青=進め」「赤=止まれ」。

誰もがそのルールを疑わず、それに従って生きている。


しかし、それはあくまで”正しい”という思い込みに過ぎない。


もし、青信号が”進んではいけないサイン”だったとしたら。

もし、青信号の向こうに”進むべきではない世界”があったとしたら。


もし——青信号が、「誘い」だったとしたら。


僕たちは、無意識のうちに青信号を信じている。

それが誤りだと知ったときには、もう遅いのかもしれない。


そう思わせる奇妙な噂が、この町にはあった。



「深夜2時33分に、あの交差点の青信号で渡ると、二度と元いた場所に戻れなくなる」


そんな話を聞いたのは、取材で訪れた地方都市の喫茶店だった。

話してくれたのは、地元のタクシー運転手だった。


「幽霊が出るわけじゃない。でも、渡っちゃいけないんだ」


運転手は、紙コップのコーヒーを手に取りながら言った。

何度かためらうように口を開き、慎重に言葉を選んでいる。


「試した人はいますか?」


「……いないよ。渡った人はみんな、翌日にはこの町にいないからな」


「引っ越したとか、出張とか?」


「そんな話じゃないんだ」


運転手はカップを置き、声を潜めた。


「そもそも……最初から『そんな人間はいなかった』みたいに、誰の記憶からも消えるんだよ」


僕は眉をひそめた。


「それって、ただの都市伝説では?」


「だったら試してみるか?」


彼は笑いながら言ったが、その目にはどこか本気の色があった。


「俺はね、深夜の運転中に何度も見たんだ。青信号が点滅する交差点を、渡らずに立ち尽くしているヤツを……」


僕はその言葉を聞きながら、カップの底に残ったコーヒーを見つめた。


本当にただの噂話なら、それでいい。

だが、ここには妙なリアリティがある。


「渡らずに立ち尽くす?」


「そうだよ。みんな青信号になっても歩き出さない。怖いんじゃなくて……“向こうを見ている”んだ」


「向こう?」


「横断歩道の先さ。誰もいないはずの、信号の向こう側を」


背筋が冷たくなるのを感じた。


「そこに……何かいるんですか?」


運転手は答えなかった。

ただ、僕の視線をまっすぐに見返した。


僕はそのまま、取材ノートを閉じた。


3. 深夜の交差点


気がつくと、時計の針は2時25分を指していた。


深夜の町を歩き、問題の交差点へと向かう。

通りには人の気配がない。


夜の風が頬を撫でるたびに、町が静かに揺らめくように感じた。

どこか、現実感が薄い。


やがて、例の交差点が見えてきた。


何の変哲もない、普通の横断歩道。

街灯の白い光がアスファルトに影を落としている。


そして、その中央に立つ信号機——赤。


僕はその場に立ち止まり、息を潜めた。


交差点の向こう側には誰もいない。

コンビニの明かりがぼんやりと灯り、夜の静寂が広がっているだけだ。


しかし——。


どこか、何かが”違う”気がする。


まるで、この空間だけ”少しずれている”ような違和感。


一歩踏み出せば、そこに”入ってしまう”ような、言い知れぬ不安。


そんなことを考えていると——信号が青に変わった。


僕はふと足を前に出そうとする。


しかし——その瞬間、全身に寒気が走った。


“誰か”が見ている。


それは、交差点の向こう側だった。


さっきまで何もなかったはずのその場所に、“人影”があった。


スーツ姿の男のようにも見えるが、顔がはっきりしない。

薄闇に溶け込むようにして、ただじっとこちらを見つめている。


いや、違う。


これは——“見られている”というよりも、“待たれている”。


青信号の向こうで、僕が渡るのを待っている。


僕は、無意識のうちにスマホを取り出し、カメラを向けた。


ズームして画面を確認する。


——しかし、そこには何も映っていなかった。


僕は息を呑んだ。


なのに、肉眼では確かに”見える”。


“そこに立っている”のが分かる。


何かが、おかしい。


信号は点滅を始めた。

あと数秒で、赤に変わる。


その時だった。


人影が、一歩前に出た。


直感が告げる。


ここで待ち続ければ——

次の青信号で、僕が”向こう側の人間”になる。


次の瞬間、僕は視線を逸らし、一歩後ずさった。

そのまま交差点から遠ざかる。


足元が震えていた。


振り返らない。


もう、二度と。



翌朝、僕はもう一度交差点へ向かった。


そこには、昨夜と同じ何の変哲もない風景が広がっていた。


何もおかしなことはない。

ただの交差点。

ただの信号機。


それでも、妙な違和感を拭いきれず、僕は昨日、“あの人影が立っていた場所”を確認しに行った。


そこには——黒く焼け焦げたような跡が残っていた。


誰かが長時間、そこに立ち続けていたかのような、微かな痕跡。


もし僕が昨日、青信号を渡っていたら。

もし、あの男と同じ場所に立っていたら。


次に青信号が点いたとき、僕は誰かを待つ側になっていたのかもしれない。


そう考えたとき、僕は足早にその場を後にした。


【終】

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