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「モンスターハンター」


「怪異を退治する者」なんてのは、昔から存在する。


時代によって呼び名は違うが、要するに”妖怪退治”だの”祓い屋”だのと呼ばれる連中だ。

彼らは人知れず怪異と戦い、“悪しきもの”を取り除く。

だが、そのやり方は一様ではない。


誰かは「祓う」ことで処理し、

誰かは「封じる」ことで隔離し、

誰かは「消す」ことで跡形もなくする。


——そして、極稀に「飼う」なんて奴が現れる。


そういう手合いは、大抵ロクな目には遭わない。

だから僕も、最初にその言葉を聞いた時は、こいつは頭のおかしいオカルトマニアか何かだろうと思った。


でも、それが「本当にできる奴」だったら。


この仕事をしていると、時々わからなくなる。

怪異を相手にしているのは、人間の方なのか——それとも、怪異の方なのか。



僕がこの村に来たのは、「夜に消える獣」の噂を聞いたからだ。


ある山間の小さな村。

住人は皆、口を揃えて「山神の祟りだ」と言う。


「夜になると、黒い影の獣が現れる。

 そして、それを見た者は二度と姿を見せなくなる。」

「いや、あれは獣なんかじゃない。“人”だった。

 でも、次に見た時には獣になっていた。」

という者もいる。


祟りか、それとも何かの怪異か。

どちらにせよ興味深い話だった。


僕は村の人々に話を聞こうとしたが、皆、一様に渋い顔をする。


「よそ者は関わらない方がいい」

「迂闊に夜に出歩くな」


そんな言葉を繰り返し、決して核心には触れようとしない。


しかし、取材を進めているとある老爺がこっそりと教えてくれた。


「……村の外れに行けば、わかるかもしれんぞ。

 最近、“そいつ”を追いかけてる変な女がいるからな。」


変な女、か。

珍しい話ではない。どこにでも集団の一般からかけ離れたいわゆる「外れ値」にあたる者は一定数いる。

しかし、僕はすぐに違和感を覚えた。


「……追いかけてる? 退治屋みたいなこと…ですか?」


老爺は首を振る。


「いいや……“狩ってる”わけじゃない。

 あいつは”集めてる”んだよ。」



村の外れへ向かうと、すぐに”そいつ”は見つかった。


道端の岩に腰掛け、空を見上げながら何やら鼻歌を歌っている。

茶色がかったショートヘア。

動きやすそうなパーカーにハーフパンツという、どこか軽装の登山者のような服装。

ただ、一目見て違和感があった。


妙に、浮いている。


村の空気と馴染んでいない。

普通の観光客とも違う。

まるで、ここが”自分の居場所”かのように、のんびりとそこにいた。



僕は軽く咳払いし、声をかけた。


「……君が、この辺りで”変なもの”を追ってるっていう女の子か?」


すると、彼女はひょいっと顔を上げた。


「あ、そっか。もうそんな時間か」


「君、僕を待ってたのか?」


「ううん。『何か』を待ってたら、お兄さんが来た。」


まるで、それが当然だったかのような言い方だった。

どこか妙に人懐っこい笑顔で、少女は言った。


「お兄さん、取材の人?」


「……まぁ、そんなとこだ」


彼女は、ぽんと膝を叩いて立ち上がる。


「そっか! じゃあ、ちょうどいいね」


何がだ。


「だって、お兄さんが来たってことは、“あの子”もそろそろ出る頃でしょ?」

「あの子?」

「うん。この辺だと“夜に消える獣”だっけ?

 お兄さんも知ってるでしょ?」


僕は思わず眉をひそめた。


「……まさか君が”退治屋”なのか?」


彼女は目を丸くして、笑う。


「ちがうちがう。“モンスターハンター”だよ。」



その響きに、違和感があった。


普通、そういう連中は自分たちを「退魔師」だとか「祓い屋」だとか、そんな風に呼ぶものだ。

「モンスターハンター」なんて、まるで遊びの延長のような軽さがあった。


「……それはつまり、“怪異退治屋”ってことか?」


「うーん、それもちょっと違うかなぁ」


彼女はくるりと一回転し、ポケットから何かを取り出した。


僕は息を呑む。


それは、**「小さな壺」**だった。

古めかしいが、何の変哲もない器。

しかし、僕の目には”異様なもの”が映った。


——壺の表面が、僅かに”呼吸するように”蠢いている。


一見ただの陶器。しかしよく見るとその壺は生き物の皮膚の様な動きを見せる。


「これはね、“この前の子”。

 ほら、すごくない? ちゃんと大人しくしてるでしょ?」


僕は背筋が冷えた。


「あんた……まさか…」

“怪異を捕まえてる”のか?

少女は 「そうだよ」 とにこりと笑う。


「だから”狩り”じゃない。“飼う”の。」


まるで野良の犬や猫を保護する様な口ぶりだった。



「……飼う?」

思わず聞き返すと、少女は当然のように頷いた。


「そう。狩るんじゃなくて、飼うの。

 だってさ、“全部殺しちゃう”なんて、なんか可哀想じゃない?」


 可哀想。


 かつて僕が関わってきた人間で異形の類に対しそんな感情を抱いた者がいただろうか。

いままで取材をした人々は異形に対し例外なく恐れ、慄き関わってしまったことを後悔すらしている者は多い。

そんな対象に対し、この少女は可哀想と何の揺らぎもなくそういった。

僕はその言葉を噛み締めながら、もう一度少女の手の中の壺を見る。


改めてじっくり観察すると、それは確かに普通の器に見える。

しかし、視線を凝らすと、わずかに”内側から何かが擦れている”ような音がする。


「……中に何かいるのか…?」


「うん。この子、“影を食べるやつ”でさ。

 夜になると人の影にくっついて、ちょっとずつ”影”を食べていくの。

 で、影が無くなっちゃった人は、そのまま”見えないもの”になっちゃうんだって。」


 随分物騒な話だ。扱いを間違えれば自分だってただでは済まないであろうそれをーー

そんな危険なものを当たり前の様に”持ち歩いてる”と言った。


「だって、放っといたらもっと危ないじゃん。

 この子は”食べる”のが習性みたいなものだから、勝手に止めろって言っても無理なんだよ。

 だったら、こっちでちゃんと管理して、“適量”だけ食べさせておけばいい。」


「適量…」

全てが常識外。

少女は壺の中にいれて持ち歩いているそれをまるで生き物の様に扱っていた。


「うん。影を食べさせすぎると人間ごと消えちゃうから、その前にちゃんと止めるの。

 ほら、お兄さんも食事のバランス大事でしょ?」


まるでペットの餌やりの話でもしているかのような口ぶりだ。


しかし、本当にそんな得体の知れない異形を管理できるなら——

人に危害が加わらない方法が実際にあると言うのなら——


僕は、改めて目の前の少女を見た。


——何かが、圧倒的に決定的に”普通じゃない”。その不自然さにはどことなく今まで出会ってきた様々な異形に通ずるような部分があった。



普通の人間なら、怪異を恐れる。

あるいは、怪異を憎む。

だからこそ、「退治」するという選択肢が生まれる。


だが、彼女は”管理”する。

それができる、という発想がまず異質だ。


「……つまり、あんたは”怪異を保護する”ことができるってことか?」


僕が問うと、少女は首を傾げる。


「保護、ねぇ……うーん、それもちょっと違うかな?」

「違う?」

「だって、私は”人間の味方”ってわけじゃないし。」

「……は?」


「私は怪異が好きなの。

 でも、“何も考えずに野放しにすると、トラブルが起こる”ってのも知ってる。」


「だから、“正しく飼う”のが私の役目。

 それで人間側も怪異側も上手くやっていけるなら、その方がいいでしょ?」


「……」

言っていることは理屈が通っている。

だが、僕の中で拭えない違和感があった。


「じゃあ、“暴れる怪異”はどうする?」


「そりゃ、ちゃんと躾けるよ。」

「……それでも手に負えないやつは?」

「うーん……そういう時は——」


うららは壺を指で軽く叩いた。


「“別の子”に食べてもらう。」


その瞬間——壺の内側で、何かが”コツン”と叩き返してきた。


僕は無意識に後ずさる。


「……なんだ、それ。」


「怪異って、怪異を食べることもあるんだよ。

 人間が動物を食べるみたいにね。」


うららは何でもないことのように言う。


「でもね、お兄さん。

 “食べる側”と”食べられる側”って、実はそんなに明確に決まってるもんじゃないんだよ。」


僕は息を呑む。


それは、まるで——


“僕が“食べる側”なのか”食べられる側”なのかを測っているだけ”と言うような口ぶりだった。


「……」

「さて、そろそろ”夜に消える獣”も出てくる時間かな?」

少女はそう言って、壺を懐にしまい、またにこりと笑った。




夜。

村を静かに包み込んでいた。


山間に吹く風が、木々をざわめかせる。

村の人々は皆、家の中に閉じこもり、戸を固く閉ざしている。


この村では”夜の外出”は禁忌だった。

理由は、**「夜に消える獣」**が現れるから。


そして今、その”獣”が、すぐそこにいた。


町では住民が生活しているであろうにその生活音も光も全く届かない。


いま僕の五感で感じられるのは静寂と異形から発せられているであろう威圧感だけだった。


——ガサッ。


何かが、木の葉を踏みしめる。


僕と、少女はタイミングを合わせたわけでもないが同時に身を潜めた。


「来たね」

少女が小声で囁く。


道の先の闇の中。

そこに、**「何か」**がいた。


黒い影。

獣の形をしているようで、そうではない。

四つ足で歩くが、動きが滑らかすぎる。


そして——次の瞬間。


——獣が、一瞬で消えた。



「……消えた?」

僕は目を疑った。

いや、“目を凝らしても”見えない。


少女は微かに笑う。


「ううん。“消えた”んじゃない。“移った”んだよ。」


「写った?」

「”夜に消える”っていうネーミングのせいで皆勝手に”消える”って思い込む。でも、実際は“見えなくなる”んじゃない。“風景の存在感を自分よりも目立たせてる”だけなんだよ」

認識されていること自体を認識させない。

存在するのに認知をさせない。

目の前の異形はそうやっていまの今まで存在し続けることに成功してきたと少女はいう。

そして少女は、そっと指を前に向ける。


「ほら。目を細めて。“少し濃い影”の部分を探してみて。」


……言われた通りに目を凝らすと、違和感があった。しかし言われないと気づかない。気づけない。


道路の端。

草むらの隙間。


ほんのわずかに、影が不自然に”動いている”場所がある。


「……あれか?」

「そう。“あれ”。」

「……」

僕も今まで幾度となく異形とは出会ってきた。

しかし彼女の異形に対する怪異に対する理解度が格段に違う。

一挙手一投足には具体的な意図があり意味がある。

本当に怪異の”プロフェッショナル”なのだとこの時改めて実感した。


「“目を奪う”やつ。

 視界の隅に入り込んで、少しずつ”認識を盗んでいく”。」

「認識を盗む?」

「うん。“何かを見えなくする”ことで、獲物を狩る。」


「つまり、“夜に消える”ってのは——」


「本来自分に集まるであろう”注目”を“周りに移して、見えなくする”ってこと。」

移して写す。身を隠すのではなく存在し続けるために晒す。当たり前をズラす。


それはつまり——



“擬態”

本来これは動物や昆虫が自分の身を守り外敵から身を守る為にあるいは獲物を狩る際に標的から身を隠す為に使用する。

そいつは自然界で動物や昆虫が当たり前に行なっている生存戦略をまるで生き残ろうとするために存在し続けるために当たり前に行なっていた。



「……で? どうするつもりだ?」


「もちろん、捕まえるよ」

うららはポケットから、あの”壺”を取り出した。


「おとなしく入ってくれるといいんだけどなぁ」


そんな簡単に入るものなのか。

そんな疑問に答える様に少女は小さく呟く。


「でも、この子は”目”を奪う怪異だからね。」

小さく息を吐く。



「“見えていなかったもの”が、いきなり見えるようになったら——

 きっと、びっくりして、動けなくなる。」


そう言って、彼女は懐から”もうひとつの器”を取り出した。

それは、小さな丸い鏡だった。


「こいつの”本当の姿”を見せてあげれば、“写る側”から”写される側”になる。」


「……それで捕まえる気か?」

「うん。大丈夫大丈夫、きっとできるよ」


その無邪気な笑顔はどこか恐ろしく、目の奥には底が見えない不気味さが垣間見えていた。


「さぁ時間だよ。」

少女は、体勢を変えずなるべく物音が立たない様にゆっくりと鏡を持ち上げた。


その瞬間、辺りの空気がわずかに重くなる。

今まで体験してきた異形が放つ威圧感。しかしそれらとは明確に違う空気感で辺りは包まれていた。

そして鏡の表面に少しずつぼんやりと”何か”が映り込んだ。


いる。

——そこには、“夜に消える獣”が映り込んできた。


影のような獣。

黒く、ぼやけた輪郭。

本来なら”消えている”はずの姿が、鏡の中にははっきりと映し出されていた。


「ほら、やっぱりね。びっくりして動けなくなってる。」


うららは満足そうに笑う。


「この子、自分が”見られる側”になることに慣れてないんだよ。」


僕は獣の動きを観察する。

確かに、獣はその場にじっとしている。

まるで、自分が”見えている”ことに困惑しているかのように。


……こいつは、自分の身を認識されないことで「狩り」をする怪異だ。

“認識されない”からこそ、“存在できる”。

相手から視覚されないこと自体がアイデンティティ。

だが今、それが破られた。


「さぁ、おいで」


うららは、懐から壺を取り出す。

ふたを開け、獣に向かって軽く掲げる。


「こっちだよ」

少女は相変わらず怪異に対して優しく声をかける。


——その瞬間。


獣は異様な動きを見せた。


ビクリと震え、頭を激しく振る。

目に見えないはずの表情が、“嫌がっている”とわかるほど明確に。


「……?」


「……あれ?」


少女も少し驚いたようだった。


獣は、壺に向かって低くうなり声をあげる。

その声は、まるで——


“そこには入りたくない”とでも言っているように聞こえた。



「おい……」


僕は背筋に冷たいものを感じながら、彼女に声をかける。


「お前、本当に”管理できてる”のか?」


「……大丈夫だよ」


少女は、少しだけ歯切れ悪く言う。


「この子、まだ慣れてないだけ。問題ないよ。」


その時。


——壺の中から、コツン、と音が鳴った。


僕は、一瞬、息を呑む。


「……今の音は?」


「あぁ……うん。“中の子”が、起きたみたい。」


「……」


「大丈夫大丈夫。

 ここの子たちは、みんな仲良くできるから。」



——仲良く?


僕は、その言葉に強い違和感を覚えた。


この娘の”管理”している怪異たち。

彼女は、それを”ペット”のように扱っている。


しかし、それは本当に”管理”できていると言えるのか。


……いや、そもそも。


——怪異は本当に、“飼える”ものなのだろうか。


それは、人間が勝手に”そう思い込んでいるだけ”じゃないのか。

もしそうならそれはとてつもなく危険なことなのではないか。


僕がそんなことを考えている横で彼女は冷静にこの状況に対処していた。


「さて、もう一回……」


彼女は壺を獣に向ける。

壺は生き物の様に表面は蠢き、中から発せられている何かが擦れる様な音は心なしか激しくなっていた。


しかし、その瞬間——


獣が、“何か”に気づいたように、急に後ずさった。


そして。


——目の前で”消えた”。



「……あれ?」

少女は首を傾げる。

「逃げた……?」


「“もう見えている場所にはいられない”ってことか?」

「かもね。どこに行っちゃったんだろ……?」



僕は、周囲を見渡した。


闇。

草のざわめき。

静かな夜の村。


獣はもう、いない。


……本当に?


ふと、背後に視線を感じた。

その瞬間全てを理解した。

そして戦慄した。


……背後”だけ”じゃない。


……足元からも、横からも。


そして。


自分の影の中からも。


僕はいつの間にか無数の視線に囲まれてしまっていた。

蛇に睨まれた蛙。

それは危機がすぐ側、僕の鼻先を掠めてることを意味していた。


「……なぁ、モンスターハンター」

「ん?」

「その獣、“自分に集まるべき注目を他の対象に移す”能力があるんだったな?」


「うん?」


「……もし”自分の姿”の認識をズラんじゃなくて——」


「——“他人の姿”の認識をズラすことができるなら…」


怪異にそんな生き残るための知能の様なものが備わっているかはわからない。

だが、きっと、それが出来てしまうのであれば——


そう言いかけた瞬間。


“影”が、蠢いた。



目の前は真っ暗になり闇が僕を包む。


「……っ!」


思わず足を引く。


自分の足元にあった影。

街灯に照らされた、自分の形をした影。


——その輪郭が、わずかに”歪んだ”。


いや、影が揺れること自体は不思議ではない。

風が吹けば、光の加減で影の形も変わる。


だが、これは違う。


“意志を持った何か”が、影の中で”動いている”。 


静寂。

隣にいたはずの怪異のプロは跡形もなくいなくなっていた。


モンスターハンターがいたであろう場所にやつは立っていた。


黒く暗く佇んでいる。


“夜に消える獣”は僕のすぐ隣で静かにこちらをみていた。



 相手が複数人いるならまずバラバラにして戦力を分散する。

 兵力が少ない側は「一騎打ちの戦い」に持ち込むべきである。かつて有名な学者が提唱し現代においても様々な本に記されている実社会では当たり前に浸透しているであろう戦術。


 それを目の前の異形は当たり前に自分自身の生存戦略に組み込んで組み込んでいた。



 こいつに遭遇してすぐだったのかも知れない。


 目を隠し、目を覆い、認知を歪ませ認識そのものを盗み取る。認識されない事自体がアイデンティティの怪異”夜に消える獣”。


 普通に考えればとても当たり前。いや、今までの僕の中の常識では到底理解し難い現象だ。

 

 こいつには意思があり目的が明確に存在している。

 そしてこいつは、それを成し遂げる為に当たり前の様に僕らを分断した。

 正確には僕等が”互いに隣にいると認識している状態”を利用し、お互いが各々の感覚で動いて勝手にバラバラになるのを待っていた。

 

 互いが勝手に”隣にいるだろう”という認識をしていることを利用した。認識を移し盗んで狩り獲った。

 

 めでたく僕は相手の術中に何の策もなく嵌ってしまっていた。



 どうすればいい。

 こういう時の為にポケットに入れてたはずの写真はどこにも見当たらない。

 最終手段を失い、選択すべき行動が見つからない。

 あまりに唐突な出来事で動かし方がわからなくなった手足からは少しずつ温度が抜けていく。

呼吸は浅く、腹の奥底で鼓動が緊急事態を告げていた。


触れる。

“夜に消える獣”はゆっくりと僕の腹部に触れる。

否。入り込んでくる。


ゆっくり。確実に。


「やめろ…」

喉からようやく捻り出した言葉は稚拙でそして虚しく消え去った。




「……見つけた。」

「まぁ予想の範疇内でよかったよかった」

どこからともなく少女の声が静かに響いた。


僕は、声の方を見た。


自称”モンスターハンター”木瀬うららは僕の影をじっと見つめながら、小さく微笑んだ。


「……お兄さんの影に、入ったみたいだね。」


「……」


「ほら、よく見て?」


彼女が指差す。

僕は、改めて自分の影を見る。


——そしてその瞬間、心臓が跳ねる。


——“影の中に、もうひとつ目がある。”



言葉を失った。


暗闇の中。

僕の影の黒い輪郭の内側に、“目”があった。



じっと、僕を見上げている。



「……っ!」


思わず膝から崩れる。

足を振るが、影が”くっついて”いる以上、振り払えない。


「こいつ!」


「大丈夫。落ち着いて。」

うららは静かに言った。


「今、この子は”お兄さんの姿”を写そうとしてるだけ。」

「……写す?」

「うん。“本当の姿”をね。」


“本当の姿”。


——つまり、“僕”とは違う”何か”が影に写るということか?


……いや、それよりも。


そもそも、「僕の本当の姿」ってなんだ?

いままで自分の姿に対し疑問を持ったことなんてなかった。例外を覗かなくても僕は僕だ。


 この姿が仮の姿だとでも言うのだろうか。

 額からは嫌な汗が垂れていた。


「お兄さん、気づいてないの?」


うららは言う。


「この子が、“夜に消える獣”の正体だよ。

 でもね——ただの獣じゃない。

 “消える”んじゃない。“写して取る”んだ。」


「写して奪い取る。」


「つまり、この子は”影を喰って、対象に成り替わろうとする”んだよ。」


一瞬、呼吸が止まる。


「……それって……」

「うん。このままだと“お兄さんは、お兄さんじゃなくなる”。」


うららは、淡々とそう言った。



心なしか影はわずかに”笑った”ように見えた。


その瞬間、僕の全身に鳥肌が立つ。



「——お兄さん。そろそろ、この子を”元の場所”に戻してあげたほうがいいね。」


うららが、スッと壺を取り出す。


影が、それを見て微かに”ビクッ”と震えた。



「大丈夫、怖くないよ。

 ちゃんと”居場所”を作ってあげるから。」


うららの声が、妙に優しい。


まるで、本当に”ペット”を落ち着かせるような声だった。


——それが、どこか恐ろしく感じた。



「さぁ、おいで。」


うららが、壺の口をそっと開く。


影が、わずかに揺れる。


そして——


——ズルリ、と音を立てて、影の中から”何か”が這い出した。



影が動いた。

僕の足元から、“何か”が這い出してくる。


黒い塊。

輪郭が曖昧で、まるで”影そのもの”が這い出してきたような存在。


頭部らしきものが、ゆっくりと持ち上がる。

しかし、輪郭がはっきりしない。


“何かに似せようとしている”最中のように、不安定な形をしている。



「……」


僕は息を呑み、後ずさった。


その動きに、“それ”も反応する。


影の塊が、不安定に揺れる。

そして、僕をじっと見た。


“そいつ”の顔が、じわりと”僕に似てくる”のがわかった。


「……おい……」


うららに目を向ける。


彼女は冷静だった。

むしろ、“うっとり”とすらしている。


「……すごいねぇ」


静かに、うららは言った。


「やっぱり、この子は”人間の形”も写そうとしてるんだ。」



「……おい」


「大丈夫、大丈夫。

 この子、ちょっと”興味を持った”だけだから。」


「“興味”……?」


「うん。“食べる”ために、ね。」



僕の背筋が凍る。



“影”が、僕に手を伸ばした。


輪郭の曖昧な、黒い指。


それが僕の頬に触れようとした、その瞬間——


——バチンッ!



「……!」


強烈な音が響く。


“影”が一瞬怯むように縮こまる。


見ると、うららが持っていた壺の縁を強く叩いていた。



「ダメだよ。

 “その人”はまだ食べちゃダメな人なんだから。」


うららが笑う。


その笑顔は妙に、異様だった。


“まだ”食べてはいけない。

その言葉の意味を僕は深く考えない事にした。


「さ、帰ろっか。」


——“影”が、一瞬で壺の中に”吸い込まれた”。




僕は、一拍遅れて息を吐く。


壺の口は、もう固く閉じられていた。

うららはそれをぽん、と軽く叩き、満足そうに頷く。


「はい、おしまい。」



——おしまい?


「……それ、本当に”飼える”のか?」


気づけば、僕はそう聞いていた。


「本当にこんなやつまで、“管理下”に置けるのか?」



うららは、少し考えるように目を伏せた。


……が。


「……まぁ、“なんとかなるでしょ”。」

彼女は朗らかに笑った。

それはまるでそんなこと考えたところで答えは出ないと言わんばかりに大きく胸を張った。


——その言葉が、妙に引っかかった。


……ふと、僕は”地面”を見た。


うららの影が、伸びていた。

それは”彼女の形”ではなかった。



その影は“壺の中に入れたはずの”夜に消える獣。

その形に、どこか”似ている”ように見えた。


僕は、何も言えずに目を逸らした。


「またね、お兄さん!」


うららはそう言って、壺を抱えて森の奥へと消えていった。



……この話は、ここで終わる。


怪異を飼う”モンスターハンター”木瀬うらら。

彼女との出会いはまぁこんなところだ。

この時はもう二度と会うことはないだろうと思っていた。



いまでもこの時のことを時々思い出す。


あの夜、彼女が”本当に”捕まえたのは、あの獣だったのだろうか。


それとも——


“うらら”自身だったのか。


答えは未だにわからない。


でも、ひとつだけ言えることがある。


怪異にも意思があり意図がある。


きっと彼女と出会わなければこの感覚を持つことはできなかっただろう。




村を後にしながら、僕はうららが去っていった道をぼんやりと眺めていた。


彼女の姿は、もう闇に紛れて見えない。

だけど、何かが心に引っかかっていた。


——“本当に、捕まえたのか?”


夜に消える獣。

 他人の姿を写し、影を奪い、自分のものにする怪異。


うららはそれを”飼う”と言った。

“管理できる”と言った。

けれど——



……ふと、思い出す。

彼女の最後の影。


あれは、“彼女の形をしていなかった”。


村を出る前、何度も確認した。

自分の足元。

伸びる影。

どこにも異常はない。


……はずだった。


でも。


——“本当に、そうか?”



影は、明確な形を持たない。

光が当たれば、伸び、縮み、形を変える。

それは当然のことだ。


だが——それが”あるべき形でない”としたら?


例えば、ほんの少しだけ。

指の本数が違っていたとしたら?

例えば、微かに輪郭が揺れていたとしたら?


あるいは——


“影の中で、別のものが蠢いていたとしたら?”



……考えすぎだろうか。


あの影は、光の加減でそう見えただけ。

疲れていたから、そう思っただけ。



だが。


影というものは、光がなければ存在しない。

光を浴びたときに初めて、その形を映し出す。


ならば、もし——


“本当の姿”を光が映し出さなかったら。



僕は、道端の外灯の下で立ち止まる。


そして、そっと、足元を見た。


……影がある。


“僕の形をした影”が。


——本当に、僕の形をしているか?

どこかに違和感はないか?

ほんの少しでも、“ズレ”はないか?


……ない。


——ない、はずだ。


僕は、影からそっと視線を逸らした。


そして、ゆっくりとまた歩き出す。



「モンスターハンター」

“怪異を狩る者”ではなく、“怪異を飼う者”


うららが言った言葉。

彼女が抱えていた壺。


それが本当に、“彼女の意志で制御できている”ものなのか。

それとも——


“彼女自身が何かに囚われている”のか。



答えは、まだわからない。


でも、ひとつだけ言えることがある。


怪異にも意思がある。

意思があり、意図があり、そして目的が存在する。

その目的そのものが怪異そのものなのかも知れない。

きっと彼女と出会わなければそんな考えに至ることはなかっただろう。


では——人間は、人間の方は本当に「人間のまま」なのだろうか。

生まれてから死ぬまで「人間」のままでいられるのだろうか。


 それはきっと、光を浴びた時にしかわからない。暗闇の中で自分がどんな姿になっているか。

常識の中では何も変わらないと思ってしまうだろう。誰だってそうだ。


自分がどんな怪異になっていたとしても。

それを疑うことはきっとないだろう。



僕はもう一度だけ、自分の影を見た。



そして、今度は決して違和感を探そうとはせず、そのまま村を去ることにした。



【終】

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