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「誰もいない町」

——人の気配というものは、目に見えないはずなのに、確かに感じ取れるものだ。


誰もいない部屋に入ったときの静寂。

人気のない夜道を歩くときの心細さ。

ふとした瞬間に、「誰かがいた痕跡」 を感じることがある。


それは、部屋の温もりだったり、僅かに動いた椅子だったり、微かに残る香りだったり。


だが、もしもその逆——「誰もいないはずなのに、確かに”いる”気配がある」 という状況があったとしたら?


そんな町に、僕は足を踏み入れた。



山間にぽつんと広がる小さな町だった。


古い商店街。

静かな住宅街。

遠くに見える、山の稜線。


いわゆる”どこにでもある地方の町”にしか見えない。


それなのに、ここには奇妙な噂があった。



「昼間なのに、誰もいない時があるんですよ」


町の外れにある喫茶店で、店主がぼそりと呟いた。


「人が消えるってことですか?」


「いや、そうじゃない。でもね……町中から、誰もいなくなる時間があるんです」


僕はコーヒーを一口すすりながら、店主の言葉を反芻する。


「住人たちはどこへ?」


「さぁね。でも、気づくといなくなってるんですよ。それも町全体で、ね」


そう言いながら、店主は窓の外を見た。



「生活の気配はあるのに、誰もいない町ができることがある。」


その言葉に、僕の興味は強く惹かれた。


それはつまり——町の住人たちが一斉に消える時間がある、ということか?


「どうしてそんなことが?」


「わかりませんよ。昔から、そういうものだってだけで」


「昔から?」


「ええ。でもね、不思議なことがあるんです」


店主は言葉を切り、少し考えるようにしてから言った。


「その時間に町を歩いていた人間がいるんですよ」


「つまり、町から消えない人間が?」


「……ええ」


店主の顔が少し曇る。


「でもね、不思議と……その人たちは、すぐ町を出て行ってしまうんです」


「なぜ?」


「さぁね。でも、誰も長くは住み着かない。不思議なことに」



「住人たちは”消える”時間がある」

「その時間に外にいた人間は、長く町にいられない」


まるで、この町には”何かのルール”があるような印象を受けた。



「で、その時間っていうのは?」


「……だいたい、昼の二時前後ですね」


喫茶店の時計を見上げる。


現在、午後一時半。


僕はコーヒーを飲み干し、店を出ることにした。


ちょうどいい。


僕は、“その時間”を確認してみることにした。



3. 異変の兆し(突然現れる住人)


静寂が支配する町の中を歩き続けた。


相変わらず、人の気配はない。


なのに、僕の足音以外のものが聞こえる気がする。

どこからか、遠くで——微かな話し声のようなものが。



時計を見る。


午後四時三十分。


ふと、どこかからシャッターが上がる音がした。


「……?」



目を上げると、商店街の八百屋のシャッターが開いている。

さっきまで閉まっていたはずなのに。


驚いて周囲を見回すと、いつの間にか、町のあちこちで人の姿が増えていた。


ついさっきまで完全な無人だった町に、“住人たちが戻ってきている”。



店の前に立つ八百屋の店主が、店の棚を整えている。

パン屋の奥から、誰かがパンをこねる音が聞こえる。

道を自転車で通り過ぎる学生がいる。


あまりにも自然な”町の夕方”の風景がそこにあった。



まるで——最初から何も異常などなかったかのように。



「……っ」


思わず息を呑む。


さっきまで、この町は無人だった。

それなのに、今はまるで、そんなことがなかったことになっている。


何が起こっている?

僕が見た”無人の町”は、何だった?



いてもたってもいられず、僕は近くの八百屋の前へ向かった。


「すみません、ちょっとお聞きしたいんですが……」


「はい?」


店主は穏やかに顔を上げた。


「今日の昼間、この町、誰もいませんでしたよね?」



一瞬、店主の表情が固まる。


……が、すぐに笑みを浮かべた。


「何を言ってるんですか?」


「え?」


妙な違和感が、背筋を冷やす。


僕は確かに見た。

午後二時から四時半まで、町には誰一人としていなかった。


しかし、住人たちはそれを否定する。


しかも、彼らの表情には、一瞬の”戸惑い”の後に生まれた作り物のような笑顔が張り付いていた。



「……あの、念のためもう一度聞きますが、本当に……」


「ええ、本当に、ずっといましたとも」



それは、“嘘をつく”のではなく、“決まっている台詞を言わされている”ような口調だった。


妙な胸騒ぎを覚えながら、僕は八百屋を離れた。


町の中を歩きながら、別の住人にも聞いてみる。


——皆、同じ答えだった。


「そんなことありませんよ?」

「ええ、ずっといましたとも」


そして、それを言うときの微妙な間と、“張り付いたような笑顔”。



これは……“何か”がおかしい。


そう思った瞬間だった。


チリン……


不意に、すぐ近くで風鈴のような音がした。


顔を上げると、商店街の外れにある雑貨屋の入り口で、ひとりの老婆がこちらを見ていた。


その目には、明らかに”他の住人とは違うもの”があった。


雑貨屋の前に立つ老婆は、しばらく僕を見つめていた。


その目には、他の住人たちとは違う”意志”のようなものがあった。

彼女だけが、何かを知っている——そんな気がした。



僕が雑貨屋に近づくと、老婆は静かに扉を開けた。


「……少し、話をしましょうかね」


そう言うと、僕を手招きした。



店の中は薄暗かった。

棚には古びた日用品や、小さな置物が雑然と並べられている。


「昼間の町のことを聞きたいんだろう?」


老婆はそう言いながら、椅子を勧めた。



「……やっぱり、何かあるんですか?」


「さぁね」


老婆は煙草に火をつけ、深く吸い込んだ。


「確かに、この町の人間は”消える時間”がある。でも、それを気にしているのは、あんたみたいな”外の人間”だけさ」


「住人たちは……?」


「考えないようにしている。そうやって、この町で暮らしてきたんだよ」



「昼間、住人に聞いたら、みんな”ずっといた”って言いました」


「そう言うように、“決まっている”からね」


老婆の言葉に、ぞくりとした寒気が走る。


決まっている。


まるで、何かに”定められている”かのように。



「町の外の人間は……?」


「この町の”消えた時間”を知ったやつは、長くは住み着かないよ」


「どうして?」


老婆は言葉を濁した。


「——夜になれば、少しはわかるさ」




その夜、僕は宿の窓から町を見下ろした。


そして、奇妙な光景を目にすることになる。



午後九時。


町の住人たちが、一斉に動き始めた。


まるで”決まりごと”であるかのように。



彼らは、それぞれの家へ戻っていく。

町の店は、急に客足が途絶えたように閉まり始める。


玄関の扉が、カチリカチリと音を立てて閉ざされていく。



そして、午後九時三十分。


一瞬で、町の灯りがすべて消えた。



僕は、目を疑った。


まるで”電源を落とした”かのように、町全体が一斉に暗くなる。


どの家の窓からも、一切の光が漏れていない。


暗闇の中、町は完全な静寂に包まれた。



試しにスマホの時計を確認する。


通信はつながっている。

電波もある。


でも、なぜかネットは開けない。


何かに”遮断”されているような感覚。



その時——


カチ……カチ……


遠くで、奇妙な音がした。



静まり返った町のどこかで、誰かが歩いている音がする。



でも、それは”住人”ではない気がした。



のもう一つの姿・終幕


カチ……カチ……


町が闇に沈んだあと、

遠くで、誰かの足音がした。



……いや、違う。


誰かではない。“何か”だ。



僕は窓の隙間から外を覗き込んだ。


住人は、もう誰も外にいないはずだ。

なのに、町の中をゆっくりと”何か”が歩いている。



暗闇の中、ぼんやりとしたシルエットが見えた。


それは、人の形をしているようで——どこか違う。


異様に細長い影。

足元を曖昧に引きずるような動き。

一定のリズムで歩く、その姿。


しかし、最も異常だったのは——


そいつに”顔がない”ことだった。



“それ”は静かに町の中を歩いていた。


まるで、町の見回りをしているかのように。



……ここで気づいた。


さっき、昼間の町を歩いていたときの違和感。


“生活の気配はあるのに、人だけがいなかった。”


あれは——“町の主導権”が入れ替わる時間だったんじゃないか?



この町は、“二種類の住人”が存在する。


昼の住人と、夜の住人。


そして、彼らが”重ならないようになっている”。



「……だから、住人たちは”そんなことはない”と言ったのか」



彼らは知っているんだ。

自分たちが、“昼の住人”であることを。

そして、夜の住人と混ざることができないことを。


だから、彼らは**“考えない”**ようにしている。


そうしないと、“自分がどちら側なのかわからなくなる”からだ。



夜の住人は、町を静かに歩いている。


何かを探しているのか?

それとも、単にそこに”いる”だけなのか?



ふと、そいつがこちらを向いたような気がした。



“目”はないはずなのに、

“こっちを見ている”と、確かにわかった。



瞬間、全身に粟立つような寒気が走った。


見られたら、まずい。



僕は反射的に、障子を閉めた。


その時——


「……そんなこと、ありませんよ?」


背後から、囁くような声がした。



息が止まりそうになる。


振り向くことができない。


……この声は、昼間、町の住人たちが揃って言っていた台詞と同じだった。



でも——


今は、“誰もいないはずの部屋”の中で聞こえた。



そっと振り向く。


そこには——


“僕の影”が、ひとつ増えていた。



——僕は、本当に”昼の住人”なのか?




翌朝、目を覚ますと、町はいつも通りだった。


住人たちは、昨日と変わらぬ日常を過ごしている。


昨日の夜の出来事が、まるで夢だったかのように。



ただひとつ、確かな違いがあった。


町を出る前、ふと道端に目をやると、

朝の光の下で落ちている影が、どれも不自然に揺れていた。


まるで、意志を持っているかのように——。



【終】

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