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「見ている犬」

最初にその話を聞いたのは、知人のカメラマンからだった。


 「変な犬がいるんですよ」


 僕がコーヒーを啜っていると、彼は唐突にそう言った。

 撮影の仕事で地方の住宅地を回っていたときのことらしい。


 「変な犬?」


 「ええ。とにかくじっと、人を見つめる犬です。どこにも繋がれていないし、野良犬でもないらしいんですが……」


 「見つめる?」


 「そうです。どれだけ動いても、ずっと視線を追ってくる。まばたきもしないし、吠えたり唸ったりもしない。ただ、じっと見ているだけなんです」


 彼は、冗談めかしながらスマホを取り出し、画面をこちらに向けた。

 そこには、塀の上にちょこんと座る黒い犬が映っていた。


  漆黒の毛並み、無表情な顔。


 そして――まっすぐカメラを見つめる瞳。


 「なあ、これ、ただの犬じゃない気がしませんか?」



 僕はその話に興味を持ち、実際に犬が目撃された住宅地を訪れることにした。


 その町は、特に特徴のない静かな住宅街だった。

 目撃談が多いのは、町の中央にある公園周辺。


 住民に話を聞いてみると、確かに**「ずっと人を見つめる犬」** の存在を知っている人が多かった。


 「ええ、あの犬なら知ってますよ。いつもあそこにいます」


 「ああ、あの黒い犬ね。妙に落ち着いてるのよ。子供が近づいても逃げないし」


 「ただ、目が合うと気味が悪いんですよね。じーっと見てくるから」


 「でも、吠えたり襲ってきたりはしないんですよ。不思議な犬です」


  犬は、ただ見ている。


 それだけなのに、皆が異様な印象を受けている。



 僕は夕暮れ時、実際に公園を歩いてみた。


 しばらく周囲を観察していると――いた。


 黒い犬。


 塀の上に座り、じっとこちらを見つめている。

 視線が合った瞬間、全身が妙な感覚に包まれた。


 冷ややかで、異様に深い眼差し。

  まるで「何か」を見透かしているような視線。


 僕は無意識にスマホを構え、シャッターを切った。


 その瞬間――犬が目を細めた。


 まるで、「それをしてはいけない」とでも言うように。



 その夜、僕は変な夢を見た。


 町の夜道。

 いつの間にか僕は歩いていた。


 周囲は静かすぎるほど静かで、風の音すら聞こえない。


 不意に、視線を感じる。


 振り向くと――


 そこに 黒い犬がいた。


 道の端、街灯の下で、じっと僕を見つめている。


 犬は何も言わず、ただそこにいる。


  だが、次の瞬間――


  犬の口がゆっくり開いた。


  そして――


 「――もう、見つかったね」


  犬の口から、人の声が聞こえた。



 僕は跳ね起きた。


  汗がにじんでいる。


 妙な悪夢だった。

  いや、あれは「夢」だったのか?


  スマホを確認すると、昨日撮ったはずの犬の写真が消えていた。


  まるで、初めから撮っていなかったかのように。



 翌日、僕は再び公園に向かった。


 そこには、昨日と同じ場所に あの犬がいた。


 僕が立ち止まると、犬はゆっくりと顔を上げる。


  「じっ」


  まっすぐな視線。


 まるで、僕が来るのを知っていたかのような反応。


 「……お前は、何を見ている?」


 犬は答えない。

 ただ、じっとこちらを見つめている。


 まるで――


  「僕の背後」を見ているように。



  ふと、気づいた。


 犬の視線が向いているのは、僕ではなかった。


  その先――僕の背後。


  振り向いてはいけない。


 直感が、そう警告している。


 だが、僕はゆっくりと首を回した。


 そこには――


  何も、いない。


 だが、僕は確信した。


  この犬は、「見えている」 のだ。


 普通の人間には見えない、何かが。



 その後、僕はこの町の古い記録を調べた。


 すると、ある一件の記事を見つけた。


 「数年前、この町で、一人の女性が失踪した」


  「最後に目撃された場所は、公園の塀の近くだった」


  「彼女が行方不明になった後、黒い犬が現れるようになった」



 黒い犬は、何かを見続けている。

 それが「何」なのかは、僕には分からない。


 だが――


 僕は時折、妙な視線を感じるようになった。

 誰もいないはずの部屋の隅、街角の曲がり角、背後の空間。


 誰もいないはずなのに、そこに「何か」がいる気がする。


  犬は、きっと「それ」を見ていたのだろう。




 その後も、あの犬は公園にいるらしい。

 町の人々は、ただの不思議な犬だと言う。


 だが、もし――


 もし、彼が「何か」を見つめているのだとしたら。


 それは、いったい何なのだろうか。


 そして――


  なぜ、それを見続けているのだろうか。




(完)

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