「夢に住む男」
「最近、毎晩、同じ男が夢に出てくるんです」
そう話したのは、知人を通じて僕に相談を持ちかけた女性だった。
夢の中に現れる、見知らぬ男。
それ自体は、よくある夢の話だ。
だが、彼女の話には奇妙な点があった。
「その男は、どんな姿をしているんですか?」
「40代くらいに見える、普通の男の人です。スーツを着ていて、少し古めかしい雰囲気があります」
「何か話しかけてくる?」
「ええ、会話をします。でも、それが……」
彼女は少し戸惑ったように言葉を選ぶ。
「話していると、どうしても『この人を知っている』と感じるんです。でも、目が覚めると、その感覚が抜け落ちてしまう」
「記憶が抜け落ちる?」
「そうなんです。夢の中では彼の名前も知っているし、親しみすら感じる。でも、目が覚めると、何も思い出せなくなるんです」
「それって、ただの夢じゃないんですか?」
僕が率直な感想を述べると、彼女は首を振った。
「私もそう思っていました。でも……」
彼女は困惑した表情で続けた。
「最近、その男が **『ある場所』の話をするようになったんです」
「ある場所?」
「夢の中で、彼と一緒にとある町を歩いているんです。古びた商店街、狭い路地、錆びた街灯……。でも、現実では行ったことがない場所なんです」
「その町の名前は?」
「分かりません。でも、その男は『ここに来たことがあるでしょう?』と言うんです」
彼女は、不安げに指を絡めた。
「私は、あの町に行ったことがあるのでしょうか?」
彼女の話を聞きながら、僕は妙な違和感を覚えていた。
「知っているはずなのに、思い出せない」 という感覚。
それは、人の記憶が混濁するときに現れる特徴のひとつだ。
だが、彼女はただ記憶を失っているのではなく、「夢の中でのみ思い出せる」 というのが引っかかる。
夢の中では知っている男。
しかし、目覚めると完全に忘れる。
それが続くというのは、単なる悪夢とは違う気がした。
「その町の特徴を詳しく教えてもらえますか?」
僕は、その町が本当に実在するのか調べてみることにした。
◇
彼女の話を元に調査を進めると、驚くべきことに、その町は実在していた。
彼女が夢の中で見た商店街、路地、錆びた街灯――
それらの要素が一致する場所が、地方のある町に存在したのだ。
しかし、彼女はそこに行ったことがない。
「あなた、本当にこの町に来たことはないんですね?」
「ありません。でも、夢では何度も歩いたことがあります」
「じゃあ、実際に行ってみませんか?」
僕たちは、その町を訪れることにした。
町に着くと、彼女は言葉を失った。
「……ここ、私の夢の中と同じです」
町並みを見回しながら、驚いたように呟く。
「やっぱり、私はここに来たことが……?」
だが、彼女にはその記憶がない。
僕たちは、彼女が夢で見たという場所を歩いてみた。
そして、ある角を曲がった瞬間――
彼女は 急に立ち止まった。
その視線の先にいたのは、一人の男だった。
40代くらいの、スーツを着た男。
「……あの人です」
彼女の声が震える。
僕は目を凝らした。
そこにいたのは、確かに夢の中の「彼」だった。
「これは、どういうことだ……?」
僕は、男の方へと足を向けた。
彼もこちらを見ている。
やがて、静かに笑った。
そして――
「次は、あなたの夢にお邪魔しますよ」
そう言い残して、ふっと消えた。
◇
男が消えた後、僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。
あれは、一体何だったのか。
現実に存在しないはずの「夢の男」。
だが、確かに目の前にいた。
彼女は恐怖に震えていた。
「……もう、夢を見たくない」
それから数日間、彼女は夢の中に彼が現れなくなったという。
しかし――
ある晩、僕は奇妙な夢を見た。
◇
そこは、見覚えのない町だった。
古びた商店街。錆びた街灯。
そして――
僕の目の前に、あの男がいた。
「こんばんは、一ノ瀬さん」
彼は、僕の名前を知っていた。
◇
「夢に住むのも、なかなか悪くないですよ」
そう言いながら、男は静かに笑う。
◇
僕は、それ以来、同じ町の夢を見るようになった。
だが、僕が夢の中でどこを歩いても、もうあの男の姿はなかった。
ただ、僕の記憶のどこかに、彼の声が残っている。
「次は、あなたの夢にお邪魔しますよ」
◇
僕は、ふと疑問に思う。
この町を夢で見たのは、僕が最初なのだろうか?
それとも――
僕がこの町を 「思い出した」 だけなのだろうか?
◇
◇
今夜もまた、同じ町の夢を見る。
そこには、まだ誰かが住んでいる。
(完)




