「止まらない拍手」
「夜になると、拍手が鳴り止まない家があるんです」
取材の依頼をくれたのは、地方紙の記者だった。
彼女は困惑した表情で続ける。
「昼間は何もないんです。でも、夜になると、家の中から拍手の音がずっと聞こえるんです」
「……ずっと?」
「ええ、本当に止まらないんです」
拍手の音が止まらない家。
奇妙な話だ。
「誰かがやっているわけじゃないんですか?」
「それが……家には、もう誰も住んでいないんです」
興味を持ち、僕は現地へ向かうことにした。
◇
町はずれに、その家はあった。
古びた一軒家。
庭の草は伸び放題で、窓は閉ざされている。
近隣住民に話を聞くと、皆、異口同音に言った。
「夜には近づくな」
「家の中から拍手が聞こえる」
「止めようとしても、止まらないんだ」
中には「拍手を聞いた人は、そのうち自分も叩き始める」という話をする人もいた。
◇
試しに、昼間のうちに家の外から様子をうかがった。
当然、何の音もしない。
ドアの隙間から中を覗くと、埃っぽい空気と古びた畳の部屋が見えた。
人の気配はない。
「……夜まで待つしかないか」
◇
日が沈む頃、僕は再びその家へ向かった。
そして、静寂が支配する夜の町で、家の前に立ったとき――
パン……パン……
家の中から、拍手の音が聞こえてきた。
「……始まったか」
慎重に玄関へ近づく。
パン……パン……パン……
それは、規則正しく響いている。
拍手をしている人間の姿は見えないのに、確かに聞こえる。
まるで、何かを歓迎しているような――。
◇
意を決して、僕はドアを開けた。
扉を開けた瞬間、拍手の音が少し大きくなった。
パン……パン……パン……
中は、埃っぽい畳の部屋。
家具は古く、何年も人が住んでいないように見える。
それでも、拍手の音は止まらない。
僕はスマホを取り出し、部屋の様子を撮影しながら慎重に奥へ進む。
壁には古い写真がかかっていた。
家族の集合写真。
その中の一人の男性だけが、両手を合わせて拍手をしている。
……いや、これは本当に拍手なのか?
写真の中の男の手は、ぶれたように見えた。
まるで、今も動いているように。
◇
「ようこそ」
突然、背後から声がした。
驚いて振り向く。
誰もいない。
なのに、拍手の音は止まらない。
◇
奥の部屋へ進むと、そこには祭壇のようなものがあった。
古びた木の台の上に、奇妙な紙が貼られている。
そこには、こう書かれていた。
「拍手を止めてはいけない」
「拍手は、彼らを留めるもの」
「……彼ら?」
◇
ふと、気づいた。
家の奥の壁。
そこに並んだ無数の手形。
その手形の位置が――微妙にずれている。
まるで、拍手をしているように。
◇
僕は背中に悪寒を覚えた。
ここにいるのは、「何か」だ。
それは、姿こそ見えないが、間違いなく拍手をしている。
そして、もし 拍手が止まったら――
◇
突然、音が大きくなった。
パン! パン! パン!
拍手は、明らかに僕を歓迎するかのように加速していく。
◇
「まずい……」
本能的に、この場所にいてはいけないと感じた。
僕は後ずさりし、部屋を出ようとする。
だが――
◇
突然、音が ピタリと止んだ。
静寂。
あまりにも不自然な沈黙。
先ほどまで続いていた拍手が、突然止まったのだ。
◇
「……?」
耳を澄ます。
何も聞こえない。
なのに――背後から、何かの 気配 を感じる。
◇
振り向くべきではない。
だが、気づいてしまった。
壁に並んでいた手形。
それが、すべて消えている。
拍手が止まると、彼らは動く。
理解した瞬間、僕は 全力で玄関へ向かって走った。
◇
背後で、再び 「パン……パン……」 という音が響き始める。
しかし、それはもう、規則正しい拍手ではなかった。
誰かが 足音のように 迫ってくる音だった。
◇
玄関のドアを開け、夜の町へ飛び出す。
拍手は、なおも続いている。
だが、それはもう 「迎えるための拍手」 ではなく――
「逃がさないための拍手」 に聞こえた。
◇
僕は走り続けた。
そして――町の灯りの下へ出た瞬間。
拍手の音は、再びピタリと止んだ。
◇
翌朝、再びその家を訪れた。
だが、あの夜の拍手は嘘のように消えていた。
◇
玄関の扉は閉ざされ、静寂に包まれている。
家の中を覗くと、あの手形も消えていた。
そして、壁に貼られた紙だけが残っている。
「拍手を止めてはいけない」
◇
この家は、何かを留めていたのかもしれない。
そして、僕がそれを乱したせいで――
彼らは 「動き出してしまった」 のかもしれない。
◇
それ以来、時折、僕の周囲で 突然拍手が聞こえることがある。
電車の中で、誰もいない部屋で、深夜の道端で。
それは、誰かが僕を 歓迎している拍手 なのか。
それとも――
もう一度迎え入れようとしている拍手なのか。
◇
拍手の音が止まるとき。
「彼ら」は、すぐそこまで来ている。
(完)




