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「知らない本」

事務所の本棚には、取材に使った資料や怪異に関する文献が雑然と並んでいる。


ジャンルも時代もバラバラで、中には古本屋で見つけた「明らかに怪しい」本もある。


そんな本棚を久しぶりに整理しようと思い立ったのは、特に理由もなく、ただ何となくのことだった。



手を伸ばして本を引き抜く。


埃が舞い、鼻をつく。


――その時。


僕は、“見覚えのない本”を見つけた。


黒い布装丁の、厚みのある本。


背表紙には、金色の箔押しで、“一ノ瀬一二三”と書かれていた。



……僕の名前?


思わず手に取る。


開くと、古びた紙のページに、きっちりとした活字が並んでいる。


内容を確かめると――


そこには、僕のこれまでの取材内容が書かれていた。


都市伝説、奇妙な村の話、消えたバス停――。


すべて、僕が取材した怪異ばかりだ。



「……誰かの悪戯か?」


そう考えたが、しかし、違和感がある。


この本の記述は、“僕しか知らないこと”まで書かれている。


それどころか、“まだ記事にしていないこと”まで載っているのだ。


それは、“今まさに進行している取材の話”だった。



僕はその場に座り込み、食い入るようにページをめくった。


読めば読むほど、背筋が冷えていく。


なぜなら――


最後のページには、「これから僕が体験すること」が書かれていたのだから。


それから、僕はその本をデスクに置き、時折ページを確認するようになった。


最初はただの気味の悪い出来事だった。


しかし――数日後、異変が起こった。



本のページが、書き換わっている。


取材の予定が変わるたびに、記述が変化している。


まるで”本の方が、僕の行動を知っている”かのように。



気味が悪くなり、試しに「本がまだ書いていない出来事」を書き加えようとした。


しかし――


僕が書き加えた文章は、数時間後には消えていた。


まるで、本自体が”自分の意思を持っている”かのように、勝手に修正されていく。



“この本は、生きている”


そう思わずにはいられなかった。


「この本の通りに行動したら、何が起こるんだろうな」


そんな疑問が生じた。



試しに、次のページに書かれていた内容をなぞるように動いてみる。


そこには、こう書かれていた。


「一ノ瀬一二三は、取材からの帰り道、事務所の前で奇妙なものを見つける」


本の指示通り、取材を終え、事務所に戻る。


――そして、玄関の前で足を止めた。



そこには、“誰かのノート”が落ちていた。


拾い上げると、中には……


“僕が取材した内容が、手書きで記されていた”。



……これは、偶然なのか?


本の記述通りに行動すると、“次の異変が起こる”。


これは、“予言書”なのか?


それとも――“僕の行動を制御する何か”なのか。


その夜、僕は改めて本を開いた。


次のページには、こう書かれていた。


「一ノ瀬一二三は、この本の最後のページをめくる」



背筋が冷えた。


……僕がこのページを読んだことを、本は知っているのか?


ならば、このページをめくったら、“次に何が起こるのか”も――。



――その瞬間。


本が”勝手にページをめくった”。



僕は、固まった。


ページの間から、“何かが蠢く音”がする。


紙の奥に、何かが”生きている”。



本の中から、微かに”声”が聞こえた。


――「こっちに、入るか?」



僕は、本を閉じた。


荒い息が漏れる。


今のは、何だった?



だが、恐ろしいことに気づいた。


閉じた本の表紙。


そこには、“新たなタイトル”が浮かび上がっていた。


『一ノ瀬一二三、最後の記録』



ページを開くべきか?


開けば、この本は”次の展開”を記すのか?


しかし、もしそうなら……


この本の最後に、“僕の終わり”が書かれていたら?



結局、僕は本を閉じたまま、引き出しの奥にしまった。


それ以来、一度も開いていない。


だが――。


ときどき。


デスクに座っていると、引き出しの中から、“紙がめくれる音”がする。



あの本は、まだ”僕の物語を綴り続けている”のかもしれない。



(完)


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