「知らない本」
事務所の本棚には、取材に使った資料や怪異に関する文献が雑然と並んでいる。
ジャンルも時代もバラバラで、中には古本屋で見つけた「明らかに怪しい」本もある。
そんな本棚を久しぶりに整理しようと思い立ったのは、特に理由もなく、ただ何となくのことだった。
◇
手を伸ばして本を引き抜く。
埃が舞い、鼻をつく。
――その時。
僕は、“見覚えのない本”を見つけた。
黒い布装丁の、厚みのある本。
背表紙には、金色の箔押しで、“一ノ瀬一二三”と書かれていた。
◇
……僕の名前?
思わず手に取る。
開くと、古びた紙のページに、きっちりとした活字が並んでいる。
内容を確かめると――
そこには、僕のこれまでの取材内容が書かれていた。
都市伝説、奇妙な村の話、消えたバス停――。
すべて、僕が取材した怪異ばかりだ。
◇
「……誰かの悪戯か?」
そう考えたが、しかし、違和感がある。
この本の記述は、“僕しか知らないこと”まで書かれている。
それどころか、“まだ記事にしていないこと”まで載っているのだ。
それは、“今まさに進行している取材の話”だった。
◇
僕はその場に座り込み、食い入るようにページをめくった。
読めば読むほど、背筋が冷えていく。
なぜなら――
最後のページには、「これから僕が体験すること」が書かれていたのだから。
◇
それから、僕はその本をデスクに置き、時折ページを確認するようになった。
最初はただの気味の悪い出来事だった。
しかし――数日後、異変が起こった。
◇
本のページが、書き換わっている。
取材の予定が変わるたびに、記述が変化している。
まるで”本の方が、僕の行動を知っている”かのように。
◇
気味が悪くなり、試しに「本がまだ書いていない出来事」を書き加えようとした。
しかし――
僕が書き加えた文章は、数時間後には消えていた。
まるで、本自体が”自分の意思を持っている”かのように、勝手に修正されていく。
◇
“この本は、生きている”
そう思わずにはいられなかった。
◇
「この本の通りに行動したら、何が起こるんだろうな」
そんな疑問が生じた。
◇
試しに、次のページに書かれていた内容をなぞるように動いてみる。
そこには、こう書かれていた。
「一ノ瀬一二三は、取材からの帰り道、事務所の前で奇妙なものを見つける」
本の指示通り、取材を終え、事務所に戻る。
――そして、玄関の前で足を止めた。
◇
そこには、“誰かのノート”が落ちていた。
拾い上げると、中には……
“僕が取材した内容が、手書きで記されていた”。
◇
……これは、偶然なのか?
本の記述通りに行動すると、“次の異変が起こる”。
これは、“予言書”なのか?
それとも――“僕の行動を制御する何か”なのか。
◇
その夜、僕は改めて本を開いた。
次のページには、こう書かれていた。
「一ノ瀬一二三は、この本の最後のページをめくる」
◇
背筋が冷えた。
……僕がこのページを読んだことを、本は知っているのか?
ならば、このページをめくったら、“次に何が起こるのか”も――。
◇
――その瞬間。
本が”勝手にページをめくった”。
◇
僕は、固まった。
ページの間から、“何かが蠢く音”がする。
紙の奥に、何かが”生きている”。
◇
本の中から、微かに”声”が聞こえた。
――「こっちに、入るか?」
◇
僕は、本を閉じた。
荒い息が漏れる。
今のは、何だった?
◇
だが、恐ろしいことに気づいた。
閉じた本の表紙。
そこには、“新たなタイトル”が浮かび上がっていた。
『一ノ瀬一二三、最後の記録』
◇
ページを開くべきか?
開けば、この本は”次の展開”を記すのか?
しかし、もしそうなら……
この本の最後に、“僕の終わり”が書かれていたら?
◇
結局、僕は本を閉じたまま、引き出しの奥にしまった。
それ以来、一度も開いていない。
だが――。
ときどき。
デスクに座っていると、引き出しの中から、“紙がめくれる音”がする。
◇
あの本は、まだ”僕の物語を綴り続けている”のかもしれない。
◇
(完)




