「木の上の庭」
植物学者・早瀬悠馬から連絡があったのは、久しぶりだった。
「一ノ瀬さん、少し面白いものをお見せしたいのですが、ご都合いかがでしょう?」
「面白いもの?」
「ええ、森の奥に ‘庭’ があるんです」
◇
話を聞くと、それは村の山奥に存在する 「木の上の庭」 だという。
「木の上?」
「はい。樹々の枝が絡み合い、その上に土が堆積し、まるで地面のようになっています。そこに植物が根付き、まるで手入れされた庭園のような景観を作っているんですよ」
「……人工の庭ってことか?」
「いいえ。それが不思議なことに、誰も手を加えていないのに、完璧な庭園になっている んです」
◇
僕は少しだけ迷ったが、結局、彼について行くことにした。
知ってしまった以上、見ないわけにはいかない。
◇
森に入ると、早瀬は慣れた足取りで先を進む。
「このあたりはほとんど人が入りませんからね。植物の成長も自然のままです」
そう言いながら、彼は足を止めた。
「ほら、見えてきましたよ」
◇
目の前に広がるのは――
まるで空中に浮かぶように存在する、奇妙な”庭園”だった。
◇
僕はしばらく言葉を失った。
巨大な樹々の枝が絡み合い、その上に土が堆積し、そこには規則正しく草木が生い茂り、花々が咲き乱れていた。
手入れされた日本庭園のような光景。
しかし、人の手が入った形跡はどこにもない。
◇
「これは……」
「すごいでしょう?」
早瀬は、どこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「ここに生えている植物ですが、地上では見たことのない種類がいくつもあります」
「どういうことだ?」
「僕もまだ調査中ですが、ここの植物の多くは 既存の植物とは異なる特徴を持っている んです」
◇
確かに、よく見ると妙な違和感があった。
普通の葉に見えるが、微妙に 動いている ような草。
なめらかすぎる幹を持つ樹木。
花は確かに咲いているが、香りがまったくしない。
違和感がじわじわと広がっていく。
◇
「これはどうやってできた?」
僕の問いに、早瀬は静かに首を振った。
「まだわかりません。ただ、一つ仮説がありましてね」
「仮説?」
彼は、庭園の中心を指さした。
「この庭の’中心’には、一本だけ異質な木が生えています。それが “この庭を作った木” なのではないかと」
◇
目を凝らしてみると――
庭の中心に、異様な一本の木が立っていた。
◇
それは、まるで”何かの化石”のように、異様な存在感を放っていた。
◇
「……これは?」
「長年の土壌変化によって、木が周囲の環境を作り出したのではないかと考えています。つまり “木が庭を作った” ということです」
◇
◇
僕はしばらく沈黙した。
木が庭を作る?
そんなことがありえるのか?
◇
「この木は、何百年、あるいは何千年もかけて、空中に土壌を形成し、独自の生態系を作ったのではないか……」
「そんなことが可能なのか?」
「わかりません。しかし、植物は生き残るために 環境に適応する ものです」
◇
早瀬は庭に足を踏み入れた。
「この庭にいると、不思議な気分になりませんか? まるで、何かに”歓迎”されているような……」
◇
僕も慎重に足を踏み入れた。
その瞬間――
◇
“何か”が、僕を見ている気がした。
◇
◇
風が吹く。
木々がざわめく。
◇
そして――
◇
僕はふと気づいた。
◇
この庭には、“鳥が一羽もいない”。
◇
◇
風の音以外、何も聞こえない。
◇
……なぜだ?
普通、こういう自然豊かな場所には、鳥がいるはずだ。
しかし、この庭には、一切の生き物の気配がなかった。
◇
「……早瀬、少し戻ろう」
僕は、直感的にそう言った。
◇
しかし――
◇
早瀬は庭の奥へと歩いていく。
◇
◇
「早瀬!」
◇
◇
彼は、中心の”木”を見上げていた。
◇
「……これは、‘まだ生きている’ のかもしれません」
◇
そう呟いた瞬間、庭の空気が変わった気がした。
◇
◇
木の葉が、一斉に震えた。
◇
◇
そして――
◇
◇
地面が、“動いた”。
◇
◇
◇
僕は、背筋が凍るのを感じた。
◇
◇
この庭は、“まだ成長を続けている” のではないか?
そして――
このままここにいたら――
「早瀬ッ!」
僕は彼の腕を引いた。
早瀬は、何かに魅入られたような顔をしていたが、僕が強く引くと、ようやくハッとしたように我に返った。
◇
◇
「……帰りましょう」
◇
◇
そう言って、僕たちは庭を後にした。
◇
◇
◇
帰り道、早瀬はずっと何かを考え込んでいた。
◇
「……一ノ瀬さん」
彼は、ふと呟く。
「この庭が’誰かのために作られたもの’ だとしたら……」
◇
◇
僕は答えなかった。
◇
しかし、庭の異様な静けさが、まだ耳の奥にこびりついていた。
◇
◇
(完)




