「黒い写真」
ある土地のことを聞いたのは、奇妙な偶然だった。
取材の合間に立ち寄った喫茶店で、何気なく隣の席の会話を耳にしたのが始まりだった。
「……あの場所じゃ、写真が撮れないって話、知ってるか?」
僕は、無意識に耳を傾けた。
「何を撮っても、全部真っ黒になるらしいぜ」
「それ、心霊スポットとかの話じゃなくて?」
「いや、幽霊とかじゃないらしい。普通に風景を撮るだけなのに、全部黒い写真になるんだと」
「何それ、カメラの故障じゃねえの?」
「違うんだよ。別のカメラで撮っても、スマホで撮っても、全部同じ。そこだけ、何を撮っても真っ黒になる」
喫茶店のテーブル越しに、二人の男が小声で話している。
僕は会計を済ませたあと、何気ないふりをして話に割り込んだ。
「すみません、その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
男たちは一瞬驚いた顔をしたが、僕がライターだと名乗ると、面白がるようにその土地のことを話してくれた。
◇
「場所は〇〇町ってとこなんだけどな……」
それは、地図に載っているごく普通の町の名前だった。
だが、男たちの話を聞く限り、どうやら「そこは普通ではない」らしい。
そこでは、何を撮っても 写真に何も映らない。
いや、正確には、映るのは「黒い写真」だけ。
どんなに明るい昼間でも、どれだけ鮮やかな景色でも、撮影するとすべてが真っ黒になる。
しかも、これは特定のカメラに限った話ではない。
アナログのフィルムカメラでも、デジタルカメラでも、スマホでも。
すべての写真が「黒く塗りつぶされたような状態」でしか保存されない。
「それって……ずっと昔から?」
僕の問いに、男たちは顔を見合わせた。
「いや、そういうわけじゃないんだよ。ここ数年の話らしい」
「昔は普通に写真が撮れたのに、いつの間にか撮れなくなった、ってこと?」
「そうらしいな。ある時期から、急に……」
「何か原因は?」
「それが、誰もわからないんだよ」
男たちはそう言って、少し気味悪そうに肩をすくめた。
「でな、面白いのは、この現象が“記録”にも影響してるらしいんだ」
「記録?」
「そう。たとえば、その町で撮った動画とか音声も、全部まともに残らないんだってよ」
「写真だけじゃなく、動画も?」
「そう。動画を撮ると、再生するときに画面が真っ暗になってる。音も入ってない。ただの黒い映像」
「……それ、物理的にありえるのか?」
「だから、不気味だって話だろ」
男は笑いながら言ったが、確かにその通りだった。
撮影ミスやデータ破損ならともかく、場所を特定して“そこだけ”記録が消えるというのは、普通ではない。
「それで、試したやつはいるの?」
「まあ、何人かいるみたいだけどな。で、大体みんな同じことを言うんだよ」
「なんて?」
「……『あそこは、記憶の外側にある』ってな」
その言葉に、妙な違和感を覚えた。
記憶の外側。
それは、どういう意味なのか。
気になった僕は、その町へ行ってみることにした。
その町は、特に特徴のない田舎町だった。
小さな商店が数軒並び、あとは住宅街が広がる。
新興住宅地というわけでもなく、かといって寂れた町でもない。
「黒い写真」の噂があることを知っていなければ、どこにでもある静かな町 にしか見えなかっただろう。
だが、いざ足を踏み入れてみると、妙な違和感 を覚えた。
静かすぎる。
町には人がいるのに、どこか「生気がない」。
歩いている住民は、みな無表情で、ただ機械的に動いているように見えた。
僕はまず、スマホを取り出して、町の風景を撮影してみた。
シャッター音が響く。
画面を確認する。
……真っ黒だった。
何も映っていない。
僕はもう一度、別の場所で撮影した。
結果は同じだった。
試しに動画を撮ってみたが、再生するとやはり真っ暗な画面しか表示されない。
音声も、一切録音されていなかった。
この町では、「記録ができない」のは本当らしい。
それから僕は、町の住民に話を聞くことにした。
「すみません、ちょっとお聞きしたいんですが……」
道端にいた老人に声をかけると、彼はゆっくりとこちらを向いた。
目の焦点が合っていないような、妙な視線だった。
「写真が撮れないっていう話を聞いたんですが……」
老人は、しばらくじっと僕を見つめていたが、やがて口を開いた。
「……何のことですか?」
「この町で、写真を撮ると全部真っ黒になるって聞いたんですが」
「そんな話は知りませんねえ」
「でも、実際に試してみたら、何も映らなかったんです」
「そうですか」
老人はそれ以上、何も言わなかった。
そのままゆっくりと歩き去っていく。
次に若い女性に声をかけたが、彼女もまた、無表情で同じことを言った。
「そんな話、知りません」
町の住民たちは、まるで「それを認識していない」かのようだった。
もしくは、何かを隠しているのか。
何も知らないのか、それとも……「知らないことにされている」のか。
◇
僕はその町を歩きながら、この町には「何かがある」 という確信を強めていた。
写真も動画も撮れない。
音も録音できない。
そして、住民は皆、「そのことを知らない」と言う。
……いや、知らないのではなく、何かの理由で「知ることができない」だけなのではないか?
そう考えた僕は、町の歴史を調べてみることにした。
◇
役場の資料室で、町の記録を探す。
だが、何かがおかしい。
……明らかに、「あるべきものがない」。
この町に関する新聞記事や、昔の写真、映像資料。
他の町には必ずあるような**「過去の記録」**が、ほとんど残っていなかった。
いや、記録そのものはあるのだ。
だが、どれも**「妙に新しい」**。
数十年前のはずの写真が、まるで最近撮られたように鮮明だったり、
古いはずの新聞記事が、ほとんど劣化していなかったりする。
まるで、この町の「本当の過去」が、意図的に上書きされているかのようだった。
◇
さらに調べていると、気になる文書を見つけた。
――町の中央部に、大きな湖があった。
しかし、今はその湖の存在を示すものが、どこにもない。
地図にも載っておらず、住民に聞いても「そんなものはなかった」と口を揃えて言う。
だが、過去の文献には確かに書かれている。
「〇〇町の中心には、大きな湖があり――」
なのに、その湖の存在が「消されている」。
◇
試しに、湖があったはずの場所へ向かってみた。
そこには、何もなかった。
……ただ、地面が異様に平らだった。
舗装されたわけでもなく、自然のままの土地でもない。
まるで、「何かを埋めたあと」のような不自然な平坦さ。
◇
僕は、その場で写真を撮ってみた。
……やはり、真っ黒だった。
だが、よく見ると――
黒い写真の中央に、「わずかな影のようなもの」 が映っていた。
いや、それは影ではない。
……人影?
◇
写真を撮り続ける。
……何枚目かを確認した瞬間、僕の指が止まった。
黒い写真の奥に、かすかに「何かの輪郭」が映っている。
それは、明らかに「人の形」だった。
だが、それは……。
◇
僕は、息を呑んだ。
――「撮影していないはずの存在」が、映り込んでいる。
◇
◇
◇
◇
その夜、僕は町を離れることにした。
この町は、「何かを隠している」。
いや、「隠させられている」。
この町の住民たちは、何も知らないのではない。
「何か」を忘れさせられているのではないか。
◇
翌日、僕は撮影した「黒い写真」を確認しようとした。
だが――
カメラに保存されていたはずのデータは、すべて消えていた。
◇
まるで、最初から何も撮影していなかったかのように。
◇
◇
◇
あの町で、本当に消されたのは「写真」ではなく、「記憶」だったのではないか。
◇
この町の歴史から「湖が消された」のと同じように。
◇
――本当に、そこに湖はなかったのか。
◇
――あの影は、いったい何だったのか。
◇
僕には、もう確かめるすべがなかった。
だが、確かに、あの町では「何も撮れなかった」。
そして、僕があそこで撮影した記憶だけが、妙に不鮮明になっていた。
◇
◇
この話をすると、誰もが「そんな馬鹿な」と笑う。
だが――
本当に、そう言い切れるのだろうか?。、
◇
この世界には、「記録されない場所」 がある。
そして、僕たちは、気づかぬうちに「消された何か」の中で生きているのかもしれない。
◇
◇
(完)




