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「夜の骨董屋」その2



夜の街を歩いていると、ふと目に入った。


「夜の骨董屋」だ。


この店が、どこにあるのかを説明するのは難しい。

訪れるたびに微妙に場所が違う。


ただ、僕にとってそれは不審なことではない。

何度も通ううちに「そういうもの」として受け入れるようになった。


今日もまた、違う場所に現れた店の前に立つ。


路地裏の奥、古びた建物の木製の扉が、ひっそりとそこにあった。

人の気配はない。


それでも、僕は扉を押した。


カラン、と鈴の音が鳴る。


奥から、店主・御蔭真琴の声が聞こえた。


「来ましたね」



店内は相変わらず薄暗かった。

まるで時間が止まっているように静まり返っている。


壁際には、異国の皿や壺、和骨董の硯や仏具が並べられている。

天井からは色褪せた提灯がぶら下がり、その淡い灯りだけが空間を照らしていた。


その明かりの下、店主がカウンターの向こうに座っている。

落ち着いた仕草で湯呑みを傾け、何もない空間を見つめていた。


「……まだ気になっていますね?」


問いかけるような、確信しているような声音だった。



「ええ」


僕は、素直に認めた。


この店で見た黒い革手袋。

触れた瞬間に、誰かの記憶が流れ込んできた。


あれが何だったのか。


僕の中には、説明のつかない違和感が残っていた。



御蔭真琴は、微かに微笑んだ。


「知ることは、得ることです」


「……失うことでもあるかもしれませんが」


彼はそう言いながら、視線を店の奥へと向けた。



僕も、その先を見た。


奥の棚。


そこに、黒い革手袋はまだあった。



僕はゆっくりと歩み寄る。


光の少ない店内では、棚の影がぼんやりと伸びていた。

手袋は、その影の中に沈むように鎮座している。



指先を伸ばし、触れる。



――冷たい。



ただの革製品とは思えない、異様な冷たさだった。

まるで体温を吸い取られるような感触。


皮の感触はしっとりとしていて、どこか不快だった。



次の瞬間、視界が歪む。




気がつくと、僕は見知らぬ空間に立っていた。



廊下。


古びた木の床。


白い障子が並ぶ和風の屋敷。


僕は、誰かの視点に入り込んでいた。



足元を見下ろすと、僕の手には、あの黒い革手袋がはめられていた。



目の前には、一枚の扉。



静寂の中で、ノックの音が響いた。



「かえして」



女の声。


静かに、しかし確かに響く。



僕――いや、この手袋の持ち主は、息を呑んだ。



手袋をはめた手が震えている。



躊躇いながら、扉に手をかけた。



ゆっくりと開く。




だが――



そこには、誰もいなかった。




だが、次の瞬間、



壁に映る影だけが、こちらを向いた。



「かえして」




僕は、息を呑んだ。



そして、世界が反転するように揺らぎ、視界が暗転した。




気がつくと、僕は元の店内に立っていた。





冷たい汗が背中を伝う。




「……なるほど」



店主が、何かを確かめるように呟いた。



「手袋の持ち主は、何かを奪った。そして、それを取り返しに来た存在がいた……」



「顔のない女……?」




僕は、ふと考えた。



このままでは、何も分からない。



「店主、ひとつ頼みがあります」



「なんでしょう?」



「この店の写真を撮らせてもらえませんか?」




御蔭真琴は、静かに微笑んだ。


「……ご自由にどうぞ」




僕は、こういう時の為に持ち歩いているポロライドカメラを取り出し、店内の写真を撮った。



そして――



そこに飛び込んだ。




――世界が裏返る。



気づくと、僕は、夜の骨董屋の中にいた。


しかし――


ここは、「今の店」ではない。




空気が違う。



いつもの店とほぼ同じ配置のはずなのに、どこかが決定的に異なる。



照明は今よりも明るい。

しかし、白熱灯の温かみはなく、ぼんやりと黄ばんだ光が空間を照らしている。


壁の棚に並ぶ骨董品は、見覚えのあるものばかりだった。

ただし、それらはどこか――新品に近い状態だった。


現代では擦り切れ、埃をかぶっていた古い漆器の皿が、まだ艶を保っている。

割れかけていた花瓶は、ひび一つない。



それだけではない。



音が、ない。



いや――完全な無音ではないのだが、どこか「作られた静寂」のようなものを感じる。


僕の足音は、いつもより微かに響いた。

店の奥から、かすかな空気の振動が伝わってくるが、それが何の音なのかははっきりしない。


まるで、店全体が時間の狭間に閉じ込められている かのようなそんな空気を醸し出していた。




そして、そこに「彼女」がいた。



カウンターの向こう側に、白髪の老婦人 が静かに座っていた。



着物姿。

穏やかな微笑み。

しかし、その目だけが、異様に鋭い。



彼女の存在が、この「違和感」の中心なのかもしれない。




僕は、店内をゆっくりと見渡した。


今の店とほとんど同じ作り。


だが――


目を凝らすと、いくつかの違いに気がつく。



まず、店の入り口にかかっている鈴が違う。


今の「夜の骨董屋」では、小さな銀の鈴が入り口に吊るされている。

それが、ここでは、真鍮製の大きな鈴に変わっていた。



それから、カウンターの奥に置かれた帳簿。


僕が知る店主・御蔭真琴は、紙の帳簿は使わず、記憶で取引を記録している。

だが、ここでは古びた和綴じの帳簿が開かれ、筆が添えられていた。



そして――



奥の棚には、「黒い革手袋」が置かれていた。



まるで、そこにあるのが当然のように、ぴたりと鎮座していた。


僕は、一歩足を踏み出した。


その瞬間、老婦人がゆっくりと顔を上げる。



彼女の視線が、僕を捉えると彼女は一言


「……もう、あれを渡してはいけません」


その声は、頭の内側に直接響くようだった。


普通の会話ではない。


まるで、意識の底に直接刻まれるような――

夢の中で何かを囁かれるような、不気味な感覚だった。



僕は息を呑んだ。


老婦人は、ゆっくりと首を横に振った。


「……あなたが知るべきことではありません」


柔らかい口調だったが、その言葉には奇妙な断定があった。


まるで、僕がこれ以上関わるべきではないと、はっきりと告げているかのような。



けれど――


そんなことを言われても、引き下がるつもりはなかった。


この手袋は何なのか。


そして、「かえして」と言っていた女は誰なのか。



「この手袋の持ち主は……」


僕が言いかけた、その瞬間だった。



僕は、写真の外へと引き戻された。



気がつくと、僕は元の店内に立っていた。




ただし――




そこにいたはずの老婦人は、消えていた。




僕は、ゆっくりと周囲を見渡した。




先ほどまでの過去の店内とは違う。


ここは「元いた今の」夜の骨董屋だ。



それなのに――


店内の空気が、まるで真空のように静まり返っていた。




「……戻ってきましたか。」




ふいに、店主・御蔭真琴の声が響いた。




僕は、振り向く。



彼は、カウンターの奥で変わらぬ表情のまま、ゆったりと湯呑みを持ち上げていた。


まるで、僕が何をしていたのかすべて知っているような、そんな目をしていた。



「……どうやら、興味を持ちすぎましたね」



「……何か、知っているんですか?」



「さあ」



店主は、穏やかに笑った。



「知ることと、語ることは別です」



その言葉が、妙に引っかかった。




僕は、ふと、ポケットに手を突っ込んだ。



そこにあるはずの「写真」を確かめるために。



けれど――




――ない。




ポケットの中は、空っぽだった。



僕は、わずかに息を呑む。




そのときだった。




――コツ、コツ。




扉の向こうから、足音が響いた。




一定のリズムで、ゆっくりと近づいてくる。




僕は、息を詰めた。




「……」




何かが、店の前まで来ている。




扉の向こう側に、気配が立ち込める。




そして――




ドアノブが、ゆっくりと回った。





まるで、「かえして」と言っていた何者かが、ここまで追ってきたかのように――。





(完)


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