表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/103

「停まらない電車」



その日、僕はひどく疲れていた。


長時間の取材のあと、まともに休む間もなく原稿の締め切りに追われていたせいで、身体が鉛のように重い。

早く帰って寝たい。


そう思いながら、僕は電車に乗り込んだ。



時間は午後10時を少し過ぎたころ。

終電にはまだ早いが、かといって帰宅ラッシュの時間帯でもない。


車両には、僕を含めて乗客が6人。


静かだった。


吊革がゆらゆらと揺れる音と、電車の規則的な走行音だけが響いている。


僕は適当な席に腰を下ろし、スマホを取り出した。


しかし、画面を見つめるうちに、すぐに瞼が重くなる。


……少しだけ、目を閉じよう。



電車は滑るように進んでいた。


どこか遠くで、アナウンスの声が聞こえる。


――「次は、○○駅……」


僕は薄ぼんやりと意識を保ちながら、降りるべき駅の名前を待っていた。


だが、なかなか目的の駅がアナウンスされない。



どれくらい経っただろうか。


目を開けて窓の外を見る。


暗闇が流れている。



……まだ着かないのか?



さすがにおかしいと思い、座席から身を起こした。


次の駅に着くまで、こんなに時間がかかっただろうか?


僕は念のためスマホの時計を確認した。


……時間は、10分前からまったく進んでいなかった。



電車は、ただ走り続けている。

敷かれたレールに沿っていつも通りの速度と変わらぬ質量を持ちながら自らの業務をただただこなしていた。



次の駅は、どこだ?




周囲の乗客を見る。


誰も異変に気づいていないようだった。



一番近くに座っていたスーツ姿の男に声をかけた。


「すみません、次の駅って、どこでしたっけ?」


男は、ゆっくりとこちらを向いた。


そして、にこりと笑って言った。


「さあ……どこでしょうね?」



僕は違和感を覚えた。


普通なら、「どこどこですよ」と答えるはずだ。

それがなければ、せめて「もうすぐ着きますよ」とでも言うはずなのに。


男の笑顔は、どこか「試している」ような雰囲気があった。



ほかの乗客も、みな静かに座っている。


それぞれの顔を観察してみる。



――全員、妙に表情が乏しい。



まるで、作り物のように動きが少ない。




電車は、止まらない。




僕はふと、あることに気づいた。



――窓の外の景色が、ずっと同じ



暗闇が続いている。

ときおり街の灯りのようなものが見えるが、どこか曖昧で、同じ場所をぐるぐる回っているような感覚があった。


試しに、窓に映る自分の顔を確認する。


――自分の影が映っていなかった。




僕は、急に喉が乾いたような気がした。


この電車は、本当に目的地に向かっているのか?


いや、そもそも……今、どこを走っているのか?



試しに、席を立って隣の車両へ移動しようとした。




しかし、ドアが開かない。



ボタンを押しても、びくともしない。



そして、その時。



アナウンスが流れた。



「――次は」




そこで言葉が途切れた。



「次は……」



再び、何かを言おうとするが、音が乱れる。



まるで、何かが**「次の駅の名前を消している」** かのように。




僕は、足元に冷たい汗が滲むのを感じた。



――この電車は、どこへ向かっている?




その時、不意に後ろから声がした。



「降りたいんですか?」



振り向くと、スーツの男が立っていた。



先ほどまで座っていたはずなのに、いつの間にか僕のすぐ後ろにいる。



「降りたいんでしょう?」



男は、笑っていた。



けれど、その笑顔はどこか「違うもの」のように思えた。




「じゃあ、降りてみますか?」




男がそう言った瞬間、電車が急に揺れた。





次の瞬間、僕は……




……




気がつくと、電車は止まっていた。



車両は、空っぽだった。




僕は、座席に座ったままだったが、周囲に乗客は一人もいない。



まるで最初から、誰も乗っていなかったかのように。




窓の外を見る。



そこには、見慣れた駅のホームがあった。




電光掲示板を見ると、すでに深夜0時を回っていた。



……そんなに時間が経っていたか?




僕はゆっくりと席を立ち、扉が開くのを待った。



……。



開かない。




その時、再びアナウンスが流れた。



「――次は」




またしても、次の駅の名前は言われなかった。



ただ、アナウンスは最後にこう続けた。



「――もうすぐです」

背中に冷たいものが走った。

良くないことが起きている。直感そう確信していた。




僕は、深く息を吐いた。




そして、目を閉じた。

額から流れる汗を感じながら

いま目の前で起きてることがなかったことになって欲しいというまるで他力本願な望みを込めながら

僕は視界の情報を遮断した。



次に目を開けた時――



僕は、いつもの駅のホームに立っていた。




駅員が、こちらを見ている。


「……電車、降りないんですか?」


電車の扉すでに開いていた。



僕は安堵のため息をつきながらゆっくりと電車を降りた。



振り返ると、電車はすぐに走り去っていった。




そこには、誰もいなかった。




本当に、最初から乗客はいなかったのだろうか。



それとも――



僕が「乗ってはいけない電車」に乗っていたのか?




答えはわからない。


ただ、一つだけ確かなことがあった。



あの電車には、まだ誰かが乗っている気がする ということだ。



そして、それは今も。


どこかを走り続けている。




(完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ