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「夜の骨董屋」その1

この店に来る理由は、特にない。


気が向いたとき、なんとなく足を運ぶ。

ここに来れば、何か面白いものが見つかる気がする。


それが 「夜の骨董屋」 という場所だった。



この店は、行くたびに微妙に場所が違う。

最初に訪れたときは、商店街の外れにあった。

次に来たときは、全く別の路地に現れていた。


地図に載っていないわけではない。


しかし、住所をメモしても、次に行くときには同じ場所にない。

それなのに、ふと歩いていると、また目の前に現れる。



まるで、僕の方が 「店に呼ばれている」 ような感覚すらある。



今夜もまた、知らない路地にその扉があった。



細い道の先。


静かな闇に溶け込むように、古びた木造の建物がぽつんと佇んでいる。

看板はない。


だが、わずかに隙間から 温かな灯りが漏れていた。



僕は、何のためらいもなく扉を押した。



カラン、と鈴の音が鳴る。



この音もまた、不思議だった。

いつ聞いても、耳の奥に深く響くような気がする。



扉を開けた瞬間、古い紙と木の匂いが鼻をかすめた。




相変わらず、薄暗い店内。



壁際には、びっしりと骨董品が並んでいる。


和硯や陶磁器、書物、古い時計、

西洋の燭台や彫刻、妙に鮮やかな色のガラス細工……


どこかの国から持ち込まれたもの なのだろう。


けれど、どこか 「この世のものではない」 ようにも見える。



そして、棚と棚の間を縫うように配置された小さなテーブルの奥、

カウンターの向こうに、店主がいた。




「来ましたね」




御蔭真琴。


年齢も性別もわからない、不思議な人物。

男とも女ともつかない、静かな声。


淡い光の中、いつもと変わらず湯呑みを手にしていた。




「今日は?」


「いや、ただの暇つぶしですよ」



「なるほど」



店主は、それ以上何も聞かない。

この店の距離感は、いつもそうだった。



僕は、棚の間をゆっくりと歩いた。



すれ違う骨董品たちは、それぞれが何かの歴史を背負っているように見える。

長い年月を経て、今ここに流れ着いたものたち。


ただの古物か、それとも……。




ふと、視線が止まる。



棚の一角。


そこに、ぽつんと 「黒い革手袋」 が置かれていた。




何の変哲もない、黒い革の手袋。


片方だけ。


もう片方はない。




「それ、気になりますか?」


店主が、穏やかな声で尋ねた。



「ええ、なんとなく」



「……触れてみますか?」




僕は一瞬迷ったが、指先でそっと革の感触を確かめた。




――冷たい。




ただの革製品のはずなのに。




まるで、氷のように、指先から体温を奪われる。

皮の表面はしっとりとしているが、不快な湿り気を帯びている。


まるで、人の肌に触れているような感触。



そして――



次の瞬間、



視界が、ぐにゃりと歪んだ。







どこかの部屋の中。




木の床。

壁際には古い箪笥が並び、机の上には書きかけの手紙が置かれている。




そこに、「僕」はいた。




いや――




「僕ではない誰か」がいた。





僕の手には、黒い革手袋がはめられている。




けれど、それは 僕の手ではない。





目の前に、誰かがいる。





――女。




髪の長い女が、こちらを見ている。





しかし。




顔が、ない。





彼女の輪郭はある。

けれど、その内部は不自然なほどに霞んでいた。



まるで、何かの力で 「そこだけ削り取られた」 かのように。




女は、ゆっくりと口があるはずの部分を開けた。




「……かえして」





その瞬間、僕の意識は 現実へと引き戻された。






「……ッ」




気がつくと、僕は手袋を握りしめていた。




手のひらに、冷たい汗が滲んでいる。




「何か見えましたか?」




店主が、ゆったりとした口調で問いかける。




「……わからない」




僕はゆっくりと手袋を棚に戻した。




店主はどこか楽しげに頷いた。



「やはり、貴方は合っていますね」



「合ってる……?」



「いえ、独り言です」




僕は、ふっと息を整えた。




それでも、手袋の冷たさは、まだ指先に残っていた。




僕は手袋を見下ろした。


たかが革製品。


だが、確かに「何か」が刻まれていた。



店主は、ふっと微笑んだ。


「買いますか?」



僕は息を整えながら、静かに首を振った。


「遠慮しておきます」


「……賢明ですね」



僕は深く息を吐き、店の扉を開けた。


外の空気を吸い込む。



夜の街は静かだった。



振り返ると、店主がこちらを見ていた。


「……お気をつけて」


「ええ、また」



僕は、いまさっき経験した異様な体験を反芻しながら足を踏み出した。



しかし――




数歩進んで、ふと気づく。




背後を振り返る。



そこには、もう店の扉はなかった。



まるで最初から、その場所には何もなかったかのように。




(その1・完)



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